エッセイ -日々雑感-

つれづれなるままにひくらしこころにうつりゆくよしなしことをそこはかとなくかきつくればあやしゅうこそものぐるほしけれ

字を変える

2017年01月21日 | 雑感

 2017年1月21日

 

 前々回のブログで、友人SとKのメールでのやりとりを書いた。

 内容は、伊勢二見ヶ浦のエボシ岩がカエル岩に改名された由来を書いた立札に

関するものだった。

烏帽子のカラスの字が“烏”ではなくて、“鳥”だったのを社務所に注意した。

その後どうなったか気になっている、とSとKにメールしたら、Sから立札の写真が送られ

てきた。それは“鳥”の横一本をペンキで消して“烏”にしたものだった。

Kが話にからんできて、三国志の話になって・・・。

                                     

 このメールをK’に転送した。我々はすべて大学の同期生だ。

 

K’から返事がきた。

「ご三方の教養ある(?)メールのやり取りに感心した。

特に、Kの博学なのには感心しました。よく読書しているのだろうなあ。まあ、ちょっと

似た話で、出町柳付近の道ばたに、白地に黒で「愛人の美容とホテル」という、それほど

大きくない看板が出て、ギョットして、バイクを止めて良く見たら、「犬」を修正ペンか

ペンキで「人」に直したものだった。   永らく訂正されないままになっていた」

 

 

京都の夏の風物詩に五山送り火がある。

この送り火の中心大文字山の「大」の字、これを変形させようというイタズラが地元の

R、O高校の悪童連に伝統的にトライされていた。

「太」にするのは難しい、観衆の真下だ。「犬」なら上だから気づかれにくい。

やりかたは、懐中電灯を数本まとめてつける、空き缶に入れたガソリンに火をつける、

など。やったら、すぐ上に逃げる。

しかし皆へっぴり腰でやるものだからたいしたものにならない。

“見えた”という者もいれば“見えなかった”という者もいる。 私は見たことがない。


60年ほど前、いやそれ以上前からのことだから時効かもしれないが、地元の人に

とってはとんでもないことだ。


今では五山の送り火は関係者以外には入れない。