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トルン散歩

2017-05-21 | ポーランド


13世紀にドイツ騎士団によって開拓された町トルンにきました。
すぐそばにはヴィスワ川が流れていて、時々洪水になるそうで、その時の水位が壁に書かれています。


クラシュトルナ門から中へ。


13世紀の世界に入っていきます。




ドイツ騎士団の恰好をした人がいます。
写真1枚6ズロチ?
遠くからこっそり撮影です。


奥の方の建物、角度がおかしいです。


完全に傾いてます。




が、建造物としては大丈夫だということで、1階は土産物屋になっていました。


昔の城壁が残っています。
レンガの中には廃材がギッシリ。


あっ、13世紀の町で猫ちゃん発見です。


なんの建物でしょう??


長い間コペルニクスの生家とされていた建物です。


でも、どうやらこちらが本当の生家のようで、今はミュージアムになっています。




雨樋が凄くお洒落。


聖ヨハネ大聖堂の角を曲がると


かなり人が出てきました。


トルンはピエルニク(ジンジャーブレッド)が有名だそうです。
ピエルニクに模様を描いている様子です。


ちょっと模様が欠けちゃってますが、シヴィトニツァの平和教会?の型が押してあるピエルニク。


みんなが金属のロバの前で記念撮影しています。


このロバの背中は尖っていて、罪人を座らせたそうです


一段と広くなった所に、旧市庁舎がありました。
その角には、もちろんコペルニクスですね。




時計塔の上に人がいます。
登れるのかな。。。


市庁舎横の壁。


向かい方には東洋美術館がありました。


旧市庁舎の中庭に入っていきます。




トルンの紋章を天使です。




中庭には、かなり年代を感じさせるツタが壁を上っていました。




な、な、何やら窓に人が、、、
中庭を見下ろすように窓に昔の市民の衣装を着た人形が置かれていて、ちょっと気持ち悪い。




旧市庁舎の中には、建設当時のステンドグラスが展示されていました。


旧市庁舎の裏に出ました。旧市庁舎広場です。






広場から奥まった所に、聖母マリア教会が見えます。
後で中に入ります。


広場にはヴァイオリン弾きの像がありました。
どうやら、ハーメルンの笛吹きのカエル版のようです。


一周回って一際目立つ建物です。
なんと1311年とかいてありましたが、、1891年に建てられた旧ポーランド王「アーサー」の別宅だとのこと。




さあ、トルン教会巡りへ向かいます。


ジェラゾヴァヴォラ

2017-05-19 | ポーランド
ショパンの生家があるジェラゾヴァヴォラへ
生家と言ってもショパンが住んでいたのは赤ん坊の頃だけのようでが、博物館になっていました。






チケット売り場です。


広い敷地のあちらこちらにショパンのモニュメントがあるようです。


左にはレストランがありました。


広い敷地を奥へ進んで行くと、生家がありました。




内装は、古い家具を配置して、それらしく再現したものなので、ショパンとは関係ないようです。






ピアノの部屋です。
ショパンが使っていたピアノと同じ型のピアノが置かれていました。


家の中にもショパンのブロンズが。。。




こちらはショパンの両親、フランス人で伯爵家の家庭教師をしていたミコワイとお手伝いのユスティナの肖像画です。

ユスティナは伯爵家の遠縁のため、いわゆるお手伝いよりはちょっと良い暮らしだったみたいです。

生家を出てお庭の散策に向かいます。




お化けみたいな木がありました。


敷地には川も流れています。


モニュメントを探して超寒い中をウロウロ。




お庭にはキノコや巨大な松ぼっくりもありました。




さあ、やっとお昼です。
生家の前にあるレストランにはいりました。


レストランのロビー。


素敵な内装のお店で、ピアノの生演奏が行われていました。






ポーランド最初の郷土料理は
野菜のスープと大量のポテトとキャベツの上に乗せられたサーモンでした。



2品なのに、凄いボリュームで、お腹いっぱいに。


ワルシャワ旧市街

2017-05-14 | ポーランド
旧市街観光は続きます。


王宮です。
上から見ると五角形をしているそうです。
王宮もドイツ軍の報復で壊滅的な状態であったものを、細かいレリーフに至るまで復元したそうで、是非入ってみたいのですが、何せ朝も早く、時間もないので断念です。








王宮前の広場から伸びる路です。
どの路も趣があって、のんびり路地散歩したい気分。


路地の角の建物にはペリカンがいました。


別の建物の屋根には、変な形の雨樋??


