先回のブログで、初期絵瀬戸と思われる大皿を紹介しました。
そして、このような品が、ひょっとすると、消えた美濃桃山陶と江戸後期に量産された絵瀬戸系等の陶器とをつなぐ物ではないか、との仮説を立てました。
今回の品は、この仮説をさらに補強する物ではないかと考え、アップしました。
径 22.1㎝、高 4.9㎝、高台径 9.8㎝。 江戸初期~中期(?)
全体に薄作りで、高台は高く、格式のある器形です。
高台内にも、釉薬が掛けられています。
うわぐすりは灰釉で、御深井焼のような雰囲気ですが、
器体には小穴が多くあり、御深井焼とは異なります。
中央部は、輪状に釉剥ぎされ、重ね焼きされた跡が輪線として残っています。
釉剥ぎ部分には、鉄釉が塗られているようです。
今回の品をもう一度よく見てみます。
外側に、大きなスペード状の模様が3つ、描かれています。これは葵、もしくは河骨の葉と思われ、織部焼きによく見られる図柄です。
よく似た皿が本に載っていました。
高台が薄く高い器形で、やはり中央が丸く釉剥ぎされています。その外側にスペード模様が描かれ、私の皿と非常によく似ています。中央には、型摺りで、葵(河骨)が咲いている様子が表されています。著者は、この皿が、江戸初期の美濃と後期の瀬戸をむすぶものではないかと述べています。
手描きと型摺を併用した同形の皿については、この道の先達、料治熊太が早い段階で注目しています(『明治印判の染付』工芸出版、昭和49年)。
やはり輪状に釉剥ぎがなされて、重ね焼きされています。釉剥ぎの外側に手書きで、内側には型摺で、菊が表されています。料治熊太は、この皿を、江戸初期、美濃清安寺窯の産であるとし、そこに、江戸後期の瀬戸民衆雑器のルーツを求めています。
再度、今回の皿を見てみます。
見込み中央には、笹紋が鉄釉で手描きされています。
この笹模様は、桃山~江戸初期の志野、絵志野小皿によく見られます。蘭竹図と言われることもあります。
志野陶片(発掘) 最大径 12.0㎝
そういう目(欲目(^^;)で高台をみれば、美濃の土と思えなくもありません(^.^)
私は、これまで、他に3枚、店舗でも類似品を見ました。いずれも、見込み中央部には、型刷りの模様が置かれていました。なぜか、手描き模様は少ないのです。
今回の皿は、美濃織部に特有のスペード形葉模様と志野に多く描かれた笹模様、両方を一枚の皿に盛っています。そこで、この皿を、絵瀬戸ならぬ、『絵美濃』と呼ぶことにしました(^.^)
『絵美濃』は、桃山美濃陶が廃れ行く時、その精神を後世に伝えようとしているかのようです。
Dr.Kさんや酒田の人さんも、高い高台と釉剥ぎの古伊万里色絵皿をブログで紹介されていたと思います(釉剥ぎ部は、色絵が施されていますが)。
このような皿は、なにか特別な意味をもっているのかも知れません。