夜22発の夜行便は中国製の大型バス。瀬戸さんからアドバイスがあったように驚くほど冷房が聞いている。長袖シャツを着た。
バヨナ氏とは隣ひとつ離れた席だが、キューバ人と結婚したというペルー出身の女性が夫の実家のカマグェイへ里帰りということで、会話が始まる。ほとんど眠らず、早朝6時にカマグェイについた。
実は、カマグェイとサンクティ・スピルトゥス州を訪ねてみたかったのにはわけがある。もう10年近く前になるが、2002年に衛星放送、BS朝日でキューバの音楽をたどる紀行番組「トロバドールの旅」というドキュメンタリーを見たことがある。コーディネートしたのは、今回の旅でも世話になった瀬戸くみこさんだ。
その番組で降雨量が少ないため、水を溜めるための甕があちらこちらにあるカマグェイの街中の風景とサンクティ・スピルトゥス州のヤヤボ川にかかる石の橋が出てきたのだ。しかも、この番組を見た場所が、硫黄島という特異な場所であっただけによりいっそう強い印象が残った。
硫黄島は、我が旧帝国陸軍が米軍を相手に壮絶な玉砕を遂げた第二次大戦当時の激戦地で、渡辺謙主演の「硫黄島の手紙」で有名になったが、硫黄島とはいまもつながりがある。
私が勤務する農業大学校のある松代町は、この小笠原兵団を率いた栗林忠道師団長の出身地なのだ。
さて、日本に返還されて以降、行政的には東京都に所属するが民間人は居住せず、自衛隊の基地があるだけだ。だから、本土からのアクセスも自衛隊の軍用機があるだけで、普通の市民が観光で訪れることはない。
だが、日本は南方からの病害虫の侵入の脅威にさらされている。そのひとつにミカンコミバエというものがある。柑橘類を食い散らかすやっかいな害虫だ。そこで、この害虫がいないかどうか、都では植物防疫法に基づいて検査を行っている。
この仕事のために、硫黄島に飛んだことがあるのだ。それも、都民のためには申し訳ないが、ほとんど意味がない役所仕事であったことをここで白状しておこう。
実際にミカンコミバエを検出するためには、果実類が実っている時期に行かなければならず、実が落ちた冬季に現地に出向いても意味がない。だが、2001年に9.11テロがあったため、軍事演習が優先され、予定した時期に飛べなかったのだ。
国民の食を守るために、日本国政府が定めた法、植物防疫法に基づいて、都民の税と国税を用いてなされる検査業務。
同盟国である米国のテロ防止に協力するため、日本国内の領土でなされる軍事演習。
どちらが、優先されているのかは、言うまでもない。バロン西こと西竹一大佐が最後に戦死を遂げた北部の浜には、今も赤錆びた武器の残骸が残る。その上空を数分の間隔で米軍の軍用機がうなりを立てて飛んでいく。自衛隊との合同演習がされているのだ。
それはともかく、病害虫のサンプル採取の検査業務そのものは数時間ですむ。だが、厚木や狭山基地からのフライトは限られているから、現地には一泊しなければならない。おまけに、本土から1300キロも離れている。通常のテレビは入らない。そこで、あてがわれた将校用のゲストハウス。それも、案内が全部米語で書かれていることが、この国の統治状況を象徴しているのだが、衛星放送でも見てくださいといわれてスイッチを入れたのだ。
すると、スイッチを入れるなり、チャカスカ・チャカスカと耳に覚えのあるリズムが聞こえてくるではないか。
「あれ、これってキューバ音楽?。でも、米語ばかり書かれている部屋でなぜ、こんなリズムが」
番組を見ていると、それが前述したBS朝日のキューバの音楽番組だったのだ。なんというシンクロニシティ。人生にはときにこうしたことがある。