今朝黙想と祈りの中で、私は叫び続けていました。
「どうかわたしを痩せさせて下さい」と・・・。
本当にくだらない祈りだと自分で思いながらも、せずにはおられない心境でした。
閉じこもっていたら、そんなに気にならなかったのですが
人様の前で歌ってから、またその思いが出てきてしまって困っています。
太っている自分が醜くて、人に不快感を与えてしまうって思いこんでいる節があります。
宝塚出身なんて言われたら、穴があったら入りたいほどの感覚に陥るほどです。
何度も言いますが、これは病的です。
自分の不摂生からの結果なのですから、誰も責められず自分を責めてしまいます。
太っている自分を受け入れられないんです。人様に何と思われるのか、不安なのですね。
黙想と祈りの後で信仰書を開きましたら、
祈りに対する答えのような一文に目が留まりました。
《わたしの顔を慕い求めよ。
そうすればあなたは、わたしの存在だけでなく、
わたしが与える平安を見いだせる》
《あなたの内にいる聖霊にあなたの一日を管理し、思いを支配するように願いなさい。
聖霊の思いは命と平安だからです。》
神様に感謝するか、それとも不安に身を委ねるかということなんですね。
頭ではわかるのですが、なかなか思いをコントロールできません。
だからこそ、聖霊さまにたよるのですよね。
でも、毎日、同じことの繰り返しで、ほとほと自分が嫌になります。
「肉の思いは死であり
御霊による思いは命と平安です」ローマ8:6
「神は我らの避けどころ、また力。
苦しむとき、そこにある助け。」詩編46-1~