没落屋

吉田太郎です。没落にこだわっています。世界各地の持続可能な社会への転換の情報を提供しています。

カマグェイへ

2010年05月16日 12時30分25秒 | キューバ

 夜22発の夜行便は中国製の大型バス。瀬戸さんからアドバイスがあったように驚くほど冷房が聞いている。長袖シャツを着た。

 バヨナ氏とは隣ひとつ離れた席だが、キューバ人と結婚したというペルー出身の女性が夫の実家のカマグェイへ里帰りということで、会話が始まる。ほとんど眠らず、早朝6時にカマグェイについた。
 
 実は、カマグェイとサンクティ・スピルトゥス州を訪ねてみたかったのにはわけがある。もう10年近く前になるが、2002年に衛星放送、BS朝日でキューバの音楽をたどる紀行番組「トロバドールの旅」というドキュメンタリーを見たことがある。コーディネートしたのは、今回の旅でも世話になった瀬戸くみこさんだ。

 その番組で降雨量が少ないため、水を溜めるための甕があちらこちらにあるカマグェイの街中の風景とサンクティ・スピルトゥス州のヤヤボ川にかかる石の橋が出てきたのだ。しかも、この番組を見た場所が、硫黄島という特異な場所であっただけによりいっそう強い印象が残った。

 硫黄島は、我が旧帝国陸軍が米軍を相手に壮絶な玉砕を遂げた第二次大戦当時の激戦地で、渡辺謙主演の「硫黄島の手紙」で有名になったが、硫黄島とはいまもつながりがある。

 私が勤務する農業大学校のある松代町は、この小笠原兵団を率いた栗林忠道師団長の出身地なのだ。

 さて、日本に返還されて以降、行政的には東京都に所属するが民間人は居住せず、自衛隊の基地があるだけだ。だから、本土からのアクセスも自衛隊の軍用機があるだけで、普通の市民が観光で訪れることはない。
 だが、日本は南方からの病害虫の侵入の脅威にさらされている。そのひとつにミカンコミバエというものがある。柑橘類を食い散らかすやっかいな害虫だ。そこで、この害虫がいないかどうか、都では植物防疫法に基づいて検査を行っている。
この仕事のために、硫黄島に飛んだことがあるのだ。それも、都民のためには申し訳ないが、ほとんど意味がない役所仕事であったことをここで白状しておこう。

 実際にミカンコミバエを検出するためには、果実類が実っている時期に行かなければならず、実が落ちた冬季に現地に出向いても意味がない。だが、2001年に9.11テロがあったため、軍事演習が優先され、予定した時期に飛べなかったのだ。

 国民の食を守るために、日本国政府が定めた法、植物防疫法に基づいて、都民の税と国税を用いてなされる検査業務。
 同盟国である米国のテロ防止に協力するため、日本国内の領土でなされる軍事演習。
 
 どちらが、優先されているのかは、言うまでもない。バロン西こと西竹一大佐が最後に戦死を遂げた北部の浜には、今も赤錆びた武器の残骸が残る。その上空を数分の間隔で米軍の軍用機がうなりを立てて飛んでいく。自衛隊との合同演習がされているのだ。

 それはともかく、病害虫のサンプル採取の検査業務そのものは数時間ですむ。だが、厚木や狭山基地からのフライトは限られているから、現地には一泊しなければならない。おまけに、本土から1300キロも離れている。通常のテレビは入らない。そこで、あてがわれた将校用のゲストハウス。それも、案内が全部米語で書かれていることが、この国の統治状況を象徴しているのだが、衛星放送でも見てくださいといわれてスイッチを入れたのだ。