こちらのロココ調の建物も、装飾が素敵。


広場中心に立つジグムントⅢ世の碑。
彼の剣が下を向くと災いがやってくると言われています。

今は上を向いてますね。



八時半を回り、王宮広場にも少しずつ人が出てきています。


ここでトイレタイム。
左側の階段を数段上がった所の建物にトイレがありました。


中に入るとポリスがいました。

ポーランドのトイレは数が非常に少ないです。
狩猟民族だった欧米人は農耕民族の東洋人に比べトイレの回数が少ないと言われていますが、それにしてもポーランドでは、個室が1個、多くて2個しかありませんでした。
今まで周った国の中で、ダントツ少なく、旅を通して苦労することになりました。

聖アンナ教会。
金箔や色とりどりの絵画が豪華にきらめくシャンデリアの内装だそうですが、、、入れませんでした。





広場で苺が売られていました。
500g 7ズロチ(210円) 500gってどのくらいだったかな。


こちらは旧郵便局。
1830年、ポーランドの若い下士官達がロシア帝国支配に対して武装蜂起する直前、ショパンの友達はショパンの才能を惜しんで彼を国外へ脱出させました。
その際、ショパンが友達と別れを惜しんだ場所だそうです。


素敵な柵に囲まれた立派な像がありました。
ロマン派の国民的詩人の像ですが、、、知りません。




その隣の教会です。


大統領官邸のラジヴィウ宮殿とポーランドの英雄ポニャトフスキの像です。




警護の兵隊さん達、なんか緊迫感ないですね。


5星ホテルのBRISTOL
高級車が止まってました。


ホテル前から王宮の方角を振り返って


逆に科学アカデミー側は


ショパンが演奏したパイプオルガンが今もあるヴィジトキ教会です。
1780年に描かれた絵と全く景色が変わってません。




こちらも何かの宮殿のようですが、入口に重そうに2階を支える男性が気になります




ワルシャワ大学の門です。


入っちゃいます。
正面にはカジミエーシュ宮殿。


宮殿前のベンチに佇む男性が一人




日本から送られた桜だそうです。


クラジンスキ宮殿、ショパン一家がこの建物に住んでいたそうです。


旧市街のあちらこちらにショパンベンチが設置されています。
ボタンを押すと、ショパンの名曲が流れます。
座るのがもったいないわ。


聖十字教会ですが、まだミサの最中なのでちょっと通りすぎます。


クラクフ郊外通りの突き当りにあるのが科学アカデミー


ポーランドで科学と言えば、コペルニクス。
アカデミーの前にはコペルニクスの像がありました。
その足元にはいくつもの円が。。。太陽の位置にコペルニクスの像があり、惑星の軌道が描かれています。


地球です。


聖十字教会へ戻ります。






まだミサは終わっていないようですが、そ~っと入ります。












この柱にはショパンの心臓が埋め込まれています。
最後までポーランドに戻ることができなかったショパンは遺言で、姉に心臓だけ内密にポーランドに持ち帰り埋葬してもらったとのこと。
柱にはショパンの顔のレリーフがありました。
が、、、ミサの最中だったので、後ろの方からこっそり撮影です。


もっとゆっくりワルシャワを楽しみたかったけど、直行便の予定がヘルシンキ乗り継ぎになったことで、ショパンの生家もこの日に回らなければならなくなり、バタバタとワルシャワ観光が終わりになりました。

