エッセイ -日々雑感-

つれづれなるままにひくらしこころにうつりゆくよしなしことをそこはかとなくかきつくればあやしゅうこそものぐるほしけれ

ケ・セラ・セラ

2017年12月05日 | 雑感

                                                                                                          2017年12月5日


前回、“はしだのりひこさん”のことを書いた。 彼の歌の中でとりわけ“風”、が好きだった。

ここで、私に影響を与えたもう一つの歌について書く。


1956年、ヒッチコック監督が「知りすぎていた男」という映画を作った。

そのときの主演女優の「ドリス・デイ」が唄ってアカデミー主題歌賞を受賞した作品だ。

我々の年代のほとんどの人は憶えているはずだ。

                        


   “ケ・セラ・セラ” - なるようになる“

      When I was just a little girl,

      I asked my mother

      What will I be?

      Will I be pretty will I be rich?

      Here’s what she said to me.

      Que sera sera

      Whatever will be, will be

      The future's not ours to see

      Que sera, sera

      What will be, will be.

 

     “子供の頃、ママに、私は将来どうなるの?

       可愛くなるの、お金持ちになるの?

       お母さんが云うには明日はあしたのことよ

      私達には、未来のことはわからないのよ、

      ケ・セラ・セラね“


高校時代にはしょっちゅう、そして15年ほど前までも年一回は泊りがけで高校山岳部の小屋に行った。

そのときに囲炉裏を囲んで皆で歌をうたう。

ふるさと、仰げば尊しなどの日本の歌、遠いまちへ(ドイツ民謡)やジグリー(ロシア)などの外国の曲。

外国のものは日本語訳しか歌えなかった。 しかし、愛しのクレメンタイン(Oh my darling Clementine:

雪山讃歌)谷間のともしび、レッド・リバー・バレーなどは、英語の歌詞で歌っていた。

カラオケではジャンバラヤなどの結構むつかしい歌も原語で歌えた。


そのもとを作ってくれたのは、中学校の音楽担当のN先生だった。

先生は音楽学校を卒業してまもなく私らの中学校に赴任されてきた。

いつも不機嫌だったし、こわかった。

授業前にガーンとピアノの鍵盤をたたいて、なにかわからない曲を弾かれたこともある。

いつもイライラしていた。


先生はある日、私らにガリ版刷りの歌詞を配り、“今日はこれでやる”、といわれる。

それが ”ケ、セラ、セラ”で、歌詞は英語で書かれていた。その授業は楽しくあっというまに時間は過ぎた。

あれが、私のうけた授業の中で一番役にたった授業、生きた授業だった。

はみだし授業だったが、先生にとってはお仕着せの歌などばかばかしくて毎日教えてられない、

ということだったのだろう。

当時では教えられない短縮音発声も、ここで覚えた。

今から60年以上前の公立中学の英語授業では、スピーキングはまずなかった。

家内の行っていた私立中学では英会話の授業があったということだが。


ケ・セラ・セラは今でも最後まで歌えるし、“風” と同じようになんでもない時に、ふっと口から

出ることがある。

N先生に感謝。