弱い文明

「弱い文明」HPと連動するブログです。 by レイランダー

The Mind Disaster -1 中国という鏡

2011年11月08日 | 原発 3.11 フクシマ
 日本は今、巨大な災害に見舞われている。それもひとつふたつでなしに、いくつかの災害が重なり合って起きている。最たるものは言うまでもなく原子力災害だが、それに伴う政治の災害(あるいは政治が機能しないことによる災害)も無視できない。

 そしてその政治につながる社会の動きのなかに、もうひとつ別種の災害が起こりつつある。というより、正確には、ずっと昔から続いていた災害が、震災後の社会環境の「ニッチ」(※)に乗じて、勢力を増していると言うべきか。
 この災害は、心の災害とも言うべきもの。被害は目に見えにくい。多くの場合、人はそれが「災害」だと自覚しづらい。だが、当たり前のことを当たり前に考えられなくなり、憎しみに心奪われる人が増え続け、社会が混迷を深め、荒廃していくならば、それは立派に「災害」だろう。無論、カテゴリーは「人災」である。

 だがこの「災害」の様相を、意味を、その展開を、どう予測し、語ることができるのか、今の自分には心許ない。もうだいぶ前から、そういうジレンマを抱えていた。このジレンマは、まだあと何年も続く気がする。その間、手をこまねいているしかないのだろうか。

※ 経済においては「スキマ産業」などの文脈で使われるらしいが、本来は生物学の概念。種の自然の中における「生態的地位」を指す。たとえば外来生物が在来生物を駆逐する現象は、その外来生物の繁殖力が無条件に強いからではなく、その環境の「ニッチ」にハマッたから、みたいな。
 ここでは「間隙を縫って」とか「その特殊条件を味方につけて」というニュアンスで用いている。



 いわゆる「ザイトクカイ」のような排外主義団体の台頭に、警鐘を鳴らす人は多い。それはもちろん、正しい。と同時に、彼らのように幼稚と傲慢を前面にフィーチャーした極端な行動に出る人間は、結局はごくごく少数にとどまるのも事実だ。いたずらに彼らを話題にのぼらせ、「主敵」のごとく扱うことは、かえって彼らを喜ばせ、調子づかせるだけではないか。前にも書いたけど、僕はそういう感じを持っている。
 それより明らかに問題なのは、背後にいる警察・公安のほうだ。とりわけ公安は、60~70年代の学生運動の時代以来、超久々に訪れた仕事の機会=自分達の存在理由を、3.11後の市民運動の勃興を食い止めることに見出したような。そのために、若いレイシスト・排外主義者たちを利用している。謀議に基づく協力関係・信頼関係があるかどうかまでは、現時点ではわからないにしても、結果としてお互いを利用し合っていることは確かだろう。戦前の特高警察が、在野の右翼団体を取り締まりながら、情報収集や地域の統制に利用していたのと、似た構図かもしれない。
 それに対し、警察のほうはお役所仕事に徹しているだけの感もあり、公安による積極的な市民運動の撹乱、不当逮捕への誘導に引きずられているだけのようにも見える。詳しい内情は(特に上層部の真意は)はわからないが、いずれにしろ、これら公権力の過剰な監視・統制の動きは、市井の排外主義者の突出した挑発行動なんかより、よほど警戒すべき・抗議すべき問題であることは間違いない。

 と言いながら──僕は、さらに大きな問題がある、ということをあえて強調したい気持ちに駆られる。それは排外主義団体や警察権力よりも、もっと広範かつ多様な、「普通の」国民のなかに共有されている意識の問題である。
 平たく言うとそれは、自国中心の「経済発展」思考、それとコインの裏表の関係になっている「外国」に対する怯え・アレルギー反応である(自国中心っつったって、実際は米国に付き従っている“自国”なのに、中心もくそもあるか!というツッコミは、とりあえず脇において置こう)。
 「なに、そんなのは昔からそうじゃないか」と思う人も多いだろう。または逆に、「今時そんな古臭い感性のやつなんて、さすがに少ないよ」と思う人もいるだろう。どちらも、僕は同意してしまいたくなるのだけど、いやいやちょっと待って──と、どうしても立ち止まってしまう。