 すると、スイッチを入れるなり、チャカスカ・チャカスカと耳に覚えのあるリズムが聞こえてくるではないか。

「あれ、これってキューバ音楽?。でも、米語ばかり書かれている部屋でなぜ、こんなリズムが」

 番組を見ていると、それが前述したBS朝日のキューバの音楽番組だったのだ。なんというシンクロニシティ。人生にはときにこうしたことがある。


市場競争原理

2010年05月16日 12時09分31秒 | キューバ

5月2日。市内散策を終え、一段落したので、ホテル・サン・ミゲルの隣にあるカフェ・テリアで軽食を取ることとした。ミゲル氏と店に入ると、ウェイターが「おお、セニョール・トゥ・コーラ」と話しかけてきた。

 ちなみに、トゥ・コーラとはキューバ製のコーラのことだ。昨年の5月にサン・ミゲルに宿泊していた折には何日かこのレストランで夕食や昼食を取ったのだが、その際、「コカ・コーラはどうですか」と言われたので、「米国は嫌いなのでトゥ・コーラしか飲まない」と言ったことが、印象に残っていたらしい。

 たしかに、東洋人が珍しいから覚えていたのだろうが、1年もたって一旅行者のことを記憶しているとは面白いではないか。何か不思議な気がした。

 時差ぼけで眠い。ホテルに戻り、仮眠した後、19時に起きた。今晩は22発の夜行バスでカマグェイに出発することとなっている。夕食をどこかで取らねばならない。

 だいたいキューバの飯は不味い。2007年のパルクの視察ツアー時には、オクシデンテ・ミラマルから500mほど離れたところにあるホテル・コモドロに滞在した。その際、ツアーメンバーの一部とともに、ホテル・コモドロの隣にあるホテル・メリア・ハバナの地下にあるイタ飯屋に入ったことがある。

 イタリアン・レストランでは、ガイドブックでは一押しのラ・ドミニカよりも、アバナ・ビエハのホテル・テレグラフォの隣にあるプラド・イ・ネプチューノが一番上手いとは思っている。だが、瀬戸さんによれば、この地域ではこのイタ飯屋、一番の評判だと言う。そこで、キューバについた晩には行ってみたのだが、やはり3年前と変わらず不味い。パスタを頼んだのだが、塩味がろくについていない。

「やはり、駄目か。仕方がない。今日はホテル・オクシデンテ・ミラマルで食うか」

 ミラマル・ホテルは、サービスも部屋もいい。だが、レストランの選択肢がないとガイドブックにも書いてある。他に誰一人として客がいないレストランで、さして期待もせず、魚料理を注文した。

 すると信じられないほど美味なのだ。おまけに、注文に来たお姉さんの英語の発音が信じられないほど美しい。ちなみに、数年前は、ホテルでもろくに英語が通用しなかった。だが、いまは、スペイン語で話しかけても返事は英語で返ってくる。

 キューバ人の英語は、スペイン語訛で米人にはともかく私には聞き取りやすい。能力もあるのであろうが、米人のあの口にこもったような発音は、聴いているうちにイライラしてくる。その点、キューバ人の発音は、アイウエオがはっきりしていて、わかりやすい。「アーバン・アグリカルチャー」が「ウルバン・アグリカルチャー」になってしまうし、「ユニセフ」も「ウニセフ」になったりする。が、それに注意していればOKだ。ところが、彼女の発音は違う。パルフェクト、いや失礼、ぺルフェクタメンテだ。さすが外資系。

 ちなみに今回の旅では、初めてホテル・ナシオナルに宿泊した。キューバで最も有名な超高級ホテルである。だが、飯がまずいのだ。おまけにあてがわれた部屋のスタンドがひとつ壊れていてつかない。クレームを言うと翌日には直っていたが、日本ではありえないようなポカミスだ。

「オテル・ナシオナルは国営なうえ、黙っていてもお客が集まる人気ホテルですから、お高くとまっていて、どうしてもサービスが悪いんです。レアル博士がやっているアバグアネックスやスペインとの外資系のホテルではまずそんなことはないのですが」
 と瀬戸くみこさんがこぼす。やはり、観光業にあってはある程度の市場競争原理は必要なのである。