ワルシャワ旧市街へ

2017-05-13 | ポーランド
バルバカンから旧市街へ入ってきました。


ワルシャワ蜂起の報復としてドイツ軍に徹底的に破壊されたワルシャワですが、建物は当時のままに復元されています。








上ばかり見て歩いていると、こんなものに躓きそうになります。


建物の扉も復元とは言え、歴史を感じます。






旧市街広場へ出ました。
最上階は芸術家達が暮らしていたのではないかと言われています。






こちらの建物は博物館だそうです。


破壊された旧市街広場の写真と現在の広場です。




完全に復元が完了した1953年が、風見鶏に刻まれていました。


ワルシャワの守り神です。


こちらの建物は琥珀のお店でした。


ブレスレットの値札が読み取れます。
10万円位。


別のお店には琥珀で造られたタイタニックもありました。


井戸です。
ライオンの口から水がでるようですが、大き過ぎ。


時間は8時20分


旧市街広場から王宮へ向かいます。




復元されたワルシャワがユネスコの世界遺産に登録されたというプレートが道路に埋め込まれていました。


17世紀初めに建てられた聖母教会です。


なんと扉からは聖母や天使が飛び出しています。


教会の入口には熊???


昔々この地方を領していたマゾフシェ公の中に大男で強いが大変に醜男の貴族がいたそう。
心根が優しく人々から『熊大公』と呼ばれ愛されていました。
この熊大公、ある日 教会のミサに来る女性に一目惚れをしたのですが、気が弱く女性を遠くから見つめるだけだったとか。
その後熊大公は教会で結婚式を挙げるその女性を偶然に見て、絶望のあまり石になってしまったのだとか。
彼のことを心から愛する女性が現れた時、熊大公は人間に戻れるのだとか。
どこかで聞いたことがあるような話ですね~。


1370~1956年ってなんなんでしょう???


建物の壁から頭が飛び出しています。




ワルシャワで最も古い教会、洗礼者ヨハネ大聖堂です。
スタニスワフⅠ世とスタニスワフⅡ世の戴冠式も行われたそうです。




教会の裏へ回っていきます。




ドイツ軍の戦車のキャタピラが壁に埋め込まれていました。


教会の裏です。




教会の裏の広場には、ワルシャワ蜂起の報復としてドイツ軍に爆撃されたヤン大聖堂の釣鐘があります。
戦後、瓦礫の中から見つけた破片をつなぎ合わせ復元した物だそうです。
この釣鐘の上を触って一周しながら願い事をすると叶うというので、さっそく一回り。
1日一回のみ有効だそうです。

一回りした後で、願い事はその日1日だけの物と教えてもらい。。。先に言ってよ。

気温は5℃位で、手はかじかむし、寒さでトイレには行きたくなるし。。。
とにかく王宮を目指して歩きます。



ワルシャワ観光

2017-05-11 | ポーランド
ワルシャワ蜂起記念碑から観光を開始しました。


ナチスの占領に対抗し、ポーランドの抵抗組織は1944 年に蜂起します。


今まさに戦いに挑もうと銃を構えた兵士達のブロンズがありました。




ポーランド地下抵抗組織の国民軍はドイツ占領軍に対して63 日間戦い続けましたが、国外からの援軍が得られず敗れました。
地下通路に逃れる兵士や子供を抱いた女性のブロンズもあります。

ワルシャワを守るために戦った兵士たちの団結力が伝わってきます。

その向かいにはポーランド軍大聖堂。


扉の両サイドにはプロペラと錨。
扉にはMILITO PRO CHRISTOの文字が描かれていました。




建物には第二次世界大戦の記念プレートがありました。


新市街を進んで行きます。
新市街と言っても、かなり古い気が~~~






奥に見えるは旧市街を囲む城壁です。


この古い建物のドアは、、、キュリー夫人の博物館でした。






でも、キュリー夫人の生家はその斜め向かいにある家です。








キュリー夫人が子供の頃通った教会だそうです。


徐々にタイムスリップしていきます。




旧市街への入口、バルバカンです。




バルバカンから城壁が旧市街を囲むように続いています。






いよいよ旧市街です。