 思うに、昨今形をとって現れ始めた「外国」への嫌悪・不信の高まりというのは、島国の日本人が元々持っていた内向きな心証の延長、なんていう牧歌的なものではない。
 明治からの富国強兵策をもって国内の「近代化」を完成させ、それを基盤にした経済成長戦略が戦前・戦後を通じて推し進められるなかで、自国へのかつてない信頼・自信・優越意識が培われた。メディアや教育を通じて、ソフトに、入念にかつ執拗に培養されたその意識が、1980~90年代の経済飽和・変動を経て揺さぶられ、ついに3.11を迎えて決定的な崩壊のサインを見るに至るまで、徐々に優越意識は狂信的な自愛意識と差別意識に反転し、信頼・自信の喪失はネオ排外主義・ネオ国家主義へと成長した。
 それは端的には「新しい歴史教科書をつくる会」を露払いとして顕在化し、3.11以降も根を張り伸ばしている現象、ということになっている。が、本質はそんな、一部の右翼、右派文化人の呼びかけなどに応じて初めて生れた動きなのではない。もっとずっと前から、そうなる根は深く広く張られていた。元を正せば明治の教育から始まり、敗戦や「左」からの揺さぶりを経てもひからびず、「恐怖」を養分に成長し続けていた、国家への「信仰」のようなもの。今やその実質は「右傾化」なんていう言葉では捉え切れない、ヴァーチャルで虚無的な国家主義のようなもの。あるいは「主義」というほど理論化されえない、身体的な帰属志向のようなもの(ああ、やっぱりうまく説明できない・・・)。
 それがたいした大きさでないうちは、どうでもよい、大衆の心の遊びの部分のようにも見えた。だけどここ数年~10数年の社会の変動、混迷(もちろん2001年9.11の衝撃を含む)を通して、「普通の」心優しい日本人の意識のなかに(養分をたっぷり吸って)実ったこれらの実は、僕にはもはや無視できないほどいやらしい、奇怪なものに見える。今それは、地震や津波、原発災害と並ぶ、「心の災害(マインド・ディザスター)」とでも呼ぶべきものとして、猛威を奮い始めているように思えるのだ。

 そのなかで、ひときわ目につく、中国への恐怖・憎悪について考えてみる。
 一般的には、近年の「韓流ブーム」による、韓国との文化的・経済的交流の活性化は、従来あった韓国への無理解に基づく敵愾心や蔑視意識を、かなりな程度駆逐したように見える。内部には依然さまざまな病根が潜んでいるとはいえ、概ね歓迎すべき傾向だと僕は思っている。
 一方中国は、「韓流」などよりもっと前から旅行先として人気があり、経済交流も盛んだった。我が国の最大の貿易相手国にまでなっている(2002年以降は輸入相手国、2009年以降は輸出相手国のそれぞれ一位が中国)。だというのに、いやそれゆえにと言うべきか、その心理的な溝は乗り越えられるどころか、ますます大きく、ややこしいものになっている。
 ここが一つのポイントだ。つまり、いわゆる排外主義者、あるいは右派を自称する者たちは、たいてい韓国も中国も(もちろん北朝鮮も)いっしょくたに嫌い、誹謗する。対して、一般の国民の多くは、韓国にはまあまあ好感を持つか、(領土問題等で)多少ぶつかる所はあっても、大体のことは話し合いでどうにかなる、という感触になってきている。しかし、中国にそのようなことは期待できない。あれは怖い、厄介この上ない、という意識がある。なぜなら元々、
○中国は日本よりでかい。
○中国は日本より人口が多い。
○中国は共産党だ。
○中国は日本より歴史が長い。
○中国は日本よりしたたかで、悪賢い(らしい)。
○中国は日本より、いろんな面で、がさつである(らしい)。
○中国は、要するに「腐っても大国」だ。
○それ以外のことは、よく知らない。
というあたりのことが背景にあるからだ。
 もちろん近年は、上記のことに加え、その経済成長がいろいろな意味で「脅威」とみなされる要因となっている。

