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映画『愁いの王―宮澤賢治―』を観る/語る会―マスターの書簡

2019-07-17 | 映画系


※フォーラム福島の阿部泰宏さんが毎日新聞のコラムで『愁いの王』について書いて下さってます。

(※今回は映画上映を企画したマスター深瀬の吉田監督への謝辞と感想と感想をもってまとめとさせていただきます。)

吉田監督
福島の深瀬です。一昨日『愁いの王』上映会を無事に終えました。超満員でした。福島でも、当日券を求めて来られて結局観ることができない方が何十人もいらっしゃったそうです。映画の後の言論カフェは、めずらしく僕の妻も参加したのですが、活発に行われました。これは悪い意味ではないのですが、兵庫から来てくれた東北農民オケの仲間は、理解することの難しい、特に宗教家としての賢治を少しでも理解するためにこの映画を観に来たが、ますますわからなくなった。これからまた勉強しようと思ったと言っておりました。観に来てくれた古い友人は翌日に次のようなメールをくれました。
昨日の映画は 不思議に心に残りました
私は 賢治の人生で あれだけ賢治を突き動かした日蓮宗の精神…というものが ほとんど分かっていないのです
家は日蓮宗で おじいちゃんは 毎朝小さな仏壇に向かって静かに御経をあげていました 私の記憶の中のおじいちゃんは もの静かで優しく いまでも日向のようなあたたかさを感じさせる品のよいひとでした
おじいちゃんとあまり話をした記憶はないのですが (私はおばあちゃんとばかり話していたので…)おじいちゃんがなくなった時の悲しさは 生まれて初めて感じた深い悲しみでした
私と違って記憶の良い兄が おじいちゃん
と仲良しだったので 今度おじいちゃんの話を聞いてみようと思います
日蓮宗は 先祖代々ではなくおじいちゃんが信じていたものだったのでしょうか
この宇宙とまっすぐにつながる真理が日蓮のたどり着いた世界だったのでしょうか
賢治は そう思ったのでしょうか
父の政次郎さんは 信仰と現世の折り合いをつけていて 賢治の目からは 真宗そのものが 欺瞞と感じられたのでしょうか
地震 津波 冷害 凶作…家族を救うために身売りする娘さんの絶望…そうした現実世界を 日蓮の教えを胸に 変えなければと 生涯をかけたのが賢治だった
自分の守られた生活を捨て 健康を顧みず 命のかぎり 自分のできることをしようとしたのが賢治だったのか と思います
生き物の命をいただいて生きる その申し訳なさ有難さ
自分だけ守られた生活のなかで安穏と 他のひとの苦しみを 見てみぬふりはできない
やはり 賢治は 釈迦のようなキリストのような人だったのではないかしら
賢治が国柱会を離れたのは 『なんとか学会』のように組織に安住し組織が自己目的化ていることを知ったからではないかなぁ
一晩寝たら あの映画が素晴らしかったことが分かりました
あの中で 何度もでてくる十字架は 何のエピソードから出てきたんだったかしら 分かったら教えてね
賢治の童話また読んでみます。
(引用終わり)
映画の中にイエスが現れる場面が二度あります。また、波打ちぎわに十字架が立てられ、突然死した若い女性の墓もまた十字架です。ロシア正教会のものとも思われる十字架も出てきます。そもそもこの映画全編に流れるのはバッハはプロテスタントです。しかしバッハはロ短調ミサというカトリック音楽も書いていますね。
テクストは作者の手から離れた瞬間に、それを受け取る側の読みは任される。テクストは読みに開かれている。
文学テクストであろうと映像テクストであろうと。その意味で、監督が全て素人の出演者に対して決して演技をしないこと、感情を込めないことを原則とし、カメラもあえて固定カメラのみで技法を全く使われなかったことには意味があると思います。素人を使ったことも、素人に対して演技はするなと要求したのも正解だったと思います。固定カメラも個人的にはよかったです。あれで上手なプロの俳優が情感たっぷりに演技したり、カメラがチョコチョコ動いたりしたら、むしろ平板な、つまり様々な解釈に対して閉じられた作品になったかも知れません。
例えば一枚の絵のように、絵はすぐには何も語りませんが、ゆっくりそれも自分だけに語り始めるように、この映画は僕の心の中で語り始めています。深瀬

1 コメント

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愁いの王 鑑賞録 (わたなべ たかゆき)
2019-07-25 14:23:46
あのあと、書きかけにしたままだったものをひとまずまとめましたので、ここにご提出します(;^_^A

・・・・・

映画『愁いの王』鑑賞録



棒立ち棒読みの配役によって再現される、3時間18分のモンタージュ映画。奇矯とも破天荒ともいうべき映画化されていたこの作品によって初めて、ぼくは賢治の世界に肉薄することができたような気がしている。描かず、ただ写そうとしたのか、感性の原郷たる官能の世界に浸透しようとしている…作品。懐かしい皮膚感覚をよみがえらせられた。

「ネタバレ」というマナー違反を犯してしまうことになるかもしれないが、それが観た責任(?)のような気がするので、書いてみる。うん。ネタバレといっても、宮沢賢治という筋ならだいたいが知れているのだ。この際、本当のネタは、観なければ絶対にわからないのだから、どんな映画だったかをぼくが語ることなど、ネタバレに及ぶまい(屁理屈?)。

とはいえ、どういえばいいのか。観たまま、感じたまま? 違和感や拒否感のようなことからなら…? やってみよう。



「ナンダコレハ!?」「こんな映画ありか!?」……

セピアトーンの不鮮明な映像は、どこまでもこのままらしいと判じた瞬間の、偽らざる思いだ。それだけではない。全くの素人を配役し、当初予想した素人芝居でもない、そもそも演技をさせず、なるほど昔の写真をつないだモンタージュ映画のようだ。セリフの話者は常に画面の外に対置され、セリフもまた、抑揚さえ極力おさえた生硬な棒読み、無表情かつ早口の花巻弁。ああだが、語られている内容はしばしば圧倒的な意味で、観る者をすがらせる。

演じはせず感情もあらわさないのだが、しかし生きて動いている。しばしば、賢治の表情だけが、トシもかなり、動いてしまってはいる。映画以前の「活動写真」そのままが狙いでもあったか、明治・大正の当時、あったであろう無声映画の時空に臨場した瞬間、以上諸々の違和感も奇抜さも、すっかり吹き飛び、映像は色彩まではなかなか、しかし明らかに美しい光彩を放ち始めたのだった。きわどさにこころうばわれ、もう見終わっていた。

20代の贅沢な絶望の中で、それでも生きるのだから、生きるとは信仰である、とおもった。そのことを思い出していた。
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