ハバナの旧市街の再生

2010年05月16日 11時19分47秒 | キューバ

 5月2日。自然史博物館を後にして、昨年の5月に時間不足で見ることができなかったハバナ歴史官事務所が取り組んでいる景観修復プロジェクトのいくつかを見ることとする。

 とりわけ、訪れてみたかったのは、職人養成学校ガスパル・メルコル・デ・ホベジャノス職業訓練学校だ。昨年の取材でマルタ・オナイダさんから資料はもらっている。だが、実際に学んでいる学生の姿を見てみたかったのだ。もちろん、今回の旅は取材ビザをとっていないから、インタビューはできないが、せめて写真だけでもと思ったのだ。

 正確な場所はわからないが、聴けばわかるだろう。

 ミゲル・バヨナさんが、アフリカの家のスタッフに尋ねると、有名な施設だけあってすぐにわかった。だが、キューバのことだ。案の定、学校は休みで入ることすらできなかった。これほど左様にキューバの取材は時間をたっぷりとっておかなければ難しい。

 とはいえ、驚いたのは学校のあるその場所だ。アバナ・ビエハのサン・フランシスコ・デ・アシス広場は、観光地だからもう何度も訪れている。広場に接した一角には、道路にガラスを張って、地下構造が覗けるようにしている場所もある。職業校はその正面にあったのだ。

「なんだ。何回も前を通った場所じゃあないか」

 ストリートの前には、ヨーロッパからの観光客が列をなして歩いている。が、学校に着目している人は誰もいない。ネットでインター・プレス・サービスの記事を読み、この学校の存在を知った時には本当に驚いたし、マルタ・オナイダさんからパワーポイントで活動状況の説明を受けた時にはさらに感動した。やはり知識がないとモノは見えてこないのだ。

 さて、都市活性化、伝統文化の保全、雇用創出を組み合わせた歴史官事務所の壮大な取り組みについては、拙著「没落先進国」で紹介したが、その中でこう書いた。

「米国だけを見ていては情報が入ってこないということだ。海外=米国で情報が遮断されている日本でレアル博士の取組が話題にならないのもわかるような気がした」

 この文章を書いたのは、2009年の5月の取材以降、8月のことだ。だから、知らなかったミスは修正しておかなければならない。実は、今回キューバに出かける直前に、東京大学大学院工学系研究科の伊藤毅研究室で学ぶ樋口智幸氏から修士論文を送ってもらっていた。題名は「ハバナ旧市街・密集市街地における二層の街路空間システムの再開発とその評価」だ。

 氏は私のような付け焼刃の駆け足取材ではなく、2年半もかけ各種の西語文献を調べあげたうえに、2週間に及ぶ濃密な現地調査をしている。しかも、氏の論文を読むと伊藤研究室では2000年からハバナの都市調査を行っており、「宇野 悠里氏が2001年に執筆された重厚な修士論文から多大な影響を受けている」とも書いている。

 恥ずかしながら、私はこの論文も読んでいないし、東京大学の建築系ではレアル博士の取り組みが数年前からとっくに調べられていたことをまったく知らなかった。これがアカデミックだ。やはり、プロは違うのだ。

 さて、このブログは意識的に厭味ったらしくアカデミックについて書いている。だが、いくらアカデミックなプロには常識であったとしても、いわゆるプチ・キューバ・ファンたち。ハバナをただ訪ねるだけの観光客にとっても、レアル博士の取組みを知っていたらもっと楽しくなるだろう。ソニー・マガジンズ(2008)の「キューバの快楽主義に学べ・エウセビオ・レアルが教えるハバナの旧市街の正しい歩き方」には、さわりだけ取組みが紹介されているのだが、例えば、「地球の歩き方」のような大衆向けの通俗観光ガイド本には出ていないし、英文でのガイドブックも同じで、コラムにすら出てこない。

