遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

大皿8 瀬戸墨絵竹図大皿

2020年07月05日 | 古陶磁ー大皿・大鉢・壷

水墨画のような竹が描かれた瀬戸の大皿です。

大変に珍しいタイプの皿です。

初期絵瀬戸皿とでもよぶべき品でしょうか。

径 35.0㎝、高 5.3㎝、高台径17.3㎝。 江戸中期頃(?)

非常に古格があります。

 

江戸後期から数多く焼かれた絵瀬戸皿、馬の目皿、石皿などに比べて、全体に薄造りです。高台の造りも華奢です。

土や釉薬も、江戸後期のこれらの瀬戸焼とは少し異なります。美濃の土ならば超珍品なのですが、やはり瀬戸の焼物でしょう(^^;

全体にゆがみがあります。

 

今回の皿の最大の特徴は、絵付けです。

非常に繊細な描写です。

まるで、筆に墨をつけて紙や絹地の上で、竹を描いたかのようです。

タイトルを、敢えて『墨絵竹図大皿』としたのはそのためです。本当は、『鉄黒釉竹図大皿』とすべきでしょうが、面白みに欠けますから(^^;

もちろん、陶磁器の絵が、墨で描かれるはずはありません。焼成時に燃えてしまいます。

黒色の釉薬の成分は、鉄です。鉄釉は、焼成すると茶色に発色しますが、鉄分を多くした場合は、黒に近い色になります。

しかし、黒釉はあくまでも濃い茶色ですから、普通は、器表にたっぷりと塗りこめる使い方をします。今回の品のように、サッと描いたり、ぼかしたり、極細の線を描いたりすることはありません。

しかも、筆の運びがとても流暢です。陶工ではなく、絵師によるものと思われます。

 

下の絵は、江戸時代後期の女流漢詩人、江馬細香(1787-1861)の描いた墨竹図です。最近、入手しました。

大垣藩医江馬蘭斎の娘、細香は、幼少から書画に秀で、竹の絵を得意としました。大垣藩主をはじめ、多くの人々が競って求めたといわれています。

江馬細香『水墨竹図』、本紙、38x122㎝。 晩年(万延元年)作。

 

墨の特性を生かして筆を自在に使い、竹林を幽玄に描いています。

 

今回の瀬戸大皿に描かれた竹図は、江馬細香の『水墨竹図』と比べても、遜色のない出来栄えです。

しかも、キャンパスは紙や布ではなく、陶器です。

よく見ると、陶器質の生地の上に白泥を分厚くかけていることがわかります。その上に、筆を用いて、黒釉(鉄釉)で繊細な竹図を描いたのです。うわぐすりは、長石のようです。

 

 

ざーっと、一気に白泥を掛けています。

地肌は、江戸後期の絵瀬戸系の皿にはみられないものです。桃山時代の志野に似ています。

桃山時代に全盛期をむかえた黄瀬戸、志野、織部などの美濃の陶器は、その後、スーッと消えてしまいました。茶道の好みが変わり、時代に乗り遅れたのがその理由だと言われていますが、本当のところは不明です。

そして、江戸後期、隣接した瀬戸で、絵瀬戸、石皿、行燈皿、馬の目皿など多くの陶磁器が作られました。いずれも日用雑器ですが、美濃の桃山陶器のように、多くに特徴的な絵付けがなされています。

美濃で消滅した桃山陶ですが、その伝統は、瀬戸で細々と受けつがれ、それが江戸後期に一気に花開いたのではないか ・・・・・それを示す品はほとんど残っていません。

美濃茶陶と瀬戸の雑器。ふたつをつなぐミッシングリンクのひとつに、今回の大皿がなってくれることを夢想する遅生でありました(^.^)

 

 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする