goo blog サービス終了のお知らせ 

トリフォノフ@東京オペラシティ(2013.6.14)

2013-06-15 | ●コンサートに行きました
昨日6月14日はダニール・トリフォノフのリサイタルを聴きに
オペラシティへ行きました。
ピアノがファッツィオリでした。生で聴くの初めて。


プログラム
スクリャービン/ピアノソナタ第2番
リスト/ソナタ ロ短調
ショパン/24の前奏曲
アンコール
トリフォノフ/ラフマニアーナ組曲 第1~5番
ストラヴィンスキー=アゴースチ編/バレエ音楽「火の鳥」より 『凶悪な踊り』


「ピアニストは25歳から」というのが、私の持論です。
ピアノを弾くための身体・筋肉・精神は
20代半ばになって初めて、ある程度の完成を見ると思うので。
トリフォノフはまだ22歳なんだよなぁ…と思うと
今の段階でトリフォノフというピアニストを
どう評価したらいいんだろうなぁと思った夜でした。

スクリャービンの第1楽章は、
派手すぎない音色が光のプリズムのようにゆらゆらきらきらして
それはもう美しかった。
ショパンコンクールの中継を聴いた限りでは彼のことはあまり好きになれなかったけど
それを改めないといけないかなと思った。
が、それをぶち壊す第2楽章(^^;。
すごくガチャガチャしていて全然きれいじゃないフォルテ。
フォルテシモフェチとしてはとても合格点はあげられないフォルテだった。
続くリストのソナタもフォルテがきたなく、
基本的に音色が明るい人なので、この曲に合わない。
リストのソナタはトリフォノフにはまだ早いんじゃないかな。

正直言って、前半聴いた限りでは
ちょっと聴いてるのが辛くて、帰ろうかなと思っちゃったんですよ。
でも、彼の曲への入り込み方は尋常じゃない。
何かに憑りつかれてるみたい。
フォルテが気に入らないってだけで片付けちゃいけない気がする。
と思い直して後半を聴き始めました。

最初の7曲は、それはもう珠玉でした。
特に2番。この曲はたいていのピアニストが
「24の前奏曲の2番目に入ってるから仕方なく弾く」って感じに弾きますが
トリフォノフは左手の、あのなんだかよくわからない和音を
しみじみと、いとおしげに弾いていた。
個人的にこの2番はこのコンサートの白眉だった(と言っても誰も信じてくれないんだろうな)。
ところがそれを8番の嵐でぶち壊し・・・音がきたない・・・
あの2番を弾いた人と別人みたい。
この、「別人みたい」って感覚が、
何か病的な感じがして、彼の曲への入り込み方とあいまって
カリスマ的というか、悪魔的な魅力があるんではないかと思えてくる。
13番、15番も美しかった。
ショパンの声を精一杯聞こうとしているような、真摯な姿が美しかった。
それをまた16番でぶっ壊す。
でも24の前奏曲は15番までの完成された美を16番でぶっ壊してナンボだと思うので
ここでは一番彼の良さ??が生きたかも。

なんというか、彼のフォルテには、ただ音がきたないというんじゃなくて
まだ彼自身もコントロールしきれていない何かを感じたといいますか。
全然タイプが違うけど、アンスネス16歳の録音を聴くとき、
ピアノの底を抜くようなフォルテに
「自分の才能を持て余してるような感じ」がするんですけど、
ちょうどトリフォノフはその只中にいるんじゃないだろうか、とか思ったわけですよ。

ラフマニノフのような響きのアンコールは自作。
さすがに?手の内に入ってる感じでこれも美しかった。
しかし最後の火の鳥はまためちゃくちゃなフォルテでドン引きしてしまった。
でもドン引きして、冷静に聴きつつも
どこかで何か満たされた気持ちでいる自分もいて、
なんか不思議な感じだった。
たぶん彼の音楽性にはどこかで共感していたんだと思う。
そうでなければ、初々しさの抜けないしぐさでペコペコとお辞儀をする彼に
ほほえましさなんて感じるわけがないし。
エラそうに言いますが、今はまだ彼の音楽性に彼の技術が追い付いていないだけで
5年10年経ったらとんでもなく魅力的なピアニストになってるのかもしれないなぁ、とか・・・。
まぁ、あとしばらく、2~3年は聴かなくてもいいかな、と思ってしまったのも事実だけど(^_^;)





ロマノフスキー@浜離宮朝日ホール(2013.5.14)

2013-05-18 | ●コンサートに行きました
14日、アレクサンダー・ロマノフスキーのリサイタルを聴きに
浜離宮朝日ホールへ行きました。

プログラム
バッハ/幻想曲とフーガ イ短調 BWV.904
ベートーヴェン/ピアノソナタ第14番
ショパン/24のプレリュード
アンコール
スクリャービン/12のエチュードop.8-2、12
ショパン/ノクターン第20番嬰ハ短調
バッハ=ユシュケヴィチ/管弦楽組曲第2番より『バディネリ』


うーん、やっぱりショパンの、しかもプレリュードのような曲集がプログラムに入ると
自分が好きになれそうなピアニストかどうかがよくわかるな・・・私には。
ロマノフスキーはちょうど境界線にいるという感じでしょうか。

去年聴いた時と同じように、音はきれいだなと思った。
少し暗めの、それでいてキラキラ光る、妖艶な音。それだけで酔えるくらいの。
その音色を存分に使って、
短調で激しく動くような曲ではそれはもう生き生きと弾くんだけども、
そういう曲に対する愛情と同じだけのものを
静かな曲には感じられなかった…のよね。
少しでも情熱的に歌える部分がある曲は
その部分めがけてのびやかに歌うのに、
テンポの遅い静かな曲はつなぎのようにしか聴こえなかった。
プレリュードの2番とか13番、15番の中間部とかは
あまりに愛がなくて、聴いててなんだか悲しくなってしまった・・・。
要はバランスが悪いんです。
聴いてて彼が好きな曲とそうでない曲がはっきりわかってしまう。

音色がきれいだと書きましたけども、
去年聴いたときと比べてその音色だけに酔いきれなかったのは
暗譜があやしかったからというのもあるかも。
ちょいちょいヒヤッとしたので、醒めちゃったのよね…
それともああいう遺稿があるんですかね?私の知識不足だったらすいません。

月光第一楽章で、静かな中にも何かが光ってるような感じがしたりとか
プレリュードの8番や12番、14番ではドキッとするような歌い方とか和声を聴かせてくれたりとかしたもんで
それだけに何か非常にもったいない気がしてしまって。
もっとそういうところを磨くべきなんではないの…?
彼は超絶技巧系は嫌いではなさそうだけど
「君の伸ばすべき長所はそこではないよ」と言ってくれる先生はいなかったんでしょうか。
彼がもし、コンクールというものがない世界に生きていたら
彼の音楽性はもっと違ったものになった気がしてなりません。
うんと若いピアニストだったら、まぁこれもいいか、と思って聴いていたかもしれないけど
20代の終わりでこんなふうに深みのないピアノだと
ちょっと心配になる←大きなお世話
音楽家としての成熟には個人差があるとは思いますが
どうしても同世代のピアニストたちと比べてしまう。
帰り道、友達(っていうか趣味を同じくする上司だが)の
「この人はこれから苦労するかもしれないね」という言葉に
深くうなずいてしまいました。






コジュヒン@東京オペラシティ(2013.2.1)

2013-02-02 | ●コンサートに行きました
昨日の2月1日、デニス・コジュヒンのコンサートを聴きに
東京オペラシティへ行きました。

プログラム
ショパン/ピアノソナタ第2番、24の前奏曲1~12番、13~24番、ピアノソナタ第3番
オールショパンっつってもひと味違うよね♪
アンコール
バッハ=ジロティ/プレリュード
シューベルト/即興曲op.90-3


