昨日6月14日はダニール・トリフォノフのリサイタルを聴きに
オペラシティへ行きました。
ピアノがファッツィオリでした。生で聴くの初めて。
プログラム
スクリャービン/ピアノソナタ第2番
リスト/ソナタ ロ短調
ショパン/24の前奏曲
アンコール
トリフォノフ/ラフマニアーナ組曲 第1~5番
ストラヴィンスキー=アゴースチ編/バレエ音楽「火の鳥」より 『凶悪な踊り』
「ピアニストは25歳から」というのが、私の持論です。
ピアノを弾くための身体・筋肉・精神は
20代半ばになって初めて、ある程度の完成を見ると思うので。
トリフォノフはまだ22歳なんだよなぁ…と思うと
今の段階でトリフォノフというピアニストを
どう評価したらいいんだろうなぁと思った夜でした。
スクリャービンの第1楽章は、
派手すぎない音色が光のプリズムのようにゆらゆらきらきらして
それはもう美しかった。
ショパンコンクールの中継を聴いた限りでは彼のことはあまり好きになれなかったけど
それを改めないといけないかなと思った。
が、それをぶち壊す第2楽章(^^;。
すごくガチャガチャしていて全然きれいじゃないフォルテ。
フォルテシモフェチとしてはとても合格点はあげられないフォルテだった。
続くリストのソナタもフォルテがきたなく、
基本的に音色が明るい人なので、この曲に合わない。
リストのソナタはトリフォノフにはまだ早いんじゃないかな。
正直言って、前半聴いた限りでは
ちょっと聴いてるのが辛くて、帰ろうかなと思っちゃったんですよ。
でも、彼の曲への入り込み方は尋常じゃない。
何かに憑りつかれてるみたい。
フォルテが気に入らないってだけで片付けちゃいけない気がする。
と思い直して後半を聴き始めました。
最初の7曲は、それはもう珠玉でした。
特に2番。この曲はたいていのピアニストが
「24の前奏曲の2番目に入ってるから仕方なく弾く」って感じに弾きますが
トリフォノフは左手の、あのなんだかよくわからない和音を
しみじみと、いとおしげに弾いていた。
個人的にこの2番はこのコンサートの白眉だった(と言っても誰も信じてくれないんだろうな)。
ところがそれを8番の嵐でぶち壊し・・・音がきたない・・・
あの2番を弾いた人と別人みたい。
この、「別人みたい」って感覚が、
何か病的な感じがして、彼の曲への入り込み方とあいまって
カリスマ的というか、悪魔的な魅力があるんではないかと思えてくる。
13番、15番も美しかった。
ショパンの声を精一杯聞こうとしているような、真摯な姿が美しかった。
それをまた16番でぶっ壊す。
でも24の前奏曲は15番までの完成された美を16番でぶっ壊してナンボだと思うので
ここでは一番彼の良さ??が生きたかも。
なんというか、彼のフォルテには、ただ音がきたないというんじゃなくて
まだ彼自身もコントロールしきれていない何かを感じたといいますか。
全然タイプが違うけど、アンスネス16歳の録音を聴くとき、
ピアノの底を抜くようなフォルテに
「自分の才能を持て余してるような感じ」がするんですけど、
ちょうどトリフォノフはその只中にいるんじゃないだろうか、とか思ったわけですよ。
ラフマニノフのような響きのアンコールは自作。
さすがに?手の内に入ってる感じでこれも美しかった。
しかし最後の火の鳥はまためちゃくちゃなフォルテでドン引きしてしまった。
でもドン引きして、冷静に聴きつつも
どこかで何か満たされた気持ちでいる自分もいて、
なんか不思議な感じだった。
たぶん彼の音楽性にはどこかで共感していたんだと思う。
そうでなければ、初々しさの抜けないしぐさでペコペコとお辞儀をする彼に
ほほえましさなんて感じるわけがないし。
エラそうに言いますが、今はまだ彼の音楽性に彼の技術が追い付いていないだけで
5年10年経ったらとんでもなく魅力的なピアニストになってるのかもしれないなぁ、とか・・・。
まぁ、あとしばらく、2~3年は聴かなくてもいいかな、と思ってしまったのも事実だけど(^_^;)
