昨日はエフゲニー・キーシンのリサイタルを聴きに
サントリーホールへ行きました。
プログラム
プロコフィエフ/「『ロミオとジュリエット』からの10の小品」より
少女ジュリエット、マーキューシオ、モンタギュー家とキャピレット家
ピアノソナタ第8番
ショパン/幻想ポロネーズ、マズルカop.30-4、op41-4、op59-1
エチュードop.10-1、2、3、4、12
エチュードop.25-5、6、11
アンコール
ショパン/ワルツ第7番、第6番
プロコフィエフ/「3つのオレンジへの恋」より行進曲、4つの小品op.4より「悪魔的暗示」
ショパン/マズルカop.63-2、幻想即興曲
モーツァルト/トルコ行進曲
ショパン/ワルツ第14番、ノクターン第10番
最初のジュリエットを聴いてるときに胸がきゅんきゅん高鳴ったので
あ、これはイイかもしんない♪と思いつつも呑気に構えていたら
続くピアノソナタが壮絶で腰抜かしました。
サントリーホールにキーシンという名のオバケが出ました(泣)。
手に汗かいちゃったもん。
第1楽章、怖い夢を見てるみたいだった。
再現部で主題が戻ってきたとき「ああ夢だったのか…」と思うのに似てホッとしてしまった。
ソナタとはこうあるべき?
キーシンを聴くのは10年ぶりで、10年前は「(良くも悪くも)端正」というイメージだったんだけど
この10年のあいだに彼に何が起きたのかと思ってしまいました。
やー、このプロコフィエフは凄かったな~…。
確か来月、キーシンの弾いたプロコフィエフの2番コンチェルトのCDが出るはずですが
このプロコフィエフを聴いてそのCDを買う決意をしました。楽しみだなー。
後半入ってショパン。
キーシンは、「誰が何と言おうとこれがオレのショパン」という
オトコマエで明確な答えを持っていて
ひたすらそれに向かって突き進みます。
マズルカはちょっと私の好みではなかった(全然マズルカっぽさがなかったので)けど
幻想ポロネーズは、私はこの曲のコーダが大好きなんですが
曲全体がそのコーダへの予感に満ちていて
長い曲の中で飽きることが全然なかったです。
物凄いスピードで弾かれたエチュード10-4の後の『革命』、
叩きつけるような弾き方だった…と言うと誤解を招くかな。
手を叩きつけるのではなく自分を叩きつけている感じで
ショパンが母国の悲しい知らせを聞いて感情のままにピアノを弾いたという姿に近いような気がしました
(そういう『革命』をキーシンが弾いたということは
私にはショックでした)
ただ、次のエチュード25-5まで来たところで、
このエチュードの選曲っていったい…と考えてしまう。
10-4→革命→25-5、6→木枯らし ~終了~
って、唐突すぎませんか(^_^;
このエチュードたちは今思い返してみると
あの長いアンコールへの序章だった気もする。
キーシンというとアンコールをたくさん弾くのが当たり前になっていて
昨日も9曲もアンコールがあってコンサート全体の印象が散漫というか緩慢になってしまって
ソナタや幻想ポロネーズのような構成力を聴いてしまうと
それがなんだか惜しいような気もしたんだけど
アンコールは、コンサートの一部というよりも
キーシンが日常弾いている曲をそのまま弾いているという感じで
(それでも1曲1曲の印象をこんなにはっきり残すのは凄いと思う)
怖い夢を見たようなプロコフィエフから、毎日ピアノを長時間弾く(であろう)キーシンの「日常」に戻ってくるアンコール、
これがキーシンのコンサートの世界なのかな?と思いました。
まーちょっとこのへんはコンサート1回2回聴いただけじゃわかりません。
アンコールでは『悪魔的暗示』の最初のゴトゴトゴトって低い音と、
トルコ行進曲やワルツ14番での高い方のキュートな音がたまりませんでした。
アンコール9曲。
7時開演で、ホールを出たのは10時20分でした(-_-;)。
サイン会があったわけでも出待ちしたわけでもありませんよ…(-_-;。
翌日有休取っておいて正解でした。
ホールを出たところで偶然、95年ショパンコンクールを聴きにポーランドへ行った時に同室だった方と会いました。
スルタノフのコンサート(いつだよ)以来会ってなかったので13年ぶりでした。
なんか昨晩はキーシンといい「10年ぶり再会の夜」だったわ~。
サントリーホールへ行きました。
プログラム
プロコフィエフ/「『ロミオとジュリエット』からの10の小品」より
少女ジュリエット、マーキューシオ、モンタギュー家とキャピレット家
ピアノソナタ第8番
ショパン/幻想ポロネーズ、マズルカop.30-4、op41-4、op59-1
エチュードop.10-1、2、3、4、12
エチュードop.25-5、6、11
アンコール
ショパン/ワルツ第7番、第6番
プロコフィエフ/「3つのオレンジへの恋」より行進曲、4つの小品op.4より「悪魔的暗示」
ショパン/マズルカop.63-2、幻想即興曲
モーツァルト/トルコ行進曲
ショパン/ワルツ第14番、ノクターン第10番
最初のジュリエットを聴いてるときに胸がきゅんきゅん高鳴ったので
あ、これはイイかもしんない♪と思いつつも呑気に構えていたら
続くピアノソナタが壮絶で腰抜かしました。
サントリーホールにキーシンという名のオバケが出ました(泣)。
手に汗かいちゃったもん。
第1楽章、怖い夢を見てるみたいだった。
再現部で主題が戻ってきたとき「ああ夢だったのか…」と思うのに似てホッとしてしまった。
ソナタとはこうあるべき?