2年前のコジュヒン来日公演のアンコールでショパンの雨だれを聴いて
この人はショパンも良さそうだなと思ったんですが、
その予想は大当たりでした。

ダイナミックレンジが広くて、深く豊かな音色。
全体に音量は大きいんだけど、軽く甘く歌う音もきれい。
技術は確かなのに必要以上に速くないし、
楽譜に対しては直球勝負、奇をてらうようなことはしないので
おおらかに感じる。世界が大きく感じられる。
安心してコジュヒンという名の大海に浮かんでいられる。

しかしそれにしたって私のハートはきゅんきゅんしすぎである。
これはいったいどういうわけなのか、自問自答しながら聴き続けた。
コジュヒンは、ショパンのあの何か迷っているような内声とか、
不意に現れる安堵の転調とか、
和音の中にこっそり隠した美しい和声とかを
ひとつ残らず拾って弾いてくれていた。
ショパンという声の小さな、繊細な人のつぶやきを
一言も聞き漏らすまいと弾くコジュヒン。
ソナタ3番の第一楽章でそのことに気が付いたら
なんか涙が出てきてしまった。
大きく広がる世界の中でそういうことをされると
なんかすごく優しく感じてしまったのよね・・・。

音量は平均すると大きいし、そんなにテンポ速くなくて重心も低めだと思うんですけど、
コジュヒンのショパンって軽さを失わない。何故だろう?
高度に洗練されているということなのかもしれない。
重苦しかったり野暮ったい感じは全然しなかった。
プログラムに舞曲系が入ってればもっとはっきりわかったんだけどな。

アンコールのシューベルトがまた良かった。
あんなに軽やかにも歌えるなんて。
ショパンもいい、シューベルトもいい、
ハイドンもブラームスもリストもプロコフィエフもいい、なんて
こんなピアニスト滅多にいない。しかもまだ26歳?
これはいわゆる『大器』だと、私は思うな。
前回来日のときに20代後半から30代にかけて大化けするかもと思ったんだけど
もうすでに化け始めてる気がする。






神尾真由子&クルティシェフ@東京オペラシティ(2012.11.24)

2012-11-26 | ●コンサートに行きました
神尾真由子&ミロスラフ・クルティシェフのデュオリサイタルを聴きに
東京オペラシティへ行きました。
この日はオールベートーヴェンプログラム。

プログラム
ベートーヴェン/ヴァイオリンソナタ第7、8、9番
アンコール
モーツァルト/ヴァイオリンソナタ第28番K.304第2楽章
ラヴェル/ヴァイオリンソナタ ト長調第3楽章


・・・自分がベートーヴェンが苦手だから思うことなのかもしれないんですが、
ベートーヴェンはあまりこの2人には向かないんじゃないかな・・・。
クルティシェフのリズム感が独特なので、
ベートーヴェンのような、がっちり組上げられた曲だとかえってヴァイオリンは合わせにくいんじゃないだろうか。
神尾さんが自由に歌いきれてないように感じてしまった。
一日前のラヴェル・レスピーギ・フランクのプログラムの方が
ずっと生き生きしてたような気がする。
アンコールのラヴェルで一日前の彼らを思い出して嬉しくなってしまった。
けど、このベートーヴェンプログラムしか聴いてない人があのラヴェルを聴いて
ただの技術ひけらかしと感じてしまったとしたら、それはとても残念なことだと思いました。
なんでプログラムをベートーヴェンだけで固めちゃったのかなー(←それは言いすぎか…?)

とはいえ、クルティシェフのそのリズム感や推進力は堪能したし、
あと、音!
このツアーの中で多分一番響くホール&良いピアノでの公演(多分ね)なので
彼がどんな音を響かせてくれるのかとても楽しみにしていました。
音が空気に溶けて消えていくようで、とてもきれいだった。
プログラムが進むほど、そのきれいな音がもっと響くようになって…。
いいホールであるほど、いいピアノであるほどいい音が出せるって
やっぱり耳がいいんだな~~。
この音を聴いていたら、本当に、切実に、ソロを聴きたいと思ってしまった。


