Fireside Chats

ファイアーサイド・チャット=焚き火を囲んだとりとめない会話のかたちで、広報やPRの問題を考えて見たいと思います。

読売社説第三弾を読む

2004年09月20日 08時07分57秒 | プロパガンダ
読売新聞の9月18日、19日の社説は、ジャーナリズムしての読売新聞のクオリティレベルを露わなものにする歴史的資料でしたね。
あざらしサラダさんは♪本当にプロが書いた社説なの?とあきれかえり、カトラーさんは読売新聞が死んだ日と断じます。
もっともぼくは、読売新聞大阪本社社会部の故黒田清氏や大谷昭宏氏などのいわゆる「黒田軍団」を放逐した時点で既に死んだと思っていますがね・・・。

20日の社説はどうなのか?
ふだん社説なんて読まないのですが、今日は早速目を通しました。
第1弾、第2弾との違いはどこにあるのでしょう。

1.あからさまな選手会批判は影を潜めた。

第1弾、第2弾の社説は首領様であるナベジョンイル氏の歓心を買うための、読売グループ内の幇間社説とぼくは理解しているわけですが、第1弾、第2弾でヨイショの効果は上ったと執筆者が思ったためか、他の報道機関が選手会支持であるとことに配慮したのか、ブログを含め嵐のように吹き荒れる読売社説批判にたじろいだのか・・・?
とはいえ、選手会に批判的トーンは崩していませんし、経営者サイドの正当性を主張することも忘れていません。

2.根来コミッショナー提案をベースにした着地を主張している。

コミッショナーはハーフスイングのくせに振り逃げしようとしているわけですね。
でそのハーフスイングにあたるのが、3項目のコミッショナー提案。
17日の労使交渉の場で、選手会がその具体的内容を質したのに経営側は答えられず、そのまま議論としては流れてしまった代物です。
次回の労使交渉では、ここから議論を始めようという腹なのでしょうか。

大正の初めに、憲政の神様といわれる尾崎愕道が、党利党略のために天皇を使う時の桂内閣を、「玉座を胸壁とし、詔勅を弾丸となす」ということばで痛烈に批判したことがありましたが、読売新聞は「コミッショナーを胸壁とし、社説を弾丸」として、自らの正当性を印象付けようとしているわけです。
そうか、昨日の新聞紙面を無駄に使っていた根来コミッショナーのインタビューの背後にはこんな意図があったのか。

野球協約には、
第8条 (職権)
(1)コミッショナーは、日本プロフェッショナル野球組織を代表し、これを管理統制する。
(2)コミッショナーが下す指令、裁定、裁決ならびに制裁は、最終決定であって、この組織に属するすべての団体と個人を拘束する。
「以下略」


とあり、コミッショナーに全能の権威を与えています。
根来コミッショナーは今月末には辞任するようですが、とんでもない指令・裁定を最後っ屁としてひりだすよう、現在裏側では読売新聞が説得活動を続けている可能性を否定できませんね。

事実、かつての江川騒動の時には、当時の金子鋭コミッショナーはそうしてやめて行ったのですから・・・。