 社会に流布されている一般的な教説によると、経済成長とは、国民の豊かさの指標だという。日本は昔、中国よりずっと豊かだった。豊かさに手が届かない中国を、日本は見下していられた。それが日本人の「安心」だった。
 僕自身、当時(80年代末ごろ)そういう感覚を持っていた。中国旅行に行って、人民服で自転車を漕いでいる中国人を探したものだ。都市部で意外と見つからないので、がっかりした。田舎のほうで、畑道をその格好で走っている農民を見かけると、「イイモノを見た」ような気分になり。一方、街で出会った同い年くらいの若い中国人が、自分より流暢に英語を話すのを聞いて、「やられた!」と、恥ずかしい気分になったりした(丁寧に道を教えてくれて、親切な人だったけど)。

 で、その中国が日本並みの豊かさを実現することは──その豊かさを正しいとする原理に従っている日本人なればこそ、歓迎し、祝福してあげるべきことだろう。ところが、心はそれを「脅威」と思う。理屈からいっても道義からいっても、辻褄の合わないことだ。
 それをうすうす承知している日本人は、中国の抱えるあらゆる欠点を強調し、だ・か・ら日本人が豊かさを享受するのはフェアなことだが、中国人の場合は問題だ、という屁理屈を一つでも多く作り上げようとする。あげくには、このままだと中国は日本を飲み込んでしまうだろう、という「脅威」説をぶち上げる。ほぼ完全に米国に飲み込まれているこの国の有様には、まったく気がつかないフリをして。
 たぶん多くの人達は、米国に支配される分には構わないのだろう。なぜならアメリカは日本の前から「先進国」だから。さっそうとしたルックスとライフ・スタイルの、ヨーロッパ系人種メインの国だから。クリスマスとハリウッドとディズニーの国だから。
 それに比べて、日本人とほとんど変わらない見た目のアジア人に、アジアの優等生・清潔で洗練された日本人が支配されていいわけがない。ありえない!・・・もしアメリカが黒人メインの国だったらどう思うのか、この人たちに聞いてみたいものだが、とにかくこういうわけで、現実に中国よりアメリカはマシなのだ。多くの日本の一般の人たちはそのように、思うでもなく思っている。
 まして、尖閣諸島をめぐる問題が国家の一大事であるかのごとく喧伝されるに及んで、ますます中国の「脅威」は現実味を帯びて、この人たちの目には見える。非武装の民間人の漁船一艘が巡視艇にぶつかったくらいのことを「侵略行為だ!」と騒ぐ彼らの目には、その目と鼻の先の沖縄に、大多数の住民の意思に反して居座っている、世界最強の米軍の基地が見えない。いや、見えているけど、見えないフリをしている。
 あるいは、アメリカは日本を守ってくれている、と信じ込んでいる。アメリカは、自国アメリカを守るためにこそ世界中に米軍基地を置いている、という当たり前の現実から目を逸らして。
 いやそうであっても、少なくとも日本には守る価値があるからアメリカも基地を置いているんだ、と言う人がいる。僕は、少なくともその程度の「価値」なら、アメリカ以上に中国のほうが認めてくれているのではないかと思う。日本に悲惨な侵略を受けた近代史がありながら、国民の対日感情は必ずしも良好でないながら、一貫して中国は日本とのさまざまなレベルでの交流拡大路線を維持してきた。
 そして天安門事件で民主化運動を弾圧し、世界中から総スカンを食らっていた中国と、(いつもの優柔不断はどこへやら)真っ先に関係再開を決めたのは日本だった。そのことを今でも、中国首脳部は恩義に感じているのではないだろうか。だから日本を守る価値がある──のだとしたら。熱心な排外主義者ではない、普通に「中国嫌い」の日本人は、この問題をどう思うのだろう?上のやつらが決めたことだ、自分達には関係ない、のだろうか?それほどまでに自分達とは関係なく勝手にいろんなことを決めてしまう政府や国の在り方を放置しておいて、民主国家だと胸を張るのは、僕には気恥ずかしくてできないのだが。
 中国という鏡に日本を映すと、こんな風に、あらゆることがねじ曲がり、こんがらがって見えてしまう。それは鏡が歪んでいるからではない。映ったものの本体が本当に歪んでいる、それを鏡は馬鹿正直に映しているのだ。

