良い子の歴史博物館

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ロバート・エドワード・リー

2005年01月05日 | 人物
アメリカ南北戦争の南軍の総司令官。

南北戦争勃発時、誰もが北軍の圧勝で短期で終結と予想していた。
何しろ、兵力、工業力、人口など全ての面で、北が圧倒的に大きかったからである。
初めての会戦では、北軍の勝利を見ようと、連邦議員が家族連れでピクニックしに来たとか。

実際に開戦すると、予想に反して、南軍の連戦連勝で、北軍の総崩れが続く。
そのため4年間もの長期にわたる激闘が続いてしまった。

なぜ当初、南軍は強かったか?
それはロバート・E・リーという天才的な将軍がいたからである。

リーはリンカン大統領から北軍司令官に
就任するようにとの求めを断り、南軍に加わった。

北バージニア軍司令官として、次々と北の大軍を打ち破り、
戦争後半には南軍総司令官となる。

敵の動きを予想し、弱点を巧みに突くリーの戦術は
現在でも世界中の兵学校で学ばれている。

しかし、北にはリンカン大統領という
米国史上最高の傑出した指導力を持った指導者がいた。
敗戦を重ねながらも、国家総動員体制を整え、
軍を再編成し、アナコンダ作戦という
大蛇が獲物を絞め殺すように
ジワリジワリと敵の物資補給を断ちながら
広大な戦線から侵入する作戦に持ち込む。

一方、南の政府にはすぐれた人物は登場せず、
各州でバラバラでまとまりがなく、
リーの軍事的才能以外に見るべきものを持たなかった。

リーは自分たちが不利になっていく状況を知っていた。
北軍は何度負けても、さらに大きな大軍を組織して、再戦する余裕がある。
しかし南軍は一度負ければ終わりだ。

そこで大きな賭けに出る。
首都ワシントン近くまで進んで、そこで決戦に持ち込み、勝利した後、
南に有利な条件で講和するという戦略である。

かくしてゲティスバーグ会戦が行われた。
結果は南軍は兵力の3/4を失い、北軍を破ることができず、撤退を余儀なくされる。
北軍も撤退する南軍を追撃する余裕がなかった。
とりあえず北軍は陣を守り抜いた。
こうして南が勝利する機会は失われた。

北軍の反撃が始まる。
グラント将軍、シャーマン将軍らの大軍が容赦なく、南部へ進撃した。

リー軍と対戦したグラント軍の兵士にとって、
恐怖の連続だった。
リーの名を聞くだけで、北軍兵士は震え上がった。
おびただしい犠牲を出しながらも、グラントは進撃を止めない。

物量の差はいかんとしがたく、追い詰められたリーは、降伏する。
グラントはリーを敗軍の将として扱わず、丁寧に遇した。
南北戦争が終結したのだった。

戦後、リーの名声は南北関係なく高く、ワシントン大学の学長となる。
リーの語る言葉を米国民は一生懸命に学ぼうとした。

ちょっと待て!
誰のおかげで、60万人もの犠牲を出す羽目になったのだ!
人口2千万台での60万だぞ!!
リーが有能ぶりを発揮したためではないか!
リーが無能なら、軽微な犠牲で済んだものを!

しかし、無能な南の他の首脳陣は馬鹿にされるが、
リーは米国の英雄として讃えられるのであった。