チャッキーの青空日記

感動したこと楽しかったことボヤきたいことをつれづれに

6年経ちました

2017-03-11 14:47:52 | 東日本大震災
あの震災から6年経ちました。
早いな。

民放やラジオは、朝から震災関連の番組ばっかりで見る気もしないのでケーブルテレビのサスペンス劇場を観まくってます。

ただ、2時47分だけは民放にチャンネルを合わせる。黙祷を捧げた。

民放の番組にはうんざりする。震災は忘れてはいけないとは思う。でも、無理に思い出す事でもないと思うんだ。

本当に、あの時の寒さや辛さが匂いや音や空気感も蘇ってくるんだよ。

だから観ない。

心静かに今の幸せを噛み締めつつ黙祷した。

あれから4年

2015-03-11 20:32:55 | 東日本大震災


寒かったなぁ。雪が降ってたもの。
余震がひどかったし、寒いし、怖いし、眠れなかった。

いつまでも鳴り続けるサイレンときな臭い臭い。不気味な静寂。

並んだ並んだ。食料を求めて、ガソリンを求めて。知らない人とも沢山話をした。友達に食料を分けてもらった。

電気が点いた時、温かいコーヒーを飲んだとき、心が温かくなった。

津波で沢山の人が亡くなった。同僚の悲しむ姿も見た。家の無くなった人もいた。

忘れちゃだめだよって、あの夜見つめていたローソクの炎が語りかけてくる。

3年という月日

2014-03-11 06:54:46 | 東日本大震災
今日は宮城鎮魂の日です。
震災から3年が経ちました。早いと言えば早い。周りの人たちも震災についてはあまり語らなくなってきた。
3年経ってもガソリンや灯油、食料がなくなると不安になる。
風化させないでというけれど自分が生きている間は自分自身は忘れることはないだろう。
この時期に流れる津波の画像や震災関係の報道は見たくもなくテレビから流れてくると消してしまう。風化させるなっていうけれど思い出したくない記憶。

午後2時46分
職場で黙祷をしました。

あれから2年

2013-03-11 18:22:19 | 東日本大震災
また巡ってきた3.11。TVは夜中から特番ばかりです。
あの日と同じ夜勤明けのチャッキーは、あの日と同じようにタピオにいきました。本を数冊買ってお昼を食べて戻ってきました。
海鮮チラシを食べましたよ。
あの時間には黙祷を捧げたかったけど眠ってしまいました。
沿岸部はまだまだ大変なんだろうけれど離れたところに住む者の気持ちは温度差はあるんだろうなぁ。
自分から沿岸部に入っていかない限り接点はないからね。それぞれの生活があるから風化は仕方ないのかな。
でも、今日くらいは祈りを捧げよう。