この日は会場にカメラが入ってました。
私としたことが詳細聞いてくるのを忘れてしまったんですが、
楽しみです~アンコールのラヴェルが入ってるといいな~。




Miroslav Kultyshev-Мирослав Култышев






神尾真由子&クルティシェフ@いちょうホール(2012.11.23)

2012-11-25 | ●コンサートに行きました
先週の11月23日、神尾真由子&ミロスラフ・クルティシェフのデュオリサイタルを聴きに
八王子のいちょうホールへ行きました。

プログラム
ラヴェル/ヴァイオリンソナタ ト長調
レスピーギ/ヴァイオリンソナタ ロ短調
フランク/ヴァイオリンソナタ イ長調
アンコール
モーツァルト/ヴァイオリンソナタ第28番K.304第2楽章
ヴィエニャフスキ/華麗なポロネーズop.4


この2人による2年前のツアーは
クルティシェフがショパンコンクール出場直後だったためか十分合わせ切れてないという印象で
それを「知り合ったばかりでまだお互いにいいなと思ってるだけの男の子と女の子♪」とかアホーな表現をしたのは私ですが(-_-;)
今回は、数年つきあってそれなりにケンカもしたけれどお互い理解しあって
もう何を言っても平気♪(音楽が、ですよ)という印象になりました。
丁々発止のやりとりとか、お互い呼応するような美しい部分とかがたくさん聴けて、
デュオならではの音楽を堪能できました。

いまいち響かないホールだったので、最初のラヴェルは楽器が鳴っていなかったのですが、
鳴り始めたな、いい音しだしたな、と思ったころにさしかかったのがちょうど第三楽章で、
ハイレベルの2人が遠慮なしにぶつかりあっていて
まさしく緊迫したヴァイオリンとピアノの掛け合いでした。

暗い、低いピアノの音から始まるレスピーギ。
クルティシェフは暗い音が本当に上手い。詩的。
その暗いところから明るい方を見上げると、静かで美しい神尾さんの音がある、というような。
第2楽章がとても美しかった。
私が神尾さんをいいなと思うのは、彼女の目指す音楽が感じられること。
もっと深いところへ行きたいと思っているのがはっきりわかる。
この日の演奏では特に弱音にそれが現れていて、無垢で、
クルティシェフのピアノばっかり聴いている私の耳にも気持ちよく入ってきました。

クルティシェフのピアノは、どの声部を聴いても全部に『歌』がある。
全部のメロディーを頭の中で歌ってるんじゃないだろうか。
あのポリフォニー感を目の前で聴くと本当にグラグラする。
そして常々、彼のペダリングは変わっていると思っていたので
足元を見てみた。
考え抜かれてる感じは全然しない(笑)。繊細に踏み変えてるわけでもない。
すごく直感的。
軽く跳躍したいときにちょんと踏んで、
大きく飛翔したいときにグーッと踏み込んでいるような気がする。
手は左脳、足は右脳に直結してるんだろうか。
おもしろいな~。


良いコンサートを聴いたときって
お酒を飲んだときに似て、音が体中をグルグル巡ってフワフワした感じがします。
この日の夜はずっとそんな感じでした。



Miroslav Kultyshev-Мирослав Култышев






カシオーリ@紀尾井ホール

2012-11-11 | ●コンサートに行きました
11月8日、ジャンルカ・カシオーリのリサイタルを聴きに
紀尾井ホールへ行きました。

プログラム
シューベルト/ピアノソナタ第4番
カシオーリ/3つの夜想曲
リスト/『伝説』より 水の上を歩く聖フランチェスコ
コッラ/夜想曲第4番『月の虹』
ドビュッシー/前奏曲集第1集より
西風の見たもの、亜麻色の髪の乙女、さえぎられたセレナード
沈める寺、パックの踊り、ミンストレル
ショパン/夜想曲第5番、スケルツォ第1番
アンコール
ドビュッシー/映像第2集より 「金色の魚」
ベートーヴェン/6つのバガテルより第1番
バッハ/無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 二短調より第3楽章


