2017年12月11日
" 「さうね、私がロンドンからちょっと離れた田舎で暮らした時、宿のおばあさんから教えて貰った
若鳥の蒸焼きをお話ししませうか。」これは昭和13年新年号に載った林芙美子の文である。
昭和20年代、どの家も貧しくうちも例外ではなかった。その中で母は4人の子供たちにできるだけの
楽しみを与えようと工夫した。
その一つがクリスマスの日の鶏料理だった。当時鶏は高くて気軽に食べられるものではなかった。母は
筋金入りの根気と遊び心で毎日5円玉を貯金箱に入れ、溜まったお金でイヴの日に、林芙美子のレシピに
したがって鶏の蒸し焼きを作るものだった。"
この一文を2006年、シダックスの “マザーフード” という企画に応募したら採用された。
私にとってクリスマスは貧乏ながら大層豪華で楽しいものだった。
たぶん小学校3年生くらいまでサンタクロースを信じていた。
結婚した相手、つまり家内もクリスマスに一生懸命だった。
子供が小さかった頃、我が家のクリスマスモードは夏の休暇が過ぎ、秋が訪れる頃からすでにはじまる。
私は家内が飾るクリスマスオーナメントのそれらを見ながら「ビンボー人のささやかなクリスマス」と
よく笑ったものだ。
安月給・貧乏人だったが、同じ団地の子供たちを集めてできる限り豪華に楽しんだ。
招待された子供たちはみな精一杯おしゃれをして澄ましてやってきた。
「ほら、聞えるかな、サンタの橇の音!」
子供たちは「うん、聞える、きこえる」と私に合わせてくれる。
クリスマスのなつかしくも楽しい思い出だ。