(ライラック満開です )
教会へ。
『宣教聖餐式礼拝』
礼拝や賛美は捧げるものだってこと
頭では理解はしていたけど、最近とても感じる。
恵みをもらうために教会にいくわけではないんだ。
デモそれをしっかりと感じられるようになったのは
次女が召されてからだ・・・。
15年間も私はクリスチャンとして
主に喜ばれる事を何一つして来なかったことを思う。
神様が一方的に私をお使いくださった時期があったけれども
私の信仰はまったく足りていなかった事を
今、改めて想い、悔い改めをした。
自分では罪だと思っていないことでも
神様の目には大きな罪なのだって
自分を省みると、恥ずかしい事ばかりである。
今日のメッセージは『宣教、ガリラヤから始まって』だった。
ガリラヤから始まり、ヨーロッパにわたり
韓国、中国、そしてイスラム圏に、
その向こうはイスラエルである。
聖書にはイスラエルの方々が全て
新しい神さまとの約束と
メシヤがイエスであると信じた後
新約聖書の一番最後「黙示録」にあることがおこるとある。
今は中国宣教が鍵だと
メッセージで言われていた。
中国は今や国民の10%がクリスチャンだそうである。
一億三千万の人たち(日本の人口に匹敵する)が
偶像の神ではなく、真の救いにあずかっているのだ。
日本はカトリックも入れてたった1%がクリスチャン(泣)
福音は全ての人類のためにあり、
誰でもどんな人でも救われる権利を持っている!と
言われていた。
わたしになにが出来るのだろう・・・と礼拝中も
帰宅してからも考えていた。
伝道も宣教もできない私。
情けない自分である。
せめて、こうしてブログにUPすることと
『祈り』をすることだけだ・・・。
今朝一人でQT(黙想)していいて、『断食』を示された。(と思う)
え~~~!!って思ったけど、夕食を抜いて祈った。