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遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

李朝染付草紋大徳利

2021年08月15日 | 古陶磁ー高麗・李朝

今回は、李朝の染付大徳利です。

李朝末、衰退期の陶磁器です。

胴にさっと描かれた草(?)模様。

反対側にも、

ぼやっとした染付の草(?)紋。

全体の姿や、

下部の味わいはまずまずの李朝らしさ。

最大径 20.6㎝、口径 4.6㎝、底径 11.0㎝、高 33.6㎝。重 1.90㎏。李朝後期。

 

少し鉄分のある粗い土に、白化粧をして、その上に上釉がかかっているようです。

 

下部がそれなりの味があるのに対して、上部、特に口元はそっけない造りです。

よく見る、下部には割れがあります(これまで気が付きませんでした(^^;)

 

拡大して見ると、ひび割れに沿って、捲れがあります、この捲れは釉薬?それとも・・・・

 

首の辺にも不自然な箇所が・・・

 

しかも、全体にくすんでいます。汚れかな?

爪でゴシゴシこすると、剥がれてくるではありませんか!

こりゃあ、一杯食わされた可能性が高い。

こうなったら、正体をあばかねばおさまりがつきません(to be continued)


高麗青磁鎬梅瓶

2021年08月11日 | 古陶磁ー高麗・李朝

今回の品は、高麗青磁の梅瓶です。

梅瓶(めいぴん)とは、元々は、中国で作られた瓶子形の容器で、張った肩とすぼまった口が特徴です。

最大径 16.8㎝、口径 5.1㎝、底径 12.2㎝、高 31.4㎝。重 2.0㎏。高麗末ー李朝初期。

 

全体ににぶい薄青色です。

透明な深緑色が特徴の高麗青磁も、高麗末期にはこのような発色の物が多くなります。

 

でも、よく見ると、場所によって、色調に変化があります。青色の部分と黄色の部分があるのです。

梅瓶の上部は黄色、下方は青味がかっています。青磁釉中の鉄分が酸化した黄色と還元された青磁色です

写真では非常に分かり難いですが、肩の左から右下方へ、黄色い帯が流れています。

90度回すと・・・

同じように左上から右下にかけて、2本の黄色い帯状の模様があります。酸化した部分です。

肩上部は全面的に黄色。口の内側がほんのりと青色になっています(分かり難いです)。

底部は、全面的に青磁色。

このように、盛期の高麗青磁からすると相当劣るにぶい青磁発色ですが、酸化した(本来なら出来損ないの)部分が黄色の景色を添えています。

高麗青磁が終末を迎える時期のアダ花でしょうか。

 

 

 

 

 


高麗焼締玉壺春瓶

2021年08月10日 | 古陶磁ー高麗・李朝

焼締の高麗大瓶です。

中国では玉壺春と呼ばれる形の良い瓶です。

高 30.9㎝、最大径 16.9cm、口径 7.8㎝、底径 11.2㎝。重 2.05㎏。高麗初期。

内側には、須恵器を思わせる轆轤の冴えがみられます。

 

口縁下にはホツレがあり、私が漆で補修しました。

 

一見単調な黒色にみえる器肌ですが、小さな変化が見られます。

ボディの下半分は、黒く滑らかなのですが、上部へ行くに従い荒くなり、首に近くなると、また黒く滑らかになります。

この品物、黒一色ですから、最初は、薄く釉薬か黒土が塗ってあると思ったのですが、どうも、違うようです。火のあたり具合によって、肌の様子が変化するのですね。大げさに言えば、窯変。焼締陶ならでは味わいです。

さらに、小さな石噛みが所々にみられます。

 

下部には、窯印?

