私の所属する楽団の先輩が、デイサービスを利用する高齢者の送迎を行っている。その彼から見せていただいた、「利用者の様持ち歌」リスト。どなたが、どの曲を好んでいるのか、一目で分かるようになっている。いわば、今どきの懐メロ集である。 懐メロといえば、むかしは「湯の町エレジー」とか「酒は涙か溜息か」のような古賀メロディーと相場は決まっていた。私たちが若いころ、老人ホームへ出前演奏に行くと、みなさんから喜ばれるのが、こういった曲だった。 当時の高齢者というのは、たぶん明治生まれの人たちだったと思う。そんな彼ら、彼女らが懐かしく思う曲が、あの古賀メロディーだったのではないだろうか。 老人ホームで演奏するようになり、若かった私は必死で懐メロを覚えた。「湯の町エレジー」、「酒は涙か溜息か」はもちろん、「青春日記」、「人生の並木路」「名月赤城山」などなど……。 あれから30年。今も年数回は高齢者向けの出前演奏を行っているが、もはや昔のような懐メロはあまり喜ばれなくなってきている。デイサービスで好評なのは、「高校三年生」や「上を向いて歩こう」、「伊勢佐木町ブルース」など、1960年代に流行った歌謡曲のほか、≪利用者の持ち歌リスト≫にあるよな演歌である。 ←画像をクリックして拡大 以下のような曲が並んでいる。 さざんかの宿(大川栄作) 奥飛騨慕情(竜鉄也) 花笠道中(美空ひばり) 風雪流れ旅(北島三郎) 望郷酒場(千昌夫) 北の漁場(北島三郎) 長崎は今日も雨だった(内山田洋とクールファイブ) 宗右衛門町ブルース(平和勝次とダークホース) 女のみち(ぴんからトリオ) 五番街のマリー(ペドロ&カプリシャス) シクラメンのかおり(小椋佳) この辺は我々もカラオケでよく歌っていた。 リストには私の知らない歌も並んでいる。 契り酒(鏡五郎) 伊豆の宿とあるが、修善寺の宿かな(鏡五郎) 宇奈月の雨(鏡五郎) 折鶴(千葉紘子) 鳥取砂丘(水森かおり) これは数名が持ち歌にしている。 これらは、懐メロではなく、最近の曲のようだな。 高齢者の持ち歌だから、もちろん古いのもある。 赤城の子守唄(東海林太郎) 名月赤城山(東海林太郎) 東京だよおっかさん(島倉千代) 月がとっても青いから(菅原都々子) 芸者ワルツ(神楽坂はん子) 東京音頭(作詞西條八十、作曲中山晋平) あざみの歌(伊藤久男) みかんの花咲く頃、これはみかんの花咲く丘だろうね。 東京ラプソディ(藤山一郎) 話がそれるけど、古賀政男が作曲した「東京ラプソディ」というのは、スペイン民謡の「スペインの花」を真似して作ったと言われている。動画のコメント欄に≪藤山一郎の「東京ラプソディー」に似てますねw≫なんて書かれているけど、似ているどころではなく盗作の疑いもあるのだ。 しかし、この話しにはさらに問題があって、「スペインの花」の作曲者、カサドその人がオーストリアだったかどこかの国の古い民謡を組み込んで作曲したという噂も。こうなると作曲なのか、○○を主題とする××変奏曲なのかということになってきて、素人は大混乱するのである。 リストの方に戻ろう。演歌ばかりではなくこんな曲も入っている。 サントワマミー サルヴァトール・アダモの歌であるが、日本では越路吹雪が歌っていた。洋楽で入っていたのはこれ1曲だけだったが、ご利用者様はアダモの歌というよりも、越地吹雪のファンだったのではないだろうかね。 ということで、ざっと眺めてきたが、純粋な洋楽がランクインしていないのは、どういうわけなんだろうか。 いま、我々が訪問する高齢者施設に来られている方々は、昭和10年代頃の生まれだと思われる。そんな彼らが現役バリバリだったのは昭和50年代、スナックや酒場で歌うカラオケ演歌がブームになっていた時代だ。 子どものころ聞いていた曲よりも、彼らが一生懸命に働いていたころに、カラオケで自分が歌った音楽に懐かしさを感じるのだろうか。 ところで、カラオケといえば、先日の「天声人語」にその話題が出ていたよね。最近のはスクリーンに歌詞が表示されるので歌いやすいが、むかしは歌詞カードを見ながら歌っていたので難しかった、そんな話も書かれていた。 そうなんだよね、8トラックのカセットだったから伴奏を聴きながら歌うしかなかった。イントロのあとどこから歌いだすのか、難しい曲もあった。 私の所属する楽団にはNというベーシストがいた。彼はギターが専門だったのだが、ほかにコンサートでドラムを叩くほどのヤツだった。 そんな彼とスナックに行くと、必ずカラオケで遊んだものだ。まだ歌詞カードの時代だったから、歌詞を逆に歌うなんてことをやっていた。これ、平仮名の部分は簡単なのだが、漢字が出てくると一瞬にして逆さ読みを脳内で変換しなければならない。歌いながら次の漢字を眺めて読み方を考えるのだから、たいへん難しい遊びだった。 ジャズ界ではピアノのことをヤノピとか、森田のことをタモリというような逆さ言葉が流行っていたから、歌詞をまるごと逆から歌うなんて遊びを考え出したんだよね。 これができるようになったら、次は別の曲の歌詞で歌う、なんていう遊びもやりだした。歌う曲の長さを考慮しながら、別の長い歌詞や短い歌詞をあてはめていくのだからいくのだから、これはかなり難しかった。さらに逆さ歌詞でやるのは、最高難度ウルトラGだった。 またまた話がそれるけど、横浜市民なら多くの人たちが知っている「横浜市歌」。これは南能衛が作曲したメロディーに森鴎外が歌詞をつけたという話がある。音楽に詳しくなかったはずの鴎外が、「横浜市歌の譜を見て、直ちに塡詞した」ということを彼自身が日記に書いているのだが、はたして本当なのかなと思う。「曲が先で歌詞があと」だとしても、そんなすぐには書けなかったのではないだろうか。 カラオケで遊びながら、そんなことも当時は思いめぐらしていた。 そうそう、我が楽団にはもう一人、音楽に関する遊びの達人がいた。Mという男で、タモリのようにデタラメ外国語が非常にうまかった。 「サントワマミー」や「雪は降る」をフランス語で歌わせたら、まるでフランス人のようにやっていた。もちろんデタラメロシア語で歌う「カチューシャ」、「カリンカ」もすごかったし、デタラメ朝鮮語で歌う「アリラン」も本物ぽかった。カラオケがない曲はNが弾くギターに合わせ即興でやっていたものである。 そんなNとM。今日も天国で演奏しているのだろうね。 「ご利用者様の持ち歌リスト」を見ていろいろなことを思い出した。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
戦前の歌が好きです。
今も懐メロを聞きながら打ち込んでいます。