ホスピス、緩和ケア看護覚書*カナダ編

ホスピス看護をカナダから。2013年大学院を卒業しました。カナダ人の夫とは14年たっても熱愛中。

大好きなおばあちゃん

2012年06月21日 | 家族
私の祖母は99歳、数えだと100歳になる。44年前祖父が死んだ後から独り身。祖父が広範囲な心筋梗塞で急死した時私は母のお腹の中にいた。臨月少し前だった。よく祖母にあんたの年とお父さん(祖父)の死んでからの年が一緒だけえねえ、と言われた。あんたはおじいちゃんの生まれ変わりみたいなもんだわねとも。

毎年夏休みは祖母のところへ泊りがけで遊びに行った。祖母の家は海辺にあって楽しいことはたくさんあった。祖母は海岸で海苔を摘んで自家製の板海苔を作ったり、畑で野菜を作ったり自分の家では経験できないことができるところでもあった。
しつけに厳しい人で、箸の持ち方の特訓は忘れられない。何せきちんと持てるまでご飯はダメと言われたので、それはそれは頑張って大豆を皿から皿へ移す練習をした。
もてなしが上手な祖母はお客さんが来るとなるとそれはそれはたくさんの食事を作りテーブルに隙間がないほどだった。お正月は親戚中が集まり、叔父や叔母いとこに会えるあの家は楽しい集いの家でもあった。
自転車でバス停まで迎えに来てくれた祖母が電動スクーターで道先まで来てくれるようになり、小高い山にある祖父の墓に最後に一緒に行った時は急な階段で祖母を旦那が負ぶって行った。

物忘れが激しくなり、火事を起こしそうにり、施設へ行ったのが4年前。認知症が進んでも、きりっとした祖母の態度に変わりはなかった。
2年ぶりに再会して小さくなった祖母に驚いたがそれでも気品高い祖母の気配は変わっていなかった。胃腸のどこからか出血しているが検査を拒み(年齢的に検査をして出血もとがわかっても手術にはならないので、私も叔父や叔母の決断に賛成だ)。食べる食べないもはっきりしている祖母。食べるのをやめてから随分経つそうだ。水分も気が向いた時に少しだけ。わたしが訪ねた時もはっきりいら無いと首をふった。目は開けない祖母だが首を少しだけ横か縦に振るかでしっかり意思を伝える祖母。痒いところをうまくかけなくて「そこじゃないわね!」と突然大声が出た祖母。

祖父の命日に「あー迎えにきてくれたん?」と一言、言ったことに母を驚かせた。数日後私は、今度おじいちゃんが迎えに来て、おばあちゃんが行きたかったら行っていいよ、と言うと祖母の首が縦に動いた。
しっかり厚く働く人の手だったのに小さく柔らかい手になっていた。その手を握りながら、心の中でありがとうとさようならを言った。4人の子供、10人の孫、15人のひ孫。長い人生。終幕も祖母らしく、変わらない祖母に熱い気持ちがこみ上げてくるのであった。

そして祖母は19日早朝、台風接近の嵐とともにやってきたた祖父と一緒に去って逝った。

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