1
今朝方、福岡事件再審請求キャンペーンの古川住職と電話で配布物の打ち合わせをしたついでに、2名の死刑執行があったことを聞いた(古川さんはフォーラム90から連絡を受けたらしい)。
仕事から家に戻って来て、東京拘置所の2名と大阪拘置所の1名、計3名の処刑だったことを、アムネスティのニュースレターで知った。しかも東京の2名の片方は、あの宮崎勤だったことも。
2
今日職場の塾で、授業中プリントをやらせていた小学生の女の子が鼻血を出した。子供が何かの折に鼻血を出すくらい珍しいことではないのだけど、その女の子はかなり色白の子で(ハーフの子なので)、鼻の周りに血がこびりついていると、ギョッとするほど目立つ。血が止まったのを見計らって、濡らしたティッシュで拭きとってやった。テレビの子役タレントみたいに整った顔立ちで、今風のおしゃれな服に身を包んだ彼女でも、当たり前だが普通に血の通った生き物なんだなあと、自分の子どもがいない僕だけに、しみじみ感じてしまう。
帰宅後、宮崎の処刑を知った時、彼女の顔と鮮血の色が脳裏に浮かんでしまった。どうしたことか。
3
今日6月17日は、「福岡事件」の西武雄死刑囚が冤罪により処刑された日である(1975年)。キャンペーン「叫びたし寒満月の割れるほど」の一環として、生命山シュバイツァー寺で法要が営まれた。
この命日の法要は例年行なわれてきたものだが、今年は古川住職はじめ関係者の思いとして、本堂でただ儀式を行なうだけでなく、「生命」につながることを何かしたい、ということがあったという。それで今年は、シュバイツァー寺の裏山の見晴らしいのいい場所に、しだれ桜を一本植樹する、「植樹法要」を執り行った。
穴を掘り、桜を据え、午前10時53分(西さんの死刑執行時間)、スコップで周囲から土をかぶせたという。
4
このタイミングでの宮崎勤の処刑というのは、普段は死刑に肯定的な人ですら、さすがにどうよ、という反発が起きているという話も聞く。
当然ながら秋葉原の事件は念頭に浮かぶ。秋葉原の事件によって沸騰した国民をなだめすかすのに、宮崎勤の処刑はうってつけ。一種のガス抜きである。
しかし、それがあまりにもハマっているからこそ、「鈍感力」に磨きがかかった馬鹿者を除いて、結構な数の死刑容認派すら首をかしげたくなるのだった。このデンでいくと、秋葉原の加藤容疑者が死刑執行されるのは、次に大きな無差別殺人事件が起きて国中がざわついている時、なのかも知れない。トコロテン式に順繰り、ということ。
5
それにしても巷を賑わす「テロ対策」の、肝心の対象たる「テロ」はどこに行ったのだろう。起きるのは心を病んだ一般庶民の自己破壊的凶行ばかり。テロは?
というわけでもう一つ、これもG8を前に、「テロ対策」の一環のつもりか、釜ケ崎での労働者弾圧が相当なレベルに達している。
釜パト活動日誌
Lastdateより、近況13
新聞・テレビのトップニュースになってもおかしくないと思うのに、そうはなっていない。だから僕も、今朝たまたまミクシィの友人経由で知るまで、まったくこんなことが起きているのを、これほどの事態にまでなっているのを、知らなかった。
「Vicarious」で歌われているとおり、誰かが死ななきゃニュースにはならない。そういうことなのか。
6
今日という日は──いろいろあった。
今朝方、福岡事件再審請求キャンペーンの古川住職と電話で配布物の打ち合わせをしたついでに、2名の死刑執行があったことを聞いた(古川さんはフォーラム90から連絡を受けたらしい)。
仕事から家に戻って来て、東京拘置所の2名と大阪拘置所の1名、計3名の処刑だったことを、アムネスティのニュースレターで知った。しかも東京の2名の片方は、あの宮崎勤だったことも。
2
今日職場の塾で、授業中プリントをやらせていた小学生の女の子が鼻血を出した。子供が何かの折に鼻血を出すくらい珍しいことではないのだけど、その女の子はかなり色白の子で(ハーフの子なので)、鼻の周りに血がこびりついていると、ギョッとするほど目立つ。血が止まったのを見計らって、濡らしたティッシュで拭きとってやった。テレビの子役タレントみたいに整った顔立ちで、今風のおしゃれな服に身を包んだ彼女でも、当たり前だが普通に血の通った生き物なんだなあと、自分の子どもがいない僕だけに、しみじみ感じてしまう。
帰宅後、宮崎の処刑を知った時、彼女の顔と鮮血の色が脳裏に浮かんでしまった。どうしたことか。
3
今日6月17日は、「福岡事件」の西武雄死刑囚が冤罪により処刑された日である(1975年)。キャンペーン「叫びたし寒満月の割れるほど」の一環として、生命山シュバイツァー寺で法要が営まれた。
