私の実感からいっても、日本人は極めて細部への関心の強い人達である。
少なくとも日本の文化は、人間の物事の細部へ向かおうとする
意識の働きを積極的に肯定し、その働きの可能性を大きく広げていこうとする
性格を持っている事は間違いない。
例えば、日本では「あの人は物事に対する細やかな視線を持っている」
と言えば、かなり好意を含んだ誉め言葉になる。
が、他の諸国では日本で言うほどの重さを持った言葉にはならないように思える。
韓国では日本と逆に、神経の細かさはかえって良くないものとすらされる。
より大所高所からゆったりと物事をみつめ、細かい事など
いちいち気にしないのが立派な人である。
(略)
中国人はどうか。例えば、数年前に中国のビジネス現場を取材したおり、
上海の日系企業で働く二十代半ばの中国人青年は、こんなことを言っていた。
「日本人の上司からは、君の机はいつも汚れている、出社したら
必ず机の上を整理して、机を拭くようにしなさい、
といったことを度々言われるんです。そんなことは、
誰か雇ってやらせればいい事です。
大卒の私がやるような仕事じゃない。
私は、どうすればこの会社がより発展できるかと、
そういう大きな事をいつも考えていたいのに、
どうでもいい小さな事にまで気をつかわせるなんて、全く理解出来ません」
韓国人もほぼ同じ考えをすると言ってよい。
「『脱亜超欧』へ向けて」 呉善花 著 より
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少なくとも日本の文化は、人間の物事の細部へ向かおうとする
意識の働きを積極的に肯定し、その働きの可能性を大きく広げていこうとする
性格を持っている事は間違いない。
例えば、日本では「あの人は物事に対する細やかな視線を持っている」
と言えば、かなり好意を含んだ誉め言葉になる。
が、他の諸国では日本で言うほどの重さを持った言葉にはならないように思える。
韓国では日本と逆に、神経の細かさはかえって良くないものとすらされる。
より大所高所からゆったりと物事をみつめ、細かい事など
いちいち気にしないのが立派な人である。
(略)
中国人はどうか。例えば、数年前に中国のビジネス現場を取材したおり、
上海の日系企業で働く二十代半ばの中国人青年は、こんなことを言っていた。
「日本人の上司からは、君の机はいつも汚れている、出社したら
必ず机の上を整理して、机を拭くようにしなさい、
といったことを度々言われるんです。そんなことは、
誰か雇ってやらせればいい事です。
大卒の私がやるような仕事じゃない。
私は、どうすればこの会社がより発展できるかと、
そういう大きな事をいつも考えていたいのに、
どうでもいい小さな事にまで気をつかわせるなんて、全く理解出来ません」
韓国人もほぼ同じ考えをすると言ってよい。
「『脱亜超欧』へ向けて」 呉善花 著 より
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