水墨画のような竹が描かれた瀬戸の大皿です。
大変に珍しいタイプの皿です。
初期絵瀬戸皿とでもよぶべき品でしょうか。
径 35.0㎝、高 5.3㎝、高台径17.3㎝。 江戸中期頃(?)
非常に古格があります。
江戸後期から数多く焼かれた絵瀬戸皿、馬の目皿、石皿などに比べて、全体に薄造りです。高台の造りも華奢です。
土や釉薬も、江戸後期のこれらの瀬戸焼とは少し異なります。美濃の土ならば超珍品なのですが、やはり瀬戸の焼物でしょう(^^;
全体にゆがみがあります。
今回の皿の最大の特徴は、絵付けです。
非常に繊細な描写です。
まるで、筆に墨をつけて紙や絹地の上で、竹を描いたかのようです。
タイトルを、敢えて『墨絵竹図大皿』としたのはそのためです。本当は、『鉄黒釉竹図大皿』とすべきでしょうが、面白みに欠けますから(^^;
もちろん、陶磁器の絵が、墨で描かれるはずはありません。焼成時に燃えてしまいます。
黒色の釉薬の成分は、鉄です。鉄釉は、焼成すると茶色に発色しますが、鉄分を多くした場合は、黒に近い色になります。
しかし、黒釉はあくまでも濃い茶色ですから、普通は、器表にたっぷりと塗りこめる使い方をします。今回の品のように、サッと描いたり、ぼかしたり、極細の線を描いたりすることはありません。
しかも、筆の運びがとても流暢です。陶工ではなく、絵師によるものと思われます。
下の絵は、江戸時代後期の女流漢詩人、江馬細香(1787-1861)の描いた墨竹図です。最近、入手しました。
大垣藩医江馬蘭斎の娘、細香は、幼少から書画に秀で、竹の絵を得意としました。大垣藩主をはじめ、多くの人々が競って求めたといわれています。
江馬細香『水墨竹図』、本紙、38x122㎝。 晩年(万延元年)作。
墨の特性を生かして筆を自在に使い、竹林を幽玄に描いています。
今回の瀬戸大皿に描かれた竹図は、江馬細香の『水墨竹図』と比べても、遜色のない出来栄えです。
しかも、キャンパスは紙や布ではなく、陶器です。
よく見ると、陶器質の生地の上に白泥を分厚くかけていることがわかります。その上に、筆を用いて、黒釉(鉄釉)で繊細な竹図を描いたのです。うわぐすりは、長石のようです。
ざーっと、一気に白泥を掛けています。
地肌は、江戸後期の絵瀬戸系の皿にはみられないものです。桃山時代の志野に似ています。
桃山時代に全盛期をむかえた黄瀬戸、志野、織部などの美濃の陶器は、その後、スーッと消えてしまいました。茶道の好みが変わり、時代に乗り遅れたのがその理由だと言われていますが、本当のところは不明です。
そして、江戸後期、隣接した瀬戸で、絵瀬戸、石皿、行燈皿、馬の目皿など多くの陶磁器が作られました。いずれも日用雑器ですが、美濃の桃山陶器のように、多くに特徴的な絵付けがなされています。
美濃で消滅した桃山陶ですが、その伝統は、瀬戸で細々と受けつがれ、それが江戸後期に一気に花開いたのではないか ・・・・・それを示す品はほとんど残っていません。
美濃茶陶と瀬戸の雑器。ふたつをつなぐミッシングリンクのひとつに、今回の大皿がなってくれることを夢想する遅生でありました(^.^)