震災後1年

2012-03-11 20:45:38 | 東日本大震災
震災から1年が経ちました。1年経った今でもあの日の事は良く覚えている。

テレビは朝から特番だらけです。津波の映像は見たくないので特番は見ない。

早めに灯油とガソリンを入れに行ったんだけれども、いつになく車が並んでいた。

みんなトラウマを抱えていて、ちょっぴり不安になっている。

午後2時46分には数珠を持って海の方に向かって黙とうを捧げた。

外は、あの日と同じ様に雪が降っている。あの日と違うのは、明りが灯りヒーターが動いている。

みんながそれぞれの震災を経験したのと同じで、みんながそれぞれの思いを持って1年後の3.11を迎えた。

画像は、去年の3月12日の河北新報です。

他の物は全部処分したけれども、この日の新聞だけは捨てられずに手元に置いた。

朝、ポストを覗いたら新聞が入っていてびっくりしたのと感心したのを覚えている。

情報がさっぱりわからないチャッキーに情報を運んで来てくれた1部の新聞がとてもうれしかった。

明日からも、喜怒哀楽いろんな感情とともに生きて行こう。

生きている証だよね。

そして3ヶ月

2011-06-11 20:17:11 | 東日本大震災
 あの日から3カ月経ちました。まだ行方不明者は3000人もいるんだね。そして、新聞の死亡人数も毎日少しずつ増えている。毎日がれきの中から何人かはみつかっているようだしね。早くお家に返してあげたいよね。あの雪の降った寒い日から今は夏日になるような日になっている。ひとりひとりみんな違う3月11日を持っているんだよね。寄って集まると話が尽きない。それぞれがみんな今日までどう生き延びてきたかを語る。ノンフィクションなので、どの話を聞いても引き込まれる。この時間、チャッキーは1階に布団を持ってきて、ホッカイロを貼りキャンドルに火をつけラジオを聞きながら時々の余震にドキドキし明日の仕事を心配し、寒くて眠れない夜を過ごしてたんだなぁ。避難所って行くべきなんだろうかとかライフラインはどうなるんだろうとかいろいろな思いがかけ巡っていたよなぁ。津波が来たことなんか全然知らなかった。朝方のラジオで仙台市の若林区の荒浜で遺体が200位あるって聞いて、どういうこと?何が起こったの?と事の重大さに気付いたんだもんなぁ。あれから家には段ボール2個分の非常食とお菓子が確保されている。しかし時々それらの物に手を出しているので常食になりそうなのだがね。頑張ろうって他人からいわれるのも嫌いになったかな。もともと嫌いな言葉だけどね。

あれから2カ月

2011-05-11 18:31:49 | 東日本大震災
 あの未曾有の大震災から2カ月経ちました。まだ、時々あの頃のことを振り返ることがあります。ともかく3月は並んだ記憶しかないとは同僚M子。確かに、食料にガソリンに水にと並ばなきゃどうにもならなかったもんね。そして、手巻きの懐中電灯は必需品だという話になった。パンの缶詰食ったら乾パンなんて食えないとか、備蓄庫作れとかね。
まだまだ、避難所暮らしの人達がいっぱいなんだよね。今まで住んでいた家や土地の問題とかもあるみたいだよ。年金暮らしの人なんか、県や国からお金もらって義援金もらったって家をリホームや立て直すにはお金が足りない。海沿いの土地なんて売れないし、今は、資材が仮設住宅に行ってしまって高騰しているそうだ。当分リホームもできないと同僚R子。
そして、また地震が来るんじゃないかという噂。噂であってほしい。

震災の爪痕

2011-04-27 23:32:09 | 東日本大震災
本災の時に倒れた裏の物置。そんなに大きいものではないけれど扉を下にして倒れたもんだから重くて1人じゃ持ち上がらない。そこで以前から助っ人にたのんでいたハリーさんが登場し物置救出作戦を決行した。40数日ぶりに定位置に戻った。よかった。割りとさくっと仕事が終わりましたので、港の方のホームセンターに行った。国道を超えて海側に行くのは本震以来だねぇ。道路はボコボコ。大分片付いたそうだけど、あの日津波で流された車がところどころに放置されている。車の集積場には、どんな力が加わればこんな鉄くずになっちゃうのっていう車が積まれているし…。ホームセンターからI地区に行くと四月に入ってからの余震で打撃を受けたとかで傾いて建っている家にビニールシートで覆われている。あの余震、体感的には円を描くような変な揺れだったからね。こんなの見ると家の近辺はましな状況だと思うよね。

仮設住宅現る

2011-04-13 20:48:05 | 東日本大震災
チャッキーの職場の近くに仮設住宅が出来つつある。なんだかあっという間に出来ちゃった感じです。長屋がいっぱい建ってる感じ。市の広報をみると2DKと3Kと1DKのお部屋があるらしい。見学に行きたいなぁ。と思いつつ眺めているわけです。

さて、昨日紹介した同僚は病休になってしまいました。仕事にならないと思うよ。なんだか抜け殻みたいだったもの。津波の被害にあった別の同僚だって元気そうにはしているけれども、昼は自分の車にいっちゃうし、地震速報がなる携帯を肌身離さず持っている感じだし。病みつつあるなぁと気の毒になっちゃう。そういうチャッキーは元気です。

痛々しく・・・

2011-04-12 20:57:15 | 東日本大震災
 本日職場に震災で身内を亡くされた同僚がやってきた。痛々しくて声もかけられない。かけない方がいいのかな。かける言葉の全てが虚しい気がする。もうね、目が悲しみに満ちあふれていてね。きっと一生傷は癒えないんだろうな。試練にしてはあまりにも厳しすぎると思うもん。同じ被災者でもチャッキーレベルは、辛かった日々を笑い話に変えるエネルギーがあるけれども彼女はそれは出来ない。亡くなったの小学生の息子さんだもの…