今回は、少し変わった書です。
全体:43.6㎝x194.2㎝、本紙(紙本):34.1㎝x138.3㎝。明治。古今和歌集、恋1、477、詠み人知らず。
『志るしらぬ那尓可あや那く和幾ていはん
おもひ能ミ社し留へ奈り々禮』
「しるしらぬなにかあやなくわきていはん
おもひのみこそしるへなりけれ」
知る知らぬ何かあや無く分きて言わん
思ひのみこそ標なりけれ
古今和歌集にある歌です。
実はこの歌は、在原業平の歌に対する返歌です。
右近の馬場のひをりの日、むかひにたてたりける車のしたすだれより、女の顔のほのかに見えければ、よむでつかはしける
在原業平朝臣
見ずもあらず見もせぬ人の恋しくはあやなくけふやながめくらさむ
返し
よみ人しらず
しるしらぬなにかあやなくわきていはむ思ひのみこそしるべなりけれ
右近兵衛府の馬場で舎人が騎馬で試射するひをりの日に、向かいの牛車の簾下から女の顔がほのかに見えたので、中将であった男が詠んで贈った。
見たこともない、かと言って、はっきり見た訳でもない人が恋しいので、今日はやみくもにもの思いに沈んで過ごします。
返歌
知っているとか知らないとか、どうしてむやみに区別して言うのでしょうか。ただ一途な思いだけが、道しるべなのです。
在原業平も、見事に返され、形なしですね。
この歌は、伊勢物語にも出てきます。
「知る」とは、単に「見知る」のではなく、「交わりをもつ」、また、「しるべ」は、「恋の道しるべ」なのでしょう。
作品に移ります。
今回の掛軸は、これまで紹介してきた三輪田米山の書とは、かなり趣が異なります。
楷書的草書の一文字一文字を、とつとつと配置していくのが米山書の特徴でした。
ところが、今回の作品は、文字のつながりや流れを意識した書になっています。
米山の書のなかでは、幅の狭い用紙を使っています。そこへ、五七五七七文字を一気呵成に書きこんで(書きなぐって)います。
落款も、歌の中に溶け込んでいるかのようです。
「和幾ていはん」の句では、「て」の止めと「い」の打ち込みが、ダブっています(^^;
たぶん、ものすごいスピードで書いていったのでしょう。
このような筆の使い方は、彼の書では珍しいと思います。先に紹介した、晩年のとつとつとした書とは対照的です。今回の書は、おそらく、仮名と漢字混じりの和歌のスタイルを確立する以前、壮年期に書かれた物でしょう。
このように狭い幅の用紙でも、横長の文字は健在です(^.^)
どうやら、横長文字は、年齢や書幅に関係なく、三輪田米山の特徴の一つといえそうです。