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5 コメント

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全面的に同意します。 (井上俊介)
2011-11-09 00:26:54
レイランダーさん
こんばんわ

僕も少し前からこの国を覆う嫌中国的な雰囲気に少し違和感を感じていました。
レイランダーさんの記事で抱えていたもやもやがすっとびました、
初めてブログを読ませて頂いた時から繰り返し感じている事ですが、
毎度の事ながら爽快です。
本当にありがとうございます。
いつもお世話になっています。

他国の人を嫌ったり、怖がったりして良い事なんて一つもないと思います。
そういう雰囲気に覆われてると個人的にはすごく息苦しいです。

ちょっと自信はないですが、今回の記事に関連して個人的に思う事があります。
日本人の中国嫌いに関しては、過去の戦争も関係しているのではないでしょうか。
過去に起きた日本人による大量虐殺に代表されるいくつもの戦争責任について、
「責任を全面的に認めてしまえば向こうは調子に乗って何かを要求し、それをエスカレートさせてくる。
そうなればキリが無い、我々は未来永劫反省し続けなければならないのか!」
みたいな思考が中国が大国になった事で「今度は仕返しされるんじゃないか」という恐怖と、
それが反転して半ば逆ギレ的な憎悪に繋がっている面があると思うんです。
(もっとも、この国がちゃんとした賠償を初めとした戦争責任を果たしてきたかどうかには疑問があります)

と考えるのも、申し訳ないんですが僕自身も似たような思考を引きずっていて。
中国の反日デモなんかをニュースで見ると
日本がかつてアジア諸国に迷惑を掛けたのは本当に申し訳ないと思うけど、
「僕」がやった訳じゃない、全部「僕」が生れる前の事で、そんなに恨まれても・・
彼らが本当に怒っているのは「僕」じゃないというのは重々承知の上ですが
アメリカのパンクバンド マイナー・スレットのGuilty Of Being Whiteならぬ
Guilty Of Being Japaneseみたいな、後ろめたい気持になってしまいます。

でも、幼稚な民族的優越感(?)を維持したいにせよ、過去の戦争からの後ろめたさにせよ。
中国(政府ではなく)を嫌うのだけは絶対に間違ってると思います。

いつもながら拙文、且つ長文で申し訳ございません。
以上です。

P.S ところで、こういう記事ってこのご時世、凄まじい攻撃の嵐に晒されそうですけど・・大丈夫ですか?
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>井上さん (レイランダー)
2011-11-09 23:36:39
 今回取り上げているのは、意識的な排外主義というより、無意識の「嫌中国」「恐中国」感情に凝り固まっている人達の問題で、その感情の中に指摘されるような「反転」した何かがあるというのは、そうだろうなと僕も思いますね。

 反日デモなんかをやる中国人のメンタリティにも、僕は問題あると思いますよ。自分の国のことを棚に上げて、よくしれっと外国のことを言えたもんだと。まあ、日本にも同じメンタリティの人がしっかりいるわけですけど。
 ただその主張の中身自体(歴史認識の問題とか)はあながち間違っていないわけで、そうしたことを見ないで「反日=ゆゆしき問題」みたいな調子でしか伝えない、あるいは反日デモなんかを醒めた目で見てる中国人だって結構多いっていうことを伝えない、日本のメディアに、そもそも大きな問題がある。

 あるタイプの国を嫌うこと自体は人それぞれ、別に構わないと思うんです。問題は、間違った根拠に基づいて嫌ったり、国を嫌うことでその国の(人を含む)すべてを嫌ったり、相手を嫌うことで自分の側の問題を覆い隠したりする、そうした心の動きが行き着く先を危惧している。危惧しているというか、それが野放しにされている社会が、気持ち悪くてしょうがない。
 極端なことをいえば、中国との友好関係なんてどうだっていいんですよ、僕は。それより、自国の恥さらしぶりが我慢ならない。その恥をなかったことにする連中は、まして我慢がならない。
 
>こういう記事ってこのご時世、凄まじい攻撃の嵐に晒されそうですけど・・大丈夫ですか?

