エッセイ -日々雑感-

つれづれなるままにひくらしこころにうつりゆくよしなしことをそこはかとなくかきつくればあやしゅうこそものぐるほしけれ

子供の頃のこと(1) - はんたいことば

2016年10月03日 | 雑感

 

 2016年10月3日

 

私は幼稚園にいっていない。だから字を覚えたのは昭和23年(1948年)に小学校に入ってからだ。

 はじめてもらった国語の教科書で、私が初めておぼえた文は、

「おはなをかざる みんないいこ きれいなことば みんないいこ」だった。

 

                   

 

 さて写真の文字は“はんたいことば”の鏡文字で、鏡文字は幼児がよく書くが、この文とは関係ない。

関係するのは“はんたいの意味のことば”だ。

 

一年生の終わりのころだろうか、「〇〇の“はんたいことば”をかきなさい」という授業があって、ガリ版刷のプリントが配られた。

 

わたしは自信を持って、“たかい”に対して“いかた”、“おそい”に対して“いそお”と書いた。

 

返されてきたプリントにはすべてペケがつけられていた。

この授業は数日続いたと記憶しているが、返ってくるのはペケばかり。私はそれを繰り返してもなんとも思わなかった。親は子供が持ってかえってくるプリントなど見もしない。

この“はんたいことば問題”は、もう少し私が成長して自力で理解するまで待たねばならなかった。

 この先生は、私の記憶の中で良くない先生と位置付けられている。

子供はどんなに幼くても、大人の行動がわかるものだ。先生の良し悪しは小学校の低学年でもわかる。

 

たとえば、ひいきの話。

私の娘と息子は同じ幼稚園にかよっていた。

後年、ひいきという点にからんで幼いころの幼稚園の先生が話題にのぼった。

 

娘に「お前の先生はどうだった?」と聞いた。

すると彼女は「N先生(息子の先生)はとてもいい先生だった、でもわたしの先生だってだれかをひいきしていたということは絶対ない、皆に対して全員平等に不親切だった」と答えた。大笑いとなった。 含蓄のある、ウイットに富んだやさしい答えだ。

 

オトナに対する子供の眼は、彼らがどんなに幼くてもするどい。だからオトナたちはそのことをよく心して子供と接しなければいけない。

 

 

                    2014年8月8日記