この命日の法要は例年行なわれてきたものだが、今年は古川住職はじめ関係者の思いとして、本堂でただ儀式を行なうだけでなく、「生命」につながることを何かしたい、ということがあったという。それで今年は、シュバイツァー寺の裏山の見晴らしいのいい場所に、しだれ桜を一本植樹する、「植樹法要」を執り行った。
穴を掘り、桜を据え、午前10時53分(西さんの死刑執行時間)、スコップで周囲から土をかぶせたという。
4
このタイミングでの宮崎勤の処刑というのは、普段は死刑に肯定的な人ですら、さすがにどうよ、という反発が起きているという話も聞く。
当然ながら秋葉原の事件は念頭に浮かぶ。秋葉原の事件によって沸騰した国民をなだめすかすのに、宮崎勤の処刑はうってつけ。一種のガス抜きである。
しかし、それがあまりにもハマっているからこそ、「鈍感力」に磨きがかかった馬鹿者を除いて、結構な数の死刑容認派すら首をかしげたくなるのだった。このデンでいくと、秋葉原の加藤容疑者が死刑執行されるのは、次に大きな無差別殺人事件が起きて国中がざわついている時、なのかも知れない。トコロテン式に順繰り、ということ。
5
それにしても巷を賑わす「テロ対策」の、肝心の対象たる「テロ」はどこに行ったのだろう。起きるのは心を病んだ一般庶民の自己破壊的凶行ばかり。テロは?
というわけでもう一つ、これもG8を前に、「テロ対策」の一環のつもりか、釜ケ崎での労働者弾圧が相当なレベルに達している。
釜パト活動日誌
Lastdateより、近況13
新聞・テレビのトップニュースになってもおかしくないと思うのに、そうはなっていない。だから僕も、今朝たまたまミクシィの友人経由で知るまで、まったくこんなことが起きているのを、これほどの事態にまでなっているのを、知らなかった。
「Vicarious」で歌われているとおり、誰かが死ななきゃニュースにはならない。そういうことなのか。
6
今日という日は──いろいろあった。
他の方、レスもうちょっとお待ちください。
宮崎勤の起こした事件は所沢市民にとっては身近な問題だったと記憶しています。
私が通っていた学校にも行方不明になった女の子の看板が置いてありましたから・・・。
犠牲になった女の子が知り合いの子の友人だったことを知ったときの衝撃は忘れられません。
だからといって死刑が妥当かどうかは単純には答えは出せません。何よりもうかなり長い時間が経ってしまっていますから。遺族以外が当時の怒り・憤りを維持するのは難しいものです。
秋葉原の事件は死刑が少なくとも抑止効果を持っていないことがはっきりしてきたのではないかと思っています。その前の土浦の事件でも犯人が死ぬことを望んでいるのなら止めようがなかったわけですから。レイランダーさんの言うとおり結局のところ「ガス抜き」でしかないのではないかという気がしてなりません。
秋葉原の事件について読売新聞のコラムでは容疑者のことを甘ったれだと言っているようです。私もそうだと思います。でも彼は甘えたかったんだろうなとも思います。甘えられない環境にいることが全て自分のせいだということになれば何らかの形で打開したいと考えるのが人間。それが最悪の形で現れたのが今回の事件。それに比べれば西成での行動は十分正当な抗議活動の域を超えるものではないといえると思います。
死刑が執行された後で、冤罪であったことが、あるいは部分冤罪であったことがわかっても取り返しがつきません。
死刑制度は廃止しなければいけない制度であるということを痛感します。
久々の寄せ場での暴動に、心が踊っています。
関西の、とある活動家に、石を持って駆けつけたい気分だとメールをしたところ、いたく感動してくださったと同時に、日本の左翼はこの事態に共感し立ち上がることができないほど、自分も含めてのていたらくであると嘆きの返事を頂戴しました。
幼稚園の園長をしている友人に生田さんのHPを送ったところ、幼稚園の若い職員は「なにこれー、映画みたーーい」と。日々、それなりに寄せ場のことなど話していたのに、誰も聞いてなかったのね、、、とガックリ。
死刑でどれほどの人の命が奪われても、それに慣れることなく怒りを忘れずに、どんなに小さな抵抗でも連帯する感覚を忘れずに、多数派には決してなることなく、少数派でふんばっていかなければならないと、思うのです。
思うだけで、なかなかうまく動けないのがもどかしいのですが。
ここ数日は、うだうだと考える日々ですし、それはますます膨張してくようです。
では。