先の大戦末期の沖縄戦で日本軍の命令で住民が集団自決を強いられたとする出版物の記述は誤りで、名誉を棄損されたとして、当時の守備隊長と遺族が著者でノーベル賞作家の大江健三郎氏と岩波書店を相手取り、損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こすことが二十三日分かった。
訴えを起こすのは、沖縄戦で座間味島を守備した陸軍海上挺進隊第一戦隊長を務めた梅沢裕・元少佐(88)と、渡嘉敷島を守備した同第三戦隊長だった故赤松嘉次・元大尉の弟、赤松秀一氏(72)。
訴えられるのは、『沖縄ノート』(岩波新書)の著者の大江氏と、他にも故家永三郎氏の『太平洋戦争』(岩波現代文庫)、故中野好夫氏らの『沖縄問題20年』(岩波新書)などを出している岩波書店。
訴状などによると、米軍が沖縄の渡嘉敷島と座間味島に上陸した昭和二十年三月下旬、両島で起きた住民の集団自決について、大江氏らは、これらの島に駐屯していた旧日本軍の守備隊長の命令によるものだったと著書に書いているが、そのような軍命令はなく、守備隊長らの名誉を損ねたとしている。
沖縄戦の集団自決をめぐっては、昭和二十五年に沖縄タイムス社から発刊された沖縄戦記『鉄の暴風』で、赤松大尉と梅沢少佐がそれぞれ、両島の住民に集団自決を命じたために起きたと書かれた。この記述は、沖縄県史や渡嘉敷島(渡嘉敷村)の村史など多くの沖縄戦記に引用されている。
疑問を抱いた作家の曽野綾子さんは渡嘉敷島の集団自決を取材し『ある神話の風景』(昭和四十八年、文芸春秋)を出版。座間味島の集団自決についても、生存者の女性が「軍命令による自決なら遺族が遺族年金を受け取れると島の長老に説得され、偽証をした」と話したことを娘の宮城晴美さんが『母の遺したもの』(平成十三年、高文研)で明らかにした。
その後も、昭和史研究所(代表・中村粲元独協大教授)や自由主義史観研究会(代表・藤岡信勝拓殖大教授)が曽野さんらの取材を補強する実証的研究を行っている。 →情報源
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ちょっと小箱向きではない長めの記事ですが、ええ話やったので。
こういう定説と言うか…都市伝説を通り越えて常識レベルにまで浸透してしまったものって、なかなか後から変えにくいんですよね。なんだか氷点を思い出すなぁ。死刑囚の子供、と思い込んでて、結局違うと分かったからといってもすぐに意識が変えられるわけでもなくって。そんな感じで。
そういえば、中国での百人斬りに対しても、遺族が名誉毀損で訴えて、新聞記者のでまかせだと裁判で認定されましたが、あまりそれを知っている人ってのも少ないんじゃないでしょうか。中国の『旧日本軍の化学兵器』にしたってそうなんですけどね。
…戦後60年という時間を考えると、これが最後のチャンスなんだろうな、としみじみ思います。「終戦のローレライ」を観たときにも思ったんですけどね。いわゆる戦勝国のプロパガンダに対して、生きている人が「こういう事実もあった」と声を上げる、最後の機会なんでしょうね。あとはもうゆっくりゆっくり、生き残っておられた方が居なくなって、プロパガンダが「事実」として扱われて…それっきり。
もちろん、世界に対して大きな被害を与えたことは確かなんですけれども、果たして『アジアの国々』の言うとおりのわかりやすい、憎むべき悪役であったのか。それ以外の事実は何一つとしてなかったのか。理由も何も無く、ただ『加害者』という役割だけがあるのか。そういうことを考えると、そんな一切合財の事情をすっ飛ばしてただ糾弾されるだけのものってあるのかなあ、と思ってしまうのです。今日び、子供向けの特撮番組の悪役だって、そんなにわかりやすくないぞ。
戦争を加害・被害というだけの関係にとどめるのではなく、ひとつひとつの事象を丹念に拾い上げ、検証していって始めて、「では同じような状況に陥ったときにどうするか」「同じような状況に陥らないようにするにはどうすればよいのか」といった、次につながる思考になるのではないでしょうか。
ちなみに猫西が第2次大戦から学んだ事柄は『勝てば官軍、負ければ賊軍』。アメリカ軍の原爆投下とか、ソ連によるシベリア抑留とか、どこが『非人道的で平和に対する罪』に該当しないのか、不思議だもんなぁ…。