Happyday of LUCKY

日々の気付きと感謝を忘れないように綴るページ

今年のご褒美は

2013年12月21日 | Life
先日、電車でL大学へ行ったのだが、JR環状線の内回り電車があるトラブルのために遅れていて、ようやくやってきた車両が超満員。その中で厚さ4センチ、重さ600グラムの本を読んでいたら、ぐいぐい押されてアミ棚に掴まらなければ身体が支えられない状態になり、結局読むのを断念した。大阪駅に着くまでの17分間はまさに地獄のようなつらさであった。
そのとき、わたしが思ったことは「もっと薄くて軽い本ならよかったのに」ということだ。



この地獄の体験を経て、わたしは電子書籍リーダー「Kindle Paperwhite」を買うことを決心した。これは今年もよく働いた自分へのご褒美である。
端末の厚さはわずか9.1ミリ、重さが206グラムというサイズ。これなら満員電車の中でも片手でらくに読めるだろう。
しかも文字の大きさを自由に変えられるので、老眼がすすんできたわたしにはありがたい。
専用のカバーを付ければ、閉じると自動的にスリープ状態になり、開くと読んでいたところがパッと出てくる。紙の書籍と同じような感覚で読めるのがいい。

電子書籍はすべてKindleストアから購入してダウンロードする。
ほしい本を検索して買うのは、Amazonで買い物するのとまったく同じで、しかもAmazonのアカウントがあれば端末から接続すると自動的に登録されて、すぐに決済できる。
ただKindle版は紙の本より品揃えがまだまだ少なく、意外にほしい本が見つからないから、結局、紙の本を買うことになる。まあ、これからどんどん増えていくことに期待しよう。

そもそも日本語の書籍が電子化できるようになったのは去年の10月からであるが、紙の書籍には再販制度というものがあって、その価格は固定されている。だが電子書籍はその制度の対象外なので、価格は出版社との合議によって決められる。なので紙の書籍より電子書籍の方がずっと安いものもあって、うまく探せば古書よりも得な場合もある。
さらにうれしいのは著作権の切れた作家(つまり没後50年以上)の作品は無料でダウンロードできるものもたくさんある。若いころに読んだ芥川や太宰なんかも、ほとんど0円だ。この機会にもう一度、Kindleで読みなおしてみようと思う。
お正月はKindle三昧だ。

在宅で看取るということ

2013年12月17日 | Life


妻が母親の介護で実家に帰って、約2ヶ月になる。
この間、所用で2~3回大阪に戻ってきたが、つぎの日にはまたばたばたと帰っていく。わたしも仕事が忙しい時期なので、ゆっくりと話を聞くこともできず、心苦しい気持ちでいっぱいだ。

ここ半月くらいは毎日、朝・昼・晩、多いときには5~6通のメールが届く。「今日のお母さんは」という件名のメールには、その日の義母のようすが詳細に綴られている。
体調のよしあしや食欲のありなし、排便のようす、薬の効きぐあい、酸素濃度による呼吸の深さ、そしてちょっとした会話のなかに感じる本人の生きようとする意思の衰え。
そうした諸々のようすをずっとそばで見ているのは、精神的にも肉体的にもとてもきついと思う。けっして良くはならない、徐々に弱っていく姿を見つづけることは、ある意味、残酷でもある。どれだけ声をかけ、手を尽くしてもなすすべがないのだから。

毎日送られてくるメールを読むにつれ、気丈な彼女がだんだん弱気になっていくようすが行間から感じられるので、わたしも悲痛な気持ちになる。なんと返信すればいいのかさえわからなくなってきた。彼女の気持ちをうまく受け止められない自分にも苛ついてしまう。
「ターミナルケア」なんて横文字でいうと理想的でスマートに聞こえるけど、いざ自分の親を自宅で介護するとなると、これほど大変でつらいことなのか。
やがて自分自身も介護される立場になるわけだが、そのとき自分はどうふるまうのだろう。その姿がまだイメージできない。

「商売道具」の危機

2013年12月15日 | Life
先週一週間、J大学で就活用の証明写真を撮る。
カメラマンがもう一人いるので、わたしが撮ってるときはもう一人がPCを操作して、撮影のあと学生さんに撮った画像を見せてベストショットを選んでもらう。わたしがPCを見せているときは、もう一人が撮影するという感じ。
少ない日で50人、多い日は100人くらいの学生さんを撮ったが、二人で交代しながらなので、それほど大変な撮影ではない。
と、はじめは思っていたのだが、週末になるとさすがに疲れがたまってきて、最終日のきのうは朝から目がしょぼしょぼして焦点が合いにくかった。
まあ、目のピントがあまくても、写真のピントはカメラがしっかりと合わせてくれるので問題はない。



