★☆ 愛しき時間(とき) ☆★

2007年に乳がんと肺がんを克復しました。
現在 ACTH単独欠損症(特定疾患)、糖尿病の闘病中です☆

突発性難聴(発症87日目)

2008年06月28日 | 突発性難聴(右耳)
【突発性難聴☆闘病記録】(74)

★2008年6月28日(土)★
 <治療中止4日目

今日は午後から雨になった。

お部屋も暗いし・・・
私のココロも暗い。
夫は留守だし、
ひとり、何をする元気もなくて、
横になって寝ていた。

テレビを消して、静かにしていると、
左耳からもはっきり耳鳴りが聞こえてくる。

「あー、やっぱり、左耳も悪いんだ」

気分が滅入る。

どのくらいの“聴力レベル”から“耳鳴り”が起きるのだろう?
20dB(デシベル)以上かな。

右耳のときを振り返ってみた。
4月3日に突然耳鳴りがして、12日に耳鼻科に行った。
その時(初診)の聴力は正常範囲だと言われたが、
電話の声が右耳で聞こえなかったり、
右側から声をかけられると聞こえにくかったので、
今の左耳よりはるかに悪い。


午後、妹から電話があった。
私の耳鳴りと難聴をすごく心配してくれている。
いつも明るい妹の声が今日は暗かった。
26日、A病院の診察を終えたあと、
すぐに妹に報告をしているので、
A医師の診察に誠意がないことを一緒に憤慨している。

A医師が大病院独特の傲慢な態度であることを踏まえた上で、

「A病院までわざわざ行っているのだから、
canon私のこと)も、A医師に対して聞きたいことは聞いて、
腑に落ちない点は、何でも質問したほうがいいんじゃない?
そうしないと、A病院に行く意味がないと思う・・・」

「そうなの・・・・
私もそう思うのだけど・・・なかなか聞けなくて・・・
嫌な顔をされるのが怖くて・・・」

「遠慮することないじゃない。
嫌な顔をされたって、納得いく説明を受けた方がいいわよ。
耳の病気は早く治療を始めないと手遅れになって・・・
左耳まで、右耳と同じように難聴になるのが心配だから・・・・・・・・・・」


妹は、そう言いながら・・・電話の向こうで泣き出した。

私も泣いた。

ずっと我慢していたことが崩れていきそうだ。



右耳の“耳鳴りと難聴”を発症して87日目。

一向に改善の兆しがみえない。
左耳まで聴力が低下し、耳鳴りもしてきた。

A医師はお薬まで中止された。
なんのために中止されたのか・・・?

妹は、そういうことも含め、
疑問に思っていることを全部医師に聞けばいいのに・・・って言う。
私もそれはわかっているんだけど・・・
あの雰囲気だと聞きにくくて、
「心配ないでしょう」と言われたら、
それ以上は、ま、いいかって、諦めてしまう。

勇気がないなー。

それと・・・、2ヶ月半、耳鼻科に通院してみて、
耳鼻科の病気がいかに厄介で、治りにくいかがわかってきて、
いろいろな質問をしても、
医師は、恐らく、
「わからない」とか「不明」とかしか答えてくれない、と、想定できるので、
尋ねることさえ煩わしくなっているのかもしれない。

嫌な顔をされてまで聞きたくない、と思うところもある。

今まで4人の耳鼻科の専門医に診てもらったが、
なにか質問をした時、
ほとんどの医師は、
「今の段階ではわかりません」、
「それはわかりません」
「原因不明です」
そう言われる。

そう言っておけば、間違いないからだろうと思いつつ、
耳鼻科の病気はホントに不明な点が多いのかなとも思う。


妹は、こんなことも言っていた。

“患者の質問に対して、医師は答える義務がある”

ほんと、妹の言うとおりで、
私もこのことはよくわかっている。
来週(7月3日)の診察の時には、
疑問点があれば、勇気を出して聞きたい。

妹は東京在住。
広島とちがい、東京では、
患者が疑問に思うことは、遠慮なく医師に尋ね、
医師はそれにきちんと答えてくださると言っていた。
広島は田舎だから、まだそこまで開けていないのかな。
患者が医師に対して気を遣い過ぎているのかもしれない。
医師と患者、それぞれの性格もあるだろう。


妹と1時間近く話した。

私のこの病気を、
私以上に一生懸命心配してくれて・・・
本当にありがとう☆







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