12月26日はプロ野球誕生の日 - 今日は何の日? - コラム - goo ランキング
今日12月26日は「プロ野球誕生の日」です。
1934年(昭和9年)12月26日、アメリカのプロ野球との対戦のため、
東京丸の内の日本興行倶楽部で
大日本東京野球倶楽部の設立総会が行われ、
日本初の野球チームが誕生しました。
これが、現在の読売巨人軍の前身にあたります。
当時のメンバーは、
沢村栄治、スタルヒン、三原脩、水原茂・・・とそうそうたる選手で、
同年の日米野球でも活躍したそうです。
ちなみに、我が広島カープの誕生は1950年(昭和25年)です。
1945年の原爆で広島の街は一瞬にして焼け野原になりました。
家族を失い、原爆病に侵され、
呆然と生きる市民の心の支えとして、
広島カープという野球チームが誕生しました。
それに関連する講演の一部をご紹介します。
「『地域の宝』広島東洋カープを考える会」
* 出席者・・・広島カープOB会会長 長谷部稔
元広島東洋カープ総務部次長 渡部英之
野球解説者 池谷公二郎
* 主催・・・大学生サークル「エントランス」
* 日時・・・2008年3月3日
* 場所・・・青少年センター(広島市中区)
★カープ誕生と原爆復興
渡部氏は「原子爆弾で広島の町は一瞬にして廃墟になりました。
当時は75年間草木も生えないと言われていました。この平和都市広島にプロ野球チームを創設して、
復興に励む市民の皆さんの心の支えとしようじゃないかという願いから広島カープが誕生いたします」と話した。
そして、カープは1950年に誕生する。
しかし当時からカープの資金不足が問題に。
「大洋ホエールズが選手獲得資金として打ち出した金額は6000万円、
タイガースは2人の有力選手に400万円。
カープは50人集めるのに700万円しかありませんでした。
カープはお金がないから(いい選手)がどうしても集まらない。
『名前だけ貸して』と友人に連絡して、何とか50名の選手を登録して、
セリーグの一員として認められたのです」(渡部氏)
★2年目でカープ存続の危機
誕生したばかりのカープの1年目は、首位の松竹ロビンスとのゲームさが59で、
「41勝96敗」、8球団中最下位。
しかし、長谷部氏は「このカープの戦力でそれだけよく頑張った。よく41勝も」と評価する。
2年目、カープは資金不足から連名の加盟金が払えず、「解散か合併」を迫られることになる。
渡部氏は「(解散、合併に関する)会議中、
外から涙声で呼びかけるファンの『解散するな、合併するな』という声が聞こえてくるんです。
すると石本秀一監督が「辞めるのはすぐ辞められる。しかしいったん辞めたら
広島カープというチーム名の球団は二度と再びよみがえることはない。
カープは市民の心の支えとして、作った球団だ』と発言。
ファンは後援会を作るため立ち上がった。
わずか10日で3000名の会員が集まり、カープの存続が決定したのです」と当時を振り返った。
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市民の募金で球団を支えた広島カープ。
ある高校生はお小遣いを全部カープの樽募金のために使ったそうです。
幼い子供から大人まで、カープ存続のために一生懸命でした。
カープが消えていかないように、
市民全員で見守りながら、今のカープは存在しています。
広島カープ本拠地は、
来年4月から新球場(略称:マツダスタジアム)へ移転しますが、
この球場建設費にも、市民の樽募金が含まれています。
やっぱり、広島カープは最高の球団ですね♪