会場入口で、カシオーリ自身による解説が配られました。
それによれば、このプログラムのテーマは
『「繰り返し循環するという特徴を持った」夜想曲』だそうです。
(↑ちょっとざっくり要約しすぎかもしれない(^_^;) 2ページに渡って濃厚に解説されてました)
『夜想曲』のテーマにふさわしく、
カシオーリの音は静かで、思慮深い。

でも私には、この静かな音がすごく中途半端聞こえてしまい。

深いところに連れて行ってもらうには深さが足りず、
真っ暗な地獄の底に連れて行ってもらうには闇が足りない。
(天国に連れて行ってくれる系ではないのはすぐわかったので
そちらには期待してなかったけど)
突き詰め方が8割くらいで止まってるように感じた。
これが「技巧的な名人芸を二次的なものにしたい」(解説より)と思った結果なんだろうか。

やたら遅いテンポのショパンのスケルツォだけは
速く弾かれると聞き取れない和声が聞こえてきて面白かった。
でも全体としてはやっぱり中途半端と思ってしまった。


演奏より解説の方がずっと雄弁だと思いました。
演奏の記憶より解説を保存しとこうと思ったのは初めてかもしれない…。




ゲニューシャス@紀尾井ホール(2012.7.6)

2012-07-08 | ●コンサートに行きました
一昨日の7月6日、ルーカス・ゲニューシャスのリサイタルを聴きに
紀尾井ホールへ行きました。

プログラム
ショパン/幻想ポロネーズ、ピアノソナタ第3番
ラフマニノフ/前奏曲集op.23より第1~7番、op.32より第1、3、11、12、13番
アンコール
ショパン/ノクターン第21番ハ短調
ムソルグスキー=ラフマニノフ/ホパーク
レオニード・ディシアトニコフ/フォックス・トロット
ショパン/エチュードop.10-1

いきなり幻想ポロネーズで始めるヤツ(-_-;)1曲目としてそれはどうなのよ。
でも、彼は自分の音をじっくり聴きながら弾き進めるので
(もしかしたら音響を確認していたのかもしれないけどw)
ぽつぽつとつぶやくような感じがこの曲に合っていて、なかなか良かった。
コーダは、曲としてはもっと声を限りに叫んで欲しかったような気もするけど、
「これからルーカス様のリサイタルが始まるよー」というような序曲って位置づけだったとするなら(笑)、あんな感じかしらね。
ソナタ3番は、内声や左手が時々出張ってきたり、おっ、と思うようなフレージングがあったりで
楽しんで聴けたことは聴けたんだけど、
なんか印象がパラパラしてるような・・・
まぁこの曲はあんまりがっつりまとめるとなぜかショパンっぽくなくなっちゃうからな・・・
ほんと難しいなこの曲は・・・

とかなんとか思いつつ、もやもやした気持ちで迎えた後半、
ラフマニノフでは一変、ピアノが良く鳴りだした。
私の席は前の方だったので、ホールの響きを楽しむような席ではなかったんだけど、
それでも彼のラフマニノフの音は、ホール全体を鳴らすように響いているというのがわかった。
お腹の底にドーンと響くフォルテ。弱音も繊細できれい。
自由に呼吸をしている感じなんだけど、1曲1曲にちゃんと世界がある。
ここでも彼は自分の音をしっかり聴いていて弾き飛ばすことはしないので、
それは同時にお客さんを置いていかないということにもなっているのだった。
そこが、彼の不思議な魅力になるんだろうな。人懐っこさを感じさせるというか、
もっとひらたく言うと、「カワイイ~~!」ということにorz
もうちょっと、あとほんのちょっとだけ、色気が欲しいところだったけど、
そのカワイさと繊細な音でキュンとさせてくれたので、帳消しでしょう。
ものすごい速さで弾き始めたのを後悔したっぽい
アンコール一番最後のショパンのエチュードがすごく可笑しかった(笑)。
ガラコンサートのワルツ思い出しちゃった。







