
JR京浜東北線の山手駅から麦田町に向かう一直線の商店街。銭湯「いなり湯」はその麦田寄りの方に位置している。 ここは通るたびに「ん?」と思わせる何かがある。 ![]() 銭湯の開店・閉店を知らせる札。 板に「ぬ」と書いてあるから「ぬいた」。つまりお湯を抜いたので営業終了という合図だ。 逆に営業開始の場合は「わ」と書いた板が下げられる。 ![]() サッカーボールに何かの動物。 これが猫であることを最近知った。 ![]() 煙突を登っているのは、猫の着ぐるみを着た“覗き”ではなく、猫のお飾り。 ![]() すす払い猫というそうだ。 ![]() むかし、番台から三助さんを呼ぶときに鳴らした拍子木。 1回だと男湯。 ![]() 2回打つと女湯だった。 ![]() 不思議な銭湯だな、と思っていたのだが、最近、こんな新聞記事が張られているのに気がついた。 これらは、作風も発表の場も銭湯にこだわるアマチュア芸術家、ウエハラヨシハルさんの作品なのだった。 なぜ猫なのかも、これで分かった。温かいところを好むから「銭湯に猫」。 作品は外壁や煙突だけではなく、脱衣所や浴室にも展示されているそうだ。 風呂栓を10個つけた招き猫・「栓10招き猫」とか、バナナをつけたセントバーナード犬・「銭湯バーナナ犬」など、駄洒落作品が並んでいるという。 これは行ってみなくちゃいかんね。 1950~60年代前半、神奈川県内の銭湯は800軒を超えていたのだが、現在は230軒程度に減少している。 ウエハラさんは、「銭湯を活気づけたい」という思いで、1996年から銭湯での作品展を始めたそうだ。 ![]() これの意味が分からん……。 ところで、ここ「いなり湯」という名前の由来は何だろうか。 ![]() おそらく、これだろう。このすぐ近くに「第六天稲荷」があるので、それに因んで名づけたに違いない。 さて、この商店街を抜けて、麦田町を横切って丘を登ると、そこは山手だ。 雙葉学園の横で、こんなプレートを見つけた。 ![]() かつての町名(今はない)をつけたNTTの電柱である。 雙葉小学校から石の階段を下りビヤ坂のまで至る坂がある。これを稲荷坂というので、おそらく、これをそのまま町名としたのであろう。いや、いや、逆かな。稲荷町から坂名を付けたのかもしれない。 しかし、そもそも坂や町名の由来となった稲荷はどこに? ![]() この地図は昭和初期のもの。 青丸の部分に稲荷町と書いてある。 その近くにあるのが諏訪神社。 現在、ビヤ坂と呼ばれている坂のところには「諏訪町」の文字が見える。 この町名が諏訪神社に由来することは明らかだ。 ならば雙葉小学校横の坂は諏訪神社に因んで稲荷坂と名づけられ、町名も稲荷町とされたのではないか。 話題が不思議な銭湯から、不思議な町名に移ってしまった。 これについては、いずれまた。 ![]() 「ハマる横浜中華街」情報はコチラ⇒ ![]() |
看板が「ぬ」でしたので。
まだ、営業前でした。
湯船の中にも作品があったりして楽しいですよ。
かく言う私、この会の初期メンバーでもあります。
「横浜銭湯めぐりの会」
http://www005.upp.so-net.ne.jp/sento-meguri/sento.htm
稲荷湯も、もちろん何度も入っています。
黒湯の電気風呂が特徴ですね。
久しぶりに行ってみるかなあ・・・
中華だけではなく、銭湯まで!
いろいろ顔を出しているんですね。
いなり湯の黒湯は痺れるとか聞きましたが、
電気だったんですか。
行ってみなくちゃ。
「弓射る(湯入る)」です。
昔TVで見ました。
いなり湯にあったのは気づきませんでした。
弓矢の飾りは「弓」を「ゆ」と読むことから「湯=お風呂屋」の看板です。
江戸時代は文字の読めない人もいたので、商店は取り扱い商品の模型を掲げるか、このようなトンチのきいた看板(正確には板ではありませんが)を店頭の軒先に下げていました。
地方の風呂屋も同じことをしていたのか、はたまた江戸の粋の世界だったのかは、私も勉強不足でわかりません。
湯に入る、ということですか。
なるほどね。
酒造家の軒先にある杉玉もそうですね。
なかでも銭湯は粋な場所だったのかな。
江戸っぽいですよね。
銭湯探索興味深いですね。
建物自体が大きな存在感を放っています。
次回は、ゆっくりと湯に入ったレポも期待して良いでしょうか?
風呂上がりのビールと餃子なんて…
(^q^)
子どもの頃、我が家には風呂があったにもかかわらず、
近所の同級生と銭湯に行っていました。
楽しかったなぁ。
銭湯シリーズをやりますか。