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遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

古面34.癋見(べしみ)3・・・九州系神楽面?

2022年06月15日 | 古面

今回は、ラフな造りの癋見(べしみ)面です。

幅17.6㎝ x 長27.7㎝ x 高9.5㎝。重 616g。江戸時代。

表も裏も、これまで紹介してきた面の中で、一番荒い造りの品だと思います。

木彫の上に胡粉塗り、赤、黒彩色がなされています。

一応、癋見(べしみ)面の特徴を備えていますが、土着の匂いが強い面です。

この品は神楽面として購入しました(本当に神楽面かどうかは不明)。このように素朴な彫りに赤塗りをした古面は、九州方面に多く見られます。

故玩館には、九州系とおぼしき古面がまだこんなに控えています。彼らも、いずれまたブログで。

 

さて、今回の面ですが、左顎の辺りに疵が有る?

よく見ると、疵ではなく、

木の節でした(^^;

裏面を見ると、

左の額にも節があります。

節のある材を使った古面は初めてです。その辺に転がっていた木を削って面をつくったのですね(^^;

いかにも粗雑な造りの面ではありますが、素朴な表情の中にき真面目さがうかがえます。見方によっては、凛としたおももち(^.^)

先輩の癋見(べしみ)たちに混じっても、

遜色はありません(^.^)

そんな彼の鼻も、

先が削られていました。

欠け鼻先の謎は深まるばかりです(?_?)


じゃがいも、マルチ&(逆さ)浅植えで大豊作

2022年06月13日 | ものぐさ有機農業

ジャガイモを収穫しました。

毎年、同じ場所でつくってきました。つまり、超連作。それでもまずまずの採れ具合でした。こまめに堆肥を入れて何とかなっていたのです。が、昨年はいつになく不作。しかも、年々、ソウカ病が酷くなってきて、もう中学生坊主のように吹き出物がいっぱいで、これまた何とかしなければと思ってました。

そこで今年は、巷で話題の浅植えマルチ栽培をしてみようと思い立ちました。草取り、土寄せ不要ですから、ものぐさ有機農業にピッタリ(^.^)

加えて、ソウカ病対策は、アルカリ性厳禁ということで、有機石灰散布は無し。自家製の米糠堆肥を入れ、肥料は発酵肥料ソイルファインを蒔きました。畝幅1m、畝間80㎝にして、マルチを3列張りました。さらに、ソウカ病対策の一環として、半分に切った種イモを、ソイルファインエキス(液肥)に5分間浸し、一日乾燥して植え付けました。

流行の植え方では、切り口を上にした逆植えが推奨されています。しかし、これが絶対かどうかはわかりません。また、植える深さもどれくらいがよいのかも不明です(巷の方法では、地表に置いていくだけの超浅植え)

そこで、種イモを植える向き(順、逆)と深さ(浅、中深)の条件を変えて、結果みることにしました。

2週間前、6月1日の様子です。

左2列がメークイン、右は男爵です。

各列の手前側半分が逆植え、残り半分が順植えです。

左列は中深植え(3㎝ほど)、中列は浅植え(切り口を上向きに置いて、軽く土を振る)、右列は深植え(10㎝ほど)です。

いずれの列も、地上部の生育は順調です。

本日、6月13日、地上部を撤去。

左と中央のマルチをめくると・・・

両畝とも、地表にジャガイモが現れています。その量は、真中の浅植えの方が多いです。

地中のジャガイモは、手で簡単に掘り出せます。

地表と地中のジャガイのを合わせた状態で、順、逆 X 浅、深 を比較してみると、4通りの方法に、収量の差はありませんでした。いずれの方法でも大量のジャガイモがとれました。ただ、収穫は、浅植えの方が楽でした。

 

モグラの穴があった所は、株がなくなっていました。

ソウカ病は残っていますが、例年と較べればきれいな顔。この程度ならまあ良しとしましょう(^.^)

これではまるでジャガイモ農家(^^;

まだ、男爵が残っています(^.^)


古面33.癋見(べしみ)2・・・大陸系古面?

2022年06月11日 | 古面

今回も古い癋見(べしみ)面です。

幅17.4㎝ x 長23.0㎝ x 高7.6㎝。重 422g。室町―江戸。

少し大型の面です。能面系ではないようです。

木彫木地に胡粉を塗り、黒、赤色に彩色してあります。塗りの剥落している部分を見ると、一番下に紙があります。この面は、以前紹介した般若面と同じく、木彫の上に和紙を貼り、その上に胡粉、漆塗りをしていることがわかります。

カッと見開いた眼と、

グッとくいしばった口。

眉毛、口髭、顎髭は、植毛されていたようです。一部が残っています。

額から鼻にかけて、虫食いではなく、磨られたようになっています。

特に、鼻の先がスパッと切れたようになっています。

裏面の彫りは大変深く、これまで見てきた古面にはなかった彫り方です。

眼は深い円錐になっています。

さらにこの面で特徴的なのは、異様に大きな耳です。

故玩館には、古面に関する書籍や図録が70冊ほどあります。それらを繰ってみると、このように大きな耳は、伎楽面に多く見られることがわかりました。

伎楽面「力士」、奈良時代、東大寺蔵(『大和の仮面』奈良県立美術館、昭和53年)

耳や髭、怒った表情が似ています。

他にも、表情が似ている面(行道面)がありました。こちらには、耳、髭はありません。

行道面「王鼻」、鎌倉時代、知立神社蔵(『仮面の美』熱田神宮、平成16年)