すごく、すごく良かった、とは思うんだけど、
なぜか、ハートをつかまれそびれたかな、という気がしている。
なぜだろう・・・。
まぁまだ22歳になったばかり。若いしな。
紀尾井ホールだったしな・・・(←また言ってる)




ロマノフスキー@紀尾井ホール(2012.5.22)

2012-05-23 | ●コンサートに行きました
昨日はアレクサンダー・ロマノフスキーのリサイタルを聴きに
紀尾井ホールへ行きました。
・・・雨降って寒い日の紀尾井ホール公演は最悪ですな。
あそこ駅から遠いんだもん・・・。


プログラム
ハイドン/ピアノソナタHob XVI-52 
ブラームス/パガニーニの主題による変奏曲op.35 第1部・第2部
ラフマニノフ/練習曲「音の絵」op.39-1、2、3、5、ピアノソナタ第2番(1931年改訂版)
アンコール
ショパン/ノクターン第20番
スクリャービン/エチュードop.8-12
バッハ(ユーリ・ユシュケビッチ編曲)/管弦楽組曲第2番よりバリネリ

チャイコン聴いてなかったもんで、ロマノフスキーさんはお初です。
なので、最初からいきなり全力・全開のハイドンにビックリ。
え、君、そういうピアノを弾く人ですか?!みたいな。
や、ハイドンだし、写真見ると物静かそうな人だし、
もっと指慣らし的に静々と始まるかと思ってたのです。
いきなりハイドン先生に熱烈アタック。
ハイドンとしてはそりゃないべとは思ったけど、
こういうの、個人的には嫌いじゃない。音量を出し惜しみしたり体力温存考えたりしてないの。

曲をぶっ壊す勢いの(^_^;)ハイドンに続き、ブラームス。
あの有名なパガニーニの主題がこの人のピアノによく合ってた。
きらん、きらん、として、妖艶で。
ただしブラームスを聴いてるって感じが全くしない(笑)。
あんまりコテコテブラームスだと逆に私の方にアレルギーが出たかもなので(←ブラームス苦手)、
限りなく私向きではあった。
音が好みなんだな。艶があって、色っぽくて。
音色の引き出しもたくさんある。
欲を言えばフォルテシモがもうちょっと響くような、ふくよかな音だったら私のドつぼだったんだけど、
まぁ紀尾井ホールだしな(←あまり好きではない)。
ツアー最終日なのでお疲れなのかもしれないしな。
あと、細かく踏みかえられ、繊細にコントロールされている右足を見て、
うむ、プロのピアニストの足捌きはこうでないといかん、とか思ってしまった(←深く追求しないでください・・・)。

ハイドンやブラームスだと音量と音色の豊かさで壊れてしまいそうなものが、
ラフマニノフだと彼のピアノを受け止めるだけの懐があった。
音の絵の39-3がぞわぞわするような色気でよかったなぁ、あれもう一回聴きたい。
ソナタも、第2楽章とか「ピアノでしか言い表すことができないもの」を表現している感じで
すごく良かった。
ただこの人、自分の音の魅力をあまりよくわかってないんじゃないかしら。
音量出し惜しみしないのは気に入ったけど、
綺麗な弱音でせっかく出来た世界を、自分のフォルテで壊しちゃってる気がしたので。
そのせいで、大曲の構成力はイマイチかな…と思ったりも。音色だけで長い曲全部聴けちゃうんだけどね。
悪く言うと技巧アピールとも取れなくもない。
まぁ、まだ27歳?28歳?こういうピアノは今しか聴けないものなので、これもよし。
音で合格点が出ると甘々になるなぁ。
っつかこの人、ピアノ弾くのが大好きっていうのがもうビシバシ伝わってきたんですよね。
そういうのが私はやっぱり好きだなぁ・・・。

アンコールのショパンで暗譜が飛びそうになって聴いてるほうが冷や汗かいたけど
綺麗だったのでそれでもよし(←甘)。
この人のショパンというのも興味津々。
スクリャービンも良かったなあぁ。スクリャービンも彼を受け止められそうだ。
最後のばりねり?が一番良かったかも。今日の曲の中で一番完成された世界が見えた。