ところで、今月のはじめに受けた一日人間ドックの結果が届いたのだが、視力検査で「D2 : 右目に緑内障の疑いあり。精密検査を要します」というショックな内容が書いてあった。
前回までの人間ドックでは視力検査が簡易なものだったので、今回は病院を代えてみたらこの結果が出た。今まで見落としていたのかもしれない。
カメラなら具合いが悪くなれば修理するか買い替えればすむ話だが、これが目となると簡単に取り替えるわけにはいかぬ。とくに右目はわたしの利き目であるから、症状が悪化すれば仕事に支障をきたすだろう。この「目」こそがカメラマンの商売道具なのに、ちょっとやっかいなことになった。
でも毎日これだけ酷使していたら悪くもなるわな。仕事が一段落したら眼科に行こうっと。



昼からKさんの娘さんの写真を撮りにいく。2歳になる娘の誕生日の記念として写真を撮ってほしいという。
今から5~6年まえに、自分の作品として在日コリアンの家族を撮らせてもらったことがあるが、未だにそのときのつながりで年に1~2回は撮影依頼がくる。10年後くらいにネタがたくさん溜まったら写真展をするのもおもしろいかもしれない。
そのころにはこの娘さんはもう中学生になっているだろう。

弱起ではじまるシュプレヒコール

2013年12月08日 | Life
本日、ジョン・レノンの命日。毎年この日はジョンの冥福を祈りながら、どこかで呑んだくれている。
きょうは写真学校時代の友人HさんとIさんと3人で、京都でダコタ忘年会。
「ダコタ」というのは生前ジョンが住んでいたアパートの名まえであるが、このアパートの前で1980年のきょう、マーク・チャップマン(ジョンの熱狂的なファン)に銃で撃たれた。
わたしたち3人も熱狂的なファンであるから、来年の夏にダコタアパートとストロベリーフィールドへいっしょに行こうと約束している。
そのダコタ行きのミーティングも兼ねての忘年会なのである。



昼すぎに京都に着いたら、八坂神社の方からなにやら太鼓の音が聞こえるので近づいていくと、二日前に強行採決された「秘密保護法」に対する反対のデモ行進をしていた。これはもう参加するしかない。




わたしの若いころは肉声と笛だけであったが、最近のデモ隊って鳴り物(大太鼓や小太鼓、タンバリンなど)が入って、けっこうポップな感じでシュプレヒコールをする。
下の譜面のように、むかしは一拍ずつ言葉をまとめて発声していたが、きょうは鳴り物(つまり伴奏)があるので一拍目のウラから入ったりして、なかなかリズミカルなのだ。しかもテンポがむかしの2倍以上の速さで、自然とからだが動くのでたのしい。なんかお祭りのパレードか、サッカーのサポーターの応援みたい。

(上がむかしのリズム。下がいま)

デモ隊のなかには沿道の人たちに一生懸命手を振る人がいて、逆にその人にむかって沿道から「がんばってくださーい」と笑顔で手を振りかえす人たちもいる。それがサクラとは思えないので、久しぶりにデモに参加したわたしには、すこし不思議な感覚であった。今どきのデモ行進って、こんな感じなんだね。
これを「テロとおなじ」という人もいるのだから、ますます不思議だ。

八坂神社から四条通りを西へ、途中でUターンして河原町通りを北上し、京都市役所まで約2時間練り歩いてデモ行進は終了した。
デモのようすはこちら → 秘密保護法の強行採決に抗議!秘密にするなデモ

日本の民主主義は死んだ

2013年12月06日 | Life
きょう(現地時間5日午後8時50分)、南アフリカの元大統領ネルソン・マンデラ氏が亡くなった。
いうまでもなくアパルトヘイト(人種隔離政策)に対する反対闘争を指導し、1991年についに全廃を勝ち取った中心的人物である。
彼は若いころANC(アフリカ民族会議)で活動していたが、1962年に逮捕され、長い獄中生活を経て、1990年に釈放される。釈放後、黒人初の大統領に就任し、南アの民主化をすすめてきたのがマンデラ氏だ。
いまから20年くらいまえに来日し、大阪は扇町公園にやってきたとき、わたしもその歓迎集会に参加した。なんとも穏やかな彼の顔とその声をいまも鮮明に覚えている。
これまで黒人を差別してきた白人と融和し、ともに平和な世界をつくろう、というのが彼の主張であった。ここから世界は民主化にむけて大きく動きだすのだな、と実感した瞬間でもあった。



世界の民主化運動のリーダー的存在として活動してきたマンデラ氏が亡くなり、まるでそれに連動するかのように、わが国では特定秘密保護法案が可決成立した。なんという悼ましいことか。アベ政権発足からちょうど1年、この暴走ぶりにわたしたちはなすすべがない。
一方、若者たち(だけではないが)はサッカーW杯の予選組み合わせがCグループになったことで、決勝トーナメントへの出場の可能性が出てきたことに沸き立っている。国会と国民のこの落差、温度差はいったいなんだ? なにをどう叫んでも、どうせ強行採決されるというあきらめか。



成立した秘密保護法はおそろしい法律だ。わたしたちの知る権利が阻害されるなどというレベルの話ではない。政府にたてつく人間を罪人にデッチあげ、なんなりと理由をつけて不当逮捕することもかんたんにできる。「逮捕理由は秘密」として開示する必要がないのだから。まさにやりたい放題のファッショ法なのである。こんなことを書いてると、わたしも知らぬ間に逮捕されるかもしれない。