底には、下駄底(出下駄)のようなものまで。その分、少しガタついて、座りが悪い(^^;

須恵器の流れをくむ、こういう品がどうして焼かれたのはわかりません。が、中国から新しい技術が入ってきて、高麗陶磁器が本格的に造られるようになると、すぐに姿を消したことは間違いないでしょう。

 

 

 

 


堅手粉引(?)茶碗

2021年08月06日 | 古陶磁ー高麗・李朝

今回の品です。

古い木箱に入っています。

箱には、「粉引茶碗」とあります。

 

古い更紗に包まれていました。

 

 

径 13.8㎝、高台径 4.6㎝、高 6.8㎝。時代不明。

 

見込みは平凡で、これといった見所はありません(^^;

 

裏側は、それなりに時代を感じさせます。

高台は、三日月高台、内側には兜巾も見られます。いくつかの雨漏りも。

外側には、火間(釉薬の掛け残し)が。

これは、粉引(粉吹)茶碗の約束ですね。

箱の底には何やら謂れが書かれています。

この品は、加藤清正の遠縁にあたる、尾張国加藤仲左衛門の所に伝わった古物で、寛政元年に、柳星山(常念寺)に招来した。

「寛政元年ノ事」と書かれているので、この箱に入れられたのはもう少し後でしょう。箱の状態からすると、江戸後期~幕末というところでしょうか。

で、問題の「粉引茶碗」です。

粉引茶碗は、粉吹茶碗とも言われ、高麗末期から李朝初期にかけて焼かれた茶碗です。鉄分の多い素地に白化粧をし、薄く釉薬をかけた物で、白い粉が吹いたような感じがすることから、このように呼ばれるようになったそうです。

今回の品は、それらしい姿はしていますが、粉が吹いた雰囲気はありません。素地もそれほど鉄分が多いとは思われません。

手にとってみると、重く冷たく感じます。しかも、硬い(^^;

これは、いわゆる堅手茶碗に入る部類の品ですね。粉吹きなら、柔らか手です。柔らかく、温かみがあるはず。

むしろ、毎日使っている、10年選手のコーヒードリッパーの方が、ふわっとした温かさを感じます(^^;

今回の茶碗が、悪意のある品物かどうかはわかりませんが、看板に偽りあるのは確かです。

粉引茶碗は、茶人が朝鮮の雑器を茶器として取りあげた物ですが、当初から稀少品で、簡単に入手できる物ではなかったでしょう。

ということで、幕末期に何とかそれらしい品を「粉引茶碗」に仕立て上げた・・・・これが、今回の品の一番マシなストーリーだと思います(^.^)

ps:今一度、箱を眺めてみました。箱の表に、「粉引 茶碗」と書かれていますが、よく見ると、「粉引」と「茶碗」の文字が異なるのです。しかも、「茶碗」の文字が擦れているのに対して、「粉引」は新しい。箱には、もともと、「茶碗」としか書かれていなかったのですね。それに対して、近年、「粉引」が書き加えられた(^^;

ということで、幕末期、火間のあるそれらしい朝鮮茶碗に対して、「粉引茶碗」という名称は使わず、ただ、「茶碗」と箱書きされた堅手の茶碗が、今回の品だといえるでしょう。

元々の箱と茶碗は素直な物だったのですが、そこへ「粉引」を加えた悪巧みに、危うく一杯食わされるところでした(^.^)

 

 


李朝白磁皿(夏茶碗)

2021年08月05日 | 古陶磁ー高麗・李朝

今回は、李朝の白磁の皿です。

径 16.1cm、底径 5.9㎝、高 4.4㎝。李朝中期。

 

表も裏も、なかなか味わいがあります。

目跡は、表、裏に5個ずつ。

釉薬が少し青味がかっていて、青白磁のような品です。

表、裏とも、所々に緋色が出ています。

よく見ると、緋色部にはピンホールがあるので、これはいわゆる雨漏りですね。

さらによく見ると、皿の右半分で青味が強くなっています。

裏側もやはり、右半分の青味が強くなっています。釉薬を二度掛けしているのですね。

これは、肩身変わりではありませんか。

雨漏りに肩身変わり・・・・これだけ役者がそろっているのですから、皿から夏茶碗に昇格させねばなりません。

ついでに銘も・・・「雨宿り」・・・急な夕立ちで、木陰に身を隠す(^.^)

 

 蝉しぐれ 蒼空うつす 茶碗かな  遅生