サイン会あったけど、どうもCDの選曲にそそられなくて保留、見学。
誰かに似てる誰かに似てると思ってたら
ブレハッチに似てるんだ、痩せこけ方が(←殴)。
ロマノフスキーさんはあれだな、ラフマニノフを弾くならあと10kgは太った方がいいと思うな。
そしたら綺麗な(私のドつぼの)フォルテシモが出るかもしれん。





どうでもいい話ですが、
この日寒かったために風邪を引いてしまったんですね。
すごく喉が痛くて眠りが浅かったせいか、ロマノフスキーさんの夢を見てしまいました。
と言っても色っぽい夢では全然なく、
何者かに追われているロマノフスキーさんをかくまっている夢でした。なんじゃそりゃ。
どなたか夢判断お願いします(-_-;)




ポゴレリチ@サントリーホール(2012.5.9)

2012-05-13 | ●コンサートに行きました
9日の水曜日、イーヴォ・ポゴレリチのリサイタルを聴きに
サントリーホールへ行きました。

会場に入ったら、ステージ上で
ポゴレリチがピアノを弾いてました(爆)。
ニット帽?にダボダボ普段着で、お客さんを見渡しながら普通に弾いてた。
リハーサルの続きとか指慣らしのような弾き方ではなく、
つらつらと和音を弾いて(ラヴェルのような響き・・・でもラヴェルの曲だったかどうかはわかりません)
音の響き方を確認しているというような感じ。
これがなんとも深い音色で、この音だけで目の奥が熱くなるくらいで、
これから始まる今日のプログラムに期待が高まりました。
・・・2時間半後の自分がどうなっているかわからない時空の不思議を思うorz


プログラム
ショパン/ピアノソナタ第2番
リスト/メフィストワルツ第1番
ショパン/ノクターン第13番
リスト/ソナタ ロ短調


ショパンの葬送ソナタから始まったプログラム。
メロディはあえて出さず、和声重視。分厚い音で鳴る和音。
2005年以降のポゴレリチにいつも感じていたような、
「メロディとしてつながっていかない」という感覚や、「理解不能の突然のアクセント」はなく、
ちゃんと、彼の目指す音楽が感じられた。
ポゴレリチの音楽があった。
私が昔、「世界一美しい」と思っていたフォルテシモがあった。

・・・あったんだけどね・・・
だから余計タチが悪いと言いますか・・・(^_^;)

以前のような、「音楽がない」という状態なら、
「私には理解できない」「ついていけない」と言って
ついて行くのをすっぱりあきらめてしまうこともできたんですけど、
なまじ今回はポゴレリチの音楽が感じられたもんですから、
ついうっかり、彼について行っちゃったんですよね・・・。

プログラムが進むにつれ、どんどんよりいっそう深く暗いところに行ってしまうポゴレリチ。
ごくゆっくりとした、かすかな動きしか感じられないものをポゴレリチは感じ取って、
それをピアノの音に乗せて、聴かせている。
暗く、深い夜の川の流れのようでもあり、
静かで真っ暗な中、ホタルの光ほどしかない光源を追うようでもあり・・・。
今回はポゴレリチが感じているものと同じものを感じ取ることが十分にできたけれども
それには彼と同じか、または近いレベルで神経を研ぎ澄ませることと、
集中力と、それを持続させるための体力が要求される。
それは、リストのあの長大な、一度も緊張感の切れないソナタでも同様なわけですよ。
本当に暗く、深く、未知の世界だったけども、
ポゴレリチがゆっくりと道案内してくれるもんですから
ついうっかりついて行ってしまい、そしたら現世に戻れなくなってしまった。
冗談抜きで死ぬかと思いました。
自分が命を終えるときはこんな夢を見るのかもしれないとか思ったりも・・・。
しかしそれは、悪夢のようでもありながら、同時に
美しい夢のようでもあったのでした・・・。

