エッセイ -日々雑感-

つれづれなるままにひくらしこころにうつりゆくよしなしことをそこはかとなくかきつくればあやしゅうこそものぐるほしけれ

 行きずりの人を助ける

2017年01月15日 | 雑感

2017年1月15日

 

 街の真ん中で倒れても、早急に人は助けてくれないようだ。

一昨年、大学の同期生Kが地下鉄のホームで気分が悪くなって倒れた。

                                          

「そのとき不思議な気持ちになったんや。、沢山の人が皆通り過ぎる、そのうちやっと駅員が来てくれたが、

見向きもせんとさっさと通り過ぎる人を、倒れて見上げてるのはほんまに不思議な感覚やった!」

その後、なんとか彼は友達の写真展までたどり着き、そこで本格的な脳梗塞となり入院した。今は回復している。

街中で倒れても人はすぐには助けてくれないという記事が3日ほど前の新聞に出ていた。

関わり合いになるのがイヤなのかもしれないが、それだけではないと思う。

“いっぱい人がいる、まあ誰かが助けるだろう、面倒くさい、目立つからカッコ悪い、etc. etc.”。

 

 これが、ちょっと人通りが少ない場所になってくると、通りすがりでも責任割合感が大きくなってくる。

そこら辺の山で具合が悪くなると、対処が不能の場合はともかく通りがかりの者が助けてくれる。

私の知り合いにも滑落しかけて頭に傷を負った、足を痛めて歩行困難になった、

そしてそれぞれ行きずりの人に助けてもらって山から降りてきた人たちがいる。

 

去年の夏、改装成った姫路城に家内と娘と3人で行った。

すごい人出、つづら折りの坂道を行列でぞろぞろ上がる。ものすごく暑い。

とある曲がり角で一人の年配の女性が石垣に寄りかかってへたっている。

私はその女の人のグループの案内人を助けて彼女を日陰の方に連れて行った。

彼女の体型、歳など見ると、この暑さの中では土台無理な観光だ。

職員を呼ぶ必要があるかどうか案内人に聞くと、彼は一瞬考えて、“お願いします”。

私が来た道を駆け下りて薬箱をかかえた職員をつれて戻ってきた時には、上の方から別の職員が来て

手当をしていた。


 やがて城の中の急な階段を上り始めて、先ほどの親切のつけがまわってきたことを感じた。

足どりがおぼつかない。うしろから娘にささえられてやっと天守閣まで登った。

昨日の温泉宿での酒のためもあるが、歳も歳だ。馬鹿なことをしたものだ。

家内から「あなたはなにかあると必ずそこへ寄っていく、歳を考えるべきだ」と叱られた。もっともだ。

 

次は家内の話。

地下鉄の駅で上りエスカレーターに乗った時のこと。

家内の前にいた太った年配の女性が荷物を両手にぶらさげやじろべえみたいに右に左にゆれている。

危ない! と思った家内は数歩駆け上がって女性を支えようとした。しかし支えきれずその女性の下敷きになって

そのまま下までズルズル落ちていった

だれかが非常ボタンを押してくれ、エスカレーターは止まった。

やっと立ち上がれた家内はオバサンの荷物を持ち、片手でオバサンを気遣いながら、二人で止まっている

エスカレーターを上って行き、オバサンにその荷物を渡した。

しかしオバサンは家内に礼も言わず振り向きもせず、さっさと去っていった。

よくケガをしなかったものだ。


そのあとの家内の行動が面白い。

あのおばさんは礼も言わずに去って行った、もしかしたらイエス様かもしれない、何かいいことがあるかもしれない。

すると、ちょうど目の前に、宝くじ売り場があった。だから宝くじを買った。

後日、結果は当然の帰着となり、あのおばさんはイエス様ではなかった、ただの太ったオバサンだった、と

いたく憤慨していた。 彼女は時々わけのわからないことを考える。

 

10年ほど昔のことだ。