
月初めの第一日曜日は (神戸礼拝)と称して
午後の礼拝を我が家でしてくださる。
牧師先生が来てくださって、讃美とショートメッセージしてくださって
葡萄ジュースとイーストがはいっていないパンで
イエスキリストが、私たちの罪の為の、身代わりとなってつけられた、
十字架の意味を想い、改めて感謝するため 聖餐式をします。
そしてみんなで心を合わせて祈ります。
私たち親子三人と(息子は参加しません)友人お二人(元シャロームのメンバー)と
長女夫婦・・・。そして 牧師と総勢七人の礼拝が
もうかれこれ6年ぐらい続いています。
しかも先日は 娘夫婦が 参加しなかったものですから、五人でした。
私がご近所とお付き合いも無いので、誰もお誘いする勇気がなくて...
最初のあたりは 知人が出たり入ったりが激しかったのですが
現在は いっさいの動きがありません。
人を集めることもできないのに「神戸礼拝」なんて
えらそうな名称までもらっちゃって
わざわざ滋賀県から牧師先生に来てもらうのも
申し訳なくて 心がいつも乱れていました。
牧師先生は
「人数ではありません。ここで祈ることに、
ここで礼拝することに意義があるのです」
といつもいつも言われていましたが 私はやはり現実の
目に見える事柄に囚われていました。
しかし、最近私の思いが変化してきて、我が家で祈る祈りが 讃美が
いつの日かこの神戸の地を霊的にかえることが出来る!
イヤ 精霊さま(イエスキリストの霊)が 我が家の家から発信される祈りの流れに
のられて働いて下さっていると、信じることが出来るようになりました。
『二人、三人居るところに わたしも共に居る』
と聖書からイエス様はいわれています。
そこが教会になる・・・ってことなのですね。
そのことが 頭ではなく、心に感じられるようになってきています。
神さまの時がきたら、「こないで・・・」と思っても
沢山の方々がこの家にこの部屋に来られて
本当の神様を礼拝することでしょう。
継続は力なり!です。