気まぐれ徒然かすみ草ex

京都に生きて短歌と遊ぶ  近藤かすみの短歌日記
あけぼのの鮭缶ひとつある家に帰らむ鮭の顔ひだり向く 

風のおとうと 松村正直 

2017-09-03 00:52:38 | 歌集
鎌を持つおとこと道ですれ違うおそらくは草を刈るためのかま

ここに来るまでの歩みを巻きもどし頭のなかに傘をさがしぬ

あこがれとあきらめとあり天秤はまたあこがれに少しかたむく

子のためと言ってわれらがなすことのおおかたは子のためにはならず

らんかんをかんかんたたく傘の音ひびきて子らの下校の時刻

缶詰の中に知らない町がありカラフトマスの中骨がある

道を聞くひとと教えるひとといて日はかげりゆく秋の三叉路

この世では出会うことなき大根と昆布をひとつ鍋に沈めつ

もうわれを待つこともなく祭へと駆けてゆき子は参道に消ゆ

にんじんの新たな面を次々と生み出してゆく俎板のうえ

(松村正直 風のおとうと 六花書林)

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松村正直の第四歌集『風のおとうと』を読む。

さまざまな短歌の場でお世話になっている松村正直さんの歌集。2011年から2014年までの作品をまとめた一冊になっている。

一首目。こわい歌である。下句から、もしかしたら別の目的に鎌を使うのかという連想をさそう。二首目。よくある経験である。傘をなくしたとき、言われればまず頭のなかから探しているのだ。
三首目。前向きで共感できる歌。こういうときに負に傾くと、わたしはがっかりしてしまう。
四首目。まったくそのとおり。五首目。「かんかん」の音をよく響かせている。k音の重なりの乾いた感じ。小学生って、なんで昔からこういうことをするんだろう。
六首目。昨年『樺太を訪れた歌人たち』を上梓し、樺太にことさら関心を持つ作者。缶詰の中にも町を見つける。樺太への愛がある。

七首目。道を尋ねるという行為を、聞くひと、教えるひとという両面から見ているのが面白い。下句は季節感がある。ほかにも物事の表と裏を見る歌があった。
八首目。この大袈裟な言い方に笑ってしまう。九首目。ひとり息子が成長していく姿を嬉しく、また寂しく見ている。親であっても歌人であるから、わが子をも客観的に見る。
十首目。まな板でにんじんを切っているだけのことでも歌にする力。

歌数は505首と多いけれど、飽きることなく読める。一読わかる歌だが、中身は深いところに届く。薄味でありながら、コクがあると言える。
2014年までの作品だから、その後の活躍を思うと、いずれ次の歌集を出すための助走かと思われる。短歌の実作と評論や文章にますます活躍する松村さん。

もう相当前になるが、府立図書館の前のベンチに座ってられるのを見つけて、おしゃべりをしたことがあった。何を話したのかは忘れてしまったが、あれがわたしにとって大事なひとときだったと、今も思う。ベンチはなくなってしまったが・・・。これからもよろしく。

もう死んだ人とこれから死ぬ人が向き合って立つ秋の墓苑に

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