キーシンを聴くのは10年ぶりで、10年前は「(良くも悪くも)端正」というイメージだったんだけど
この10年のあいだに彼に何が起きたのかと思ってしまいました。
やー、このプロコフィエフは凄かったな~…。
確か来月、キーシンの弾いたプロコフィエフの2番コンチェルトのCDが出るはずですが
このプロコフィエフを聴いてそのCDを買う決意をしました。楽しみだなー。
後半入ってショパン。
キーシンは、「誰が何と言おうとこれがオレのショパン」という
オトコマエで明確な答えを持っていて
ひたすらそれに向かって突き進みます。
マズルカはちょっと私の好みではなかった(全然マズルカっぽさがなかったので)けど
幻想ポロネーズは、私はこの曲のコーダが大好きなんですが
曲全体がそのコーダへの予感に満ちていて
長い曲の中で飽きることが全然なかったです。
物凄いスピードで弾かれたエチュード10-4の後の『革命』、
叩きつけるような弾き方だった…と言うと誤解を招くかな。
手を叩きつけるのではなく自分を叩きつけている感じで
ショパンが母国の悲しい知らせを聞いて感情のままにピアノを弾いたという姿に近いような気がしました
(そういう『革命』をキーシンが弾いたということは
私にはショックでした)
ただ、次のエチュード25-5まで来たところで、
このエチュードの選曲っていったい…と考えてしまう。
10-4→革命→25-5、6→木枯らし ~終了~
って、唐突すぎませんか(^_^;
このエチュードたちは今思い返してみると
あの長いアンコールへの序章だった気もする。
キーシンというとアンコールをたくさん弾くのが当たり前になっていて
昨日も9曲もアンコールがあってコンサート全体の印象が散漫というか緩慢になってしまって
ソナタや幻想ポロネーズのような構成力を聴いてしまうと
それがなんだか惜しいような気もしたんだけど
アンコールは、コンサートの一部というよりも
キーシンが日常弾いている曲をそのまま弾いているという感じで
(それでも1曲1曲の印象をこんなにはっきり残すのは凄いと思う)
怖い夢を見たようなプロコフィエフから、毎日ピアノを長時間弾く(であろう)キーシンの「日常」に戻ってくるアンコール、
これがキーシンのコンサートの世界なのかな?と思いました。
まーちょっとこのへんはコンサート1回2回聴いただけじゃわかりません。
アンコールでは『悪魔的暗示』の最初のゴトゴトゴトって低い音と、
トルコ行進曲やワルツ14番での高い方のキュートな音がたまりませんでした。
アンコール9曲。
7時開演で、ホールを出たのは10時20分でした(-_-;)。
サイン会があったわけでも出待ちしたわけでもありませんよ…(-_-;。
翌日有休取っておいて正解でした。
ホールを出たところで偶然、95年ショパンコンクールを聴きにポーランドへ行った時に同室だった方と会いました。
スルタノフのコンサート(いつだよ)以来会ってなかったので13年ぶりでした。
なんか昨晩はキーシンといい「10年ぶり再会の夜」だったわ~。