伎楽面は、7,8世紀頃行われていた歌劇、伎楽で用いられた仮面です。飛鳥時代に大陸から伝来し、法隆寺、東大寺に多く収蔵されています。行道面は、大寺院の儀礼で境内を練り歩く時に用いられた面で、9世紀頃、インド、中国から伝わりました。

能面系統の古面とは異なり、いずれも大型で、大陸的風貌を備えています。

先回の癋見(べしみ)と今回の品を較べてみると、今回の面は、どことなく大陸的な雰囲気が感じられます。

これまで、古面の鼻先の欠けは、寄木でつけた部分が外れたものだとばかり思っていました。しかし、上の図録の面も含め、平らな鼻には共通的な様式があるように見えます。鼻先はくっつけた部分が外れて失われたのではなく、何かの理由(宗教的?)により、鼻先、そして額が削られたのではないかと、今は考えるようになりました(^.^)


古面32.癋見(べしみ)1・・出目是閑作!?

2022年06月09日 | 古面

能面「小癋見」、赤鶴吉成作(『能楽古面輯』昭和16年)

これまで、顰(しかみ)面をいくつか紹介してきました。顰(しかみ)とならんで、もう一つの男鬼の代表が、癋見(べしみ)面です。癋見(べしみ)とは「口をへしむ」から来ていて、口を真一文字に力強く結んだ面です。「顔をしかむ」から派生した顰(しかみ)面は口を大きく開いていますから、両者は阿吽の関係にあると言えます。

今回は、古い癋見(べしみ)面です。

幅14.0㎝ x 長17.2㎝ x 高5.4㎝。重 136g。室町ー江戸時代。

やや小型の面で、精緻に彫られています。木地の上に胡粉を塗り、肌色?に彩色されています。髪や髭は黒で描かれています(一部残存)。唇は赤、眼は黒に塗られています。全体に塗りの剥落や虫食い、風化が酷いです。

裏側は、あたかも独立した面のように彫られています。少々小型ですが、能面として生まれた面だと思われます。

眼はカッと開いています。額の大きな傷口は、虫に喰われた跡でしょうか。

口をグッと真一文字に結んでいます。癋見(べしみ)の特徴が良く現れています。

鼻先が削られたように平らになっています。これは、先の顰(しかみ)面のように寄木の鼻先が外れてなくなったものではなく、虫食いの結果だと思われます。なぜなら、左頬の先や額の一部も、虫に喰われた大きな跡が平らに削れたようになっているからです。

横から見ると、虫に喰われた様子がよくわかります。

 

 

右眉毛は、墨書きが残っています。

口元や

顎には、

点々と孔があいていて、植毛されていたことがわかります。一部は、毛が残っています。口元には、さらに墨書きで髭が描かれていたようです。

大切にされてきたのでしょう。

蔵票が貼られているとともに、

「出目是閑作」と朱漆で書かれています。

【出目是閑吉満(でめぜかんよしみつ)】大永七(1527)年? - 元和二(1616)年。桃山時代から江戸初期にかけての面打師。越前(福井県)大野の住人。能面打ちの名人で、豊臣秀吉によって「天下一」の称号を許され、子孫は代々面打を世襲した(大野出目家)。(「Wikipedia」による)

このような名人の作を私が持っているはずはありません(手が届かない(^^;)。

この朱書きは、付加価値を高めるため、後年(江戸?)に誰かが書き入れたものでしょう。

ただ、この癋見面自体は非常に古く、出目是閑よりも前の時代(室町)の品物かも知れません(^.^)


古面31.顰(しかみ)5(記年銘有り、室町?)

2022年06月07日 | 古面

今回は、一風変わった顰(しかみ)面です。

幅26.4㎝ x 長26.7㎝ x 高10.6㎝。重306g。室町時代?

大型で分厚い造りです。その割には軽い。木が枯れています。

稚拙とも思える、非常に素朴な面です。

つり上がった眼や、 

大きく開いた口。

牙も上下に2本ずつ生えています(よく見ないとわからないほど短い(^^;)

顰(しかみ)面の要素を備えています・・・・

が、何とも言えず、親しみのある表情で、怖さとは無縁です(^@^)

彫りが素朴なことも、独特の純朴な表情を醸し出す要因でしょう。

では、彫りの素朴さはどこから来ているかというと、全体に平面的な彫り方からだと思います。

特に、これ以上開けないほど大きな口に並んだ歯や、

耳、鼻は、

小学生が彫ったかと思われるほど単調です。眼も一段掘り下げてあるだけです。いずれも、細かく彫りあげて曲面にするのではなく、平面的なままです。

太い眉毛をよく見ると、

左右の溝の中に孔が3つずつ開いています。

この孔は、

裏へ抜けています。

どうやら、眉毛には毛が植えられていたようです。

 

この面の最大の特徴は、裏に墨書きがあることです。

故玩館には、100枚ほどの古面がありますが、墨書きの記年銘がある品は、わずか数点です。

古面のほとんどは、由来、目的などすべてが不明です。墨書きは、古面の素性を明らかにする際、手掛かりを与えてくれる貴重なものなのです。

「奉寄進」

「◯原清助」

「◯応?七年八月十六日」

肝心の年号が薄れてはっきりとは読み取れません。「◯応」が正しいならば、7年間以上続いた年号は、明応年間(1492-1500)しかなく、この面は、明応七年(1498)に、◯原清助によって、奉納された物ということになります。

このようなタイプの奉納面は古面の図録などにもしばしば見られ、一般に鬼神面とよばれています。能面として顰(しかみ)が成立する以前の初源的な面かも知れません。