 つまり、拙著はプロのアカデミックからすれば、常識なのだが、庶民に簡単に読める形としてレアル博士のプロジェクトを紹介できた、という点で意味があると思っている。

 さて、さらに厭味ったらしくこの話題を続けてみよう。アカデミック的には常識であったとしても、私の目からしてもごく普通のキューバ・ファン。あるいは、キューバに関心がない人にとっても、レアル博士のプロジェクトは魅力的である。であるとすれば、なぜテレビ番組とかにならないのだろうか。いつまでもスポーツとサルサとゲバラばかりではないだろう。

 正しいかどうかはわからない。が、その理由のひとつを今回の旅で聞くことができた。

 実は、拙著、「没落本」を書いた後、某番組制作会社からレアル博士の取り組みを是非番組化したいので、企画作成のための情報提供に協力して欲しいとの依頼を受けたことがあった。だいたいこうした問い合わせは、企画時にはしつこいほど連絡があって、その後没になっても駄目になったことすら連絡がない。有償ならばともかく、無償で時間を割き、調べたりしているのだ。

 せめて、「駄目でした。ご協力ありがとうございました」

 くらいのリスポンスはあってもいいと思い、最初はずいぶんと腹立ったものだ。だが、有機農業や医療、教育とことごとく企画が没になっている毎に、ほとんどの制作会社からは返事がないので、「それが、この業界のルールなのだろう」と今では、さして驚かなくなっている。

 だが、キューバで、その没になった理由を聞いていささかあきれた。

「フィデル・カストロとのインタビューがあることが、番組制作を検討する最低の入り口条件」

 というのだ。ちなみに、フィデルは公式引退してからは希に海外のマスコミで報じられることはあっても、公式の番組に登場することはまずありえない。

 したがって、番組制作会社側の顔を立てつつ、かつ、米国のことも配慮して、キューバの取り組みを紹介する番組が没になるよう、意図的にそれを条件に附したのであれば、この某局のディレクターはなかなか政治的センスがある優れた人物といえる。だが、そうではなく、本気でカストロとのインタビューができると思って、それを条件に出したとしたら、間抜けとしか言いようがない。

 確かに巨大な経済大国日本からすれば、キューバは貧乏小国でしかない。だが、キューバ人にとってはフィデルは天皇陛下のようなものなのだ。

 立場を逆にして考えてみよう。20××年。没落日本の外貨獲得のため、観光業を柱に首都再生に取組む偉大な人物が登場した。水路や街並み。江戸の歴史景観を再生するプロジェクトは軌道に乗り、国際賞を総なめにする。アカデミックな歴史研究者であると同時に、数多くの観光企業や NPOのガバナンスにも長け、景気が低迷する中で困窮していた若者たちにも魅力的な就業先を作り出すことに成功する。その誠実で謙虚な人柄は、接する多くの人々から親しまれ、草の根の声から押され、パフォーマンスではなく、正真正銘の実力派として都知事にも当選する。仮にこんな人物がいたとしよう。その人を主人公とした番組を作るのであれば、本人のインタビュー、そして、プロジェクトに関る職員やプロジェクトで恩恵を得た庶民が登場すればドキュメンタリーとしては十分ではないだろうか。だが、

「ハポン?。ああ、ゲイシャとフジヤマとハラキリで知られた東洋の小さな国ね。昔は経済大国だったけど今は没落している。えっ、なに、最近面白いことをやっている都知事がいるので番組を作りたい。そりゃあんた、番組を作って世界に紹介してあげてもいいけど、天皇陛下がでなければ話にならんでしょう。なんていっても没落国なんだから」

 こんなことをキューバから言われたらどう感じるか。おそらく、ウヨでなくてもいささかの愛国心があらば、馬鹿にするなと怒るであろう。これほど左様にマスコミの感覚はずれている。と、厭味ったらしく思ったりした。