 大丈夫ですよ。僕は無益な議論には乗りません。攻撃されることより、こういう声がかき消されていってしまうことのほうが心配です。
返信する
コメントによる付記 (レイランダー)
2011-11-11 11:56:56
※ウォール・ストリート占拠行動の際の、警官でない「白シャツの管理職」の男達の活動について、マイケル・ムーアが言及している。以下の動画の終わりのほう。
 http://democracynow.jp/video/20110928-1
 この「白シャツ」と、日本の公安の行動様式は単純には比較できない。が、何かが重なって見える。「管理職が暴力行為に及んでいるとすれば」、一部の不良警官(bad apples)の問題ではなく、「組織の方針」「上層部からの指令」であるという視点は、当たり前だが重要。

 日本の場合特に、右翼と警察/公安の協調関係、これを抉り出し、白日の下にさらすことができれば、一大スクープだろう。大手メディアは経産省前に張り付くべきだ。
 経産省前テントひろばhttp://tentohiroba.tumblr.com/
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申し訳ございませんが、タイトルが思い浮かびませんでした。 (井上俊介)
2011-11-12 16:37:37
 僕の書く文章ですが、独特な青臭さが鼻につく
人によっては嫌悪感を抱くような文章な気が・・


いえ 独り言です。お気になさらないで下さい。

レスありがとうございました。
頂いたレスを注意深く読ませて頂きました。
あぁ なるほどなぁと思う所があり、改めて自分の考え方をちょっと変えてみようと思っています。
言いわけになりますが、
僕はこの記事を国交の問題として捉えたつもりはありませんでした。
結果としてはコメントの主旨がそういうものとしか思えない内容になってしまって。
ちょっと反省してます。
申し訳ございませんでした。

いえ
そんなものは大した事ではありませんでしたね。
(大した事かもしれませんが・・)
問題は自分の書いたコメントの

>こういう記事ってこのご時世、凄まじい攻撃の嵐に晒されそうですけど・・大丈夫ですか?

格好付けてPSとか言っちゃってますけど・・
改めて読み返してみると
上から目線の「心配してやってんだぞ」的な
我ながら、いやらしさ全開の不快な文章ですね。
今度、自分のドッペルゲンガーを町で見かけたら
ケツでも蹴っ飛ばしておきます。

いえ、それも大した問題ではありませんね。

問題は自分からふった話題の事です。

戦争なんたら~的な話題はそれこそ
こういう話題に敏感な悪意あるコメンテーターを
惹きつける魅力的なエサですよね。
記事の主題になってないようなそんな話題をわざわざ自分から引っ張っておいて、

「大丈夫ですか?」

「お前の方こそ大丈夫かよ!!」

という記事を真面目に読んでいた方からの総ツッコミが聞こえて来ます。
ごめんなさい!
悪意は無いんです!マジで!

他人のことより自分はどうなんだよ的な
極端に視野の狭い思考は
自分の中にもしっかりと根づいています。

とりあえず僕はレイランダーさんの本家サイトに紹介されている。

Bonzo Dog Band の「What Do You Do?」と
Neil Innes の「How Sweet To Be An Idiot」
でも聞きながら出直して来ます。

・・・ How Sweet To Be An Idiotはなんか癒されますね。

それでは失礼致します。
返信する
>井上さん (レイランダー)
2011-11-12 21:21:03
いえいえ、気にし過ぎですよ。僕は全然井上さんの書いたものが「上から目線」だとか感じませんし、ほとんどの読者の人もそうでしょう。

たぶん、若い井上さんに対して、こっちはイイ年のオッサンだから、ノリが微妙に合わないところがいくつかある、というだけの話だと思います(笑)。どうぞ気楽にお付き合いください。
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