リストのソナタの最後の1音が鳴った後の長い長い沈黙が、
なんと重く、暗く、深く、醜く、美しかったことか。
なんだあれは。
ここはドコだ。宇宙の果てに違いない、みたいな。
ここはサントリーホールだと認識するのには、けっこう時間がかかりました。







このプログラムを普通に(^_^;)演奏した場合、
葬送ソナタ30分+メフィストワルツ10分+休憩20分+ノクターン10分+リストのソナタ30分で
1時間40分くらいになると思うんですけど、
この日のポゴレリチのリサイタルは2時間半ありましたヽ(;▽;)ノ
特にリストのソナタは一体何分あったのか・・・1時間以上あったんじゃ・・・ヽ(;▽;)ノ
それをよくもまぁ、あんな緊張感を保ったまま弾けるもんだ。
「リストのソナタがつかめたから聴きたい」とか言ってた1週間前の自分を
ニッコリ笑ってひっぱたいてやりたいわー。
そんな甘いもんじゃないんだ!!って怒鳴りつけてやりたいわー。
甘かったわ私。覚悟が甘すぎた。甘々だったわ。
もうポゴレリチと比べたら世界中の音楽家が「甘い!」とさえ思えるわー・・・。





ヴンダー@フィリアホール

2012-04-21 | ●コンサートに行きました
4月19日、インゴルフ・ヴンダーのコンサートを聴きにフィリアホールへ行きました。

プログラム
モーツァルト/ピアノソナタ第13番
リスト/超絶技巧練習曲より「夕べの調べ」、死のチャールダッシュ
ショパン/ピアノソナタ第3番、アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズ
アンコール
モシュコフスキ/火花
ここまでしか聴いてません


最初のモーツァルト。
なんか…お疲れなのかしら?
なんか、音があんまりきれいに出てないし、なんか単調…つまんない…
で、寝てしまいました(ーー;)

続くリスト。
当然モーツァルトとは違う大きな音が出るわけですが、
やっぱりピアノがクリアに鳴ってない。
打鍵した後ピアノに体重を乗せるタイミングがちょっと早いような。
そして細かい音符の粒が揃ってなくてテンポも微妙に揺れてて、
どうしても弾けてなく聴こえてしまう。
「もちょっとメトロノーム使って練習しましょうね」みたいな。
なのにバンバン弾く。
ちょっと聴いているのが辛くて
よっぽど後半聴かずに帰ろうかと思った…。
でも後半はショパン。
ショパンコンクールのショパンはそんなに悪くなかったはずと思って
聴くことにする。
ショパンは前半よりは良かったかなぁ。
それでもこの人の弾く付点とか、装飾音とか、アクセントの付け方とか、
リズムの捉え方とか、フレージングとかがことごとく私の感覚と合わない。
ペダルも感心しなかった。
あまり考えられてないよーな。ハーフペダルは全く使っていなかったよーな。
フォルテの時にかかとの音でビックリさせたってダメです( ̄  ̄)
そして何よりポリフォニックに聴こえてこない。
バッハちゃんとやりましたか?
ソナタの第四楽章でふと「ベートーヴェン」というキーワードが浮かんだ。
そうかこれはベートーヴェンの流儀か。私の感覚と合わないわけだ…。
しかしそれにしたってこのカクカクしたショパンは…。

細かいところが弾けてないのにバンバン叩いて弾くのに耐えられなくて、
アンコールの1曲めで席を立ちました。
当方、初々しいぎこちなさや挙動不審子ちゃんは大好きですが、
それが好ましく思われるのはピアノ演奏に対して合格点が出た時に限られるわけで、
ヴンダーのそれには嫌悪感を覚えてしまった。
そんなに上手い人じゃないと思うな。
ピアノに転向したのが14歳(だっけ?)ってことだから、やっぱり基礎がしっかりしてないんじゃないかしらね。


とかなんとか思っていろんな方の感想見たら
皆さん大絶賛なのにびっくり…
私の耳は本当におかしいらしい。
というわけで、これは耳のおかしい人間のたわごととして読み流していただけたら幸いです(ーー;)