オペラシティへ行きました。
ピアノがファッツィオリでした。生で聴くの初めて。
プログラム
スクリャービン/ピアノソナタ第2番
リスト/ソナタ ロ短調
ショパン/24の前奏曲
アンコール
トリフォノフ/ラフマニアーナ組曲 第1~5番
ストラヴィンスキー=アゴースチ編/バレエ音楽「火の鳥」より 『凶悪な踊り』
「ピアニストは25歳から」というのが、私の持論です。
ピアノを弾くための身体・筋肉・精神は
20代半ばになって初めて、ある程度の完成を見ると思うので。
トリフォノフはまだ22歳なんだよなぁ…と思うと
今の段階でトリフォノフというピアニストを
どう評価したらいいんだろうなぁと思った夜でした。
スクリャービンの第1楽章は、
派手すぎない音色が光のプリズムのようにゆらゆらきらきらして
それはもう美しかった。
ショパンコンクールの中継を聴いた限りでは彼のことはあまり好きになれなかったけど
それを改めないといけないかなと思った。
が、それをぶち壊す第2楽章(^^;。
すごくガチャガチャしていて全然きれいじゃないフォルテ。
フォルテシモフェチとしてはとても合格点はあげられないフォルテだった。
続くリストのソナタもフォルテがきたなく、
基本的に音色が明るい人なので、この曲に合わない。
リストのソナタはトリフォノフにはまだ早いんじゃないかな。
正直言って、前半聴いた限りでは
ちょっと聴いてるのが辛くて、帰ろうかなと思っちゃったんですよ。
でも、彼の曲への入り込み方は尋常じゃない。
何かに憑りつかれてるみたい。
フォルテが気に入らないってだけで片付けちゃいけない気がする。
と思い直して後半を聴き始めました。
最初の7曲は、それはもう珠玉でした。
特に2番。この曲はたいていのピアニストが
「24の前奏曲の2番目に入ってるから仕方なく弾く」って感じに弾きますが
トリフォノフは左手の、あのなんだかよくわからない和音を
しみじみと、いとおしげに弾いていた。
個人的にこの2番はこのコンサートの白眉だった(と言っても誰も信じてくれないんだろうな)。
ところがそれを8番の嵐でぶち壊し・・・音がきたない・・・
あの2番を弾いた人と別人みたい。
この、「別人みたい」って感覚が、
何か病的な感じがして、彼の曲への入り込み方とあいまって
カリスマ的というか、悪魔的な魅力があるんではないかと思えてくる。
13番、15番も美しかった。
ショパンの声を精一杯聞こうとしているような、真摯な姿が美しかった。
それをまた16番でぶっ壊す。
でも24の前奏曲は15番までの完成された美を16番でぶっ壊してナンボだと思うので
ここでは一番彼の良さ??が生きたかも。
なんというか、彼のフォルテには、ただ音がきたないというんじゃなくて
まだ彼自身もコントロールしきれていない何かを感じたといいますか。
全然タイプが違うけど、アンスネス16歳の録音を聴くとき、
ピアノの底を抜くようなフォルテに
「自分の才能を持て余してるような感じ」がするんですけど、
ちょうどトリフォノフはその只中にいるんじゃないだろうか、とか思ったわけですよ。
ラフマニノフのような響きのアンコールは自作。
さすがに?手の内に入ってる感じでこれも美しかった。
しかし最後の火の鳥はまためちゃくちゃなフォルテでドン引きしてしまった。
でもドン引きして、冷静に聴きつつも
どこかで何か満たされた気持ちでいる自分もいて、
なんか不思議な感じだった。
たぶん彼の音楽性にはどこかで共感していたんだと思う。
そうでなければ、初々しさの抜けないしぐさでペコペコとお辞儀をする彼に
ほほえましさなんて感じるわけがないし。
エラそうに言いますが、今はまだ彼の音楽性に彼の技術が追い付いていないだけで
5年10年経ったらとんでもなく魅力的なピアニストになってるのかもしれないなぁ、とか・・・。
まぁ、あとしばらく、2~3年は聴かなくてもいいかな、と思ってしまったのも事実だけど(^_^;)