気まぐれ徒然かすみ草ex

京都に生きて短歌と遊ぶ  近藤かすみの短歌日記
あけぼのの鮭缶ひとつある家に帰らむ鮭の顔ひだり向く 

窓に寄る 中野昭子 

2016-11-10 14:35:05 | 歌集
両の手をまつすぐあげてバンザイをくり返すとき運動となる

羽音して見上げたるとき鳥の足が胴のなかへと引き寄せられる

やや暮れてきたるしづけき水面の花を真鯉が吸い込みたりき

この椅子は古くなりしかば日向にて猫が眠りにくるときをまつ

犬用の紙おむつゆゑあいてゐる小さき穴に尻尾を入れる

あらあらと言ひつつわれの転びたるをわれは笑ひて娘わらはず

酸欠の鯉のくるしき顔思ふ夜(よ)のまだあけずまだ夜(よる)あけず

同じもの喰はせ育てし娘ふたりチンパンジーとオランウータン

明け方を父と思へば母もまたあけがた逝きし朝顔のあさ

上下させ見むとしみたる天眼鏡やつぱり見えぬ父の戦争

(中野昭子 窓に寄る 角川書店)

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中野昭子の第六歌集『窓に寄る』を読む。

中野さんとは「鱧と水仙」でご一緒している。先日もある会で会ったとき、目の悪くなった私に寄り添ってくださり、本当にやさしい方だと思った。こういう接し方をしてくれる人は身のまわりにいない。

さて、歌はとぼけた感じである。二首目のバンザイの歌に特徴がよく出ている。中野さんならではの「味」がある。こういう歌をつくる人は貴重だ。六首目、七首目もそうだろう。六首目は、作者が転んだことについて、自分の感覚と娘さんの感覚のちがいを表している。本人にとっては、「あらあら」であっても、娘さんにとっては介護の入口かもしれない。
この歌集では、十八年間を一緒に暮らした犬のゲンちゃんの死が、丁寧に描かれている。猫もよく登場する。ペットを飼ったことのないわたしには、犬用のおむつに尻尾用の穴のあることなど知らなかった。これに目をつけて歌にするところが面白い。
二首目。鳥の足、動いている鳥の細かいところが本当に見えたのだろうか。三首目の真鯉は、花を吸い込んだのだろうか。そこは問題でなく、そう言ってしまえば歌になる。心の目で見たのかもしれない。読者は信じるしかない。
また、七首目の下句の表現の繰り返しに注目した。夜中に目が覚めて眠れなくなった感じがよく伝わる。他にも繰り返しのコトバがよく使われていた。作者の意図があるのだろう。
十首目には、「父の戦争」という言葉がでてくる。以前の歌集で、お父さまの、戦争とそのための足の障がいの歌があった。永遠に「詠わずにいられない」テーマなのだ。



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