☆~☆ カノン ☆~☆

~ 美しく成長するために ~

アセンション 決めました

2014-11-11 23:23:37 | 私のスタンス
今まで は

アセンション

とか 言われても ピンと 来なかったし
横文字カタカナ なので きちんと 覚えることも
ままならなかったのに

昨日の 夕暮れ時、
多分 ホームレスで 初老の 女性が
我が家 付近の 自動販売機で
ジュースを 買っている 姿を 見て

もう こんな 世の中 嫌だ!

と 痛烈に 思いました。


若い ホームレス君たちを 見たときも
そう 思っていましたが

もう これ以上は
ど う に も 嫌っ!

何が なんでも 嫌っ!

という 感情が 強くなり

夜中に 肝が 座り グラウンディング をしたとき

記憶から すっかり 抜け落ちていた

『 アセンション 』

という 言葉が 自然に 思い出されました。


σ(・∇・ ) 私は

今までも

欲しいのものは 手に 入れてきました。

今回も 必ず 手に 入れます。
コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 無理とは知りつつ、児童虐待には | トップ | 次の記事へ »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (deku)
2014-11-12 05:45:59
 「痛烈に」「今回も 必ず 手に 入れます」なら、余るかもしれませんね。

 余った場合、僕に分け与えていただけると、うれしいです \(^_^)/

 僕は浄土真宗なので、本願他力で生きています (^_^)b
返信する
座布団5枚 (うふふ☆)
2014-11-12 18:11:28
お久しぶりです。
お元気そう?で何より。(^^)

最近、どうしているかな?って思っていたところ。

改めて他力本願の意味を改めて調べてみました。

(・.・)/

【他力本願 意味】

▽自分の力でなく、他人の力によって望みをかなえようとすること。

▽「本願」は仏が修行しているときに立てた誓い。本来は阿弥陀如来あみだにょらいの本願によって極楽往生ごくらくおうじょうを得ること。

(・0・。) ほほーっ

......φ(・・*)~メモメモ

またまたおりこうになっちゃったもんね。

>余った場合、僕に分け与えていただけると、うれしいです \(^_^)/

(o'∀')o,_,)o'∀')o,_,)ゥンゥン
よかよか。

でも、最後の最後は自分で扉を開けるんじゃないのかしら?って、気がしているですけれど。。

つまり、自分が能動的にアセンションをしたいという意思表示のようなもの…って感じ かなぁ。


どう?やってみない?
返信する
あの。。。 (deku)
2014-11-13 02:45:08
「他力本願」って
▽自分の力でなく、他人の力によって望みをかなえようとすること。
みたいなイメージの強い用語ですよね。

僕がコメントに書いたのは「本願他力」という言葉でした。

(歎異抄第3章)の「解説文」を引用します。
----------------------------
http://www.edsvikart.com/?p=160

「善人でさえ浄土へ生まれることができる、ましてや悪人は、なおさらだ。それなのに世の人は、つねに言う。悪人でさえ浄土へ往けるのだ、ましてや善人は、なおさら往ける。このような考えは、一見もっともらしく思えるが、弥陀が本願を建立された趣旨に反するのである」

「善人なおもって往生を遂ぐ。いわんや悪人をや」は、あまりにも有名ですね。
私たちの常識を覆す衝撃的なお言葉ですから、一度聞けば忘れられません。しかも聖人は、私たちの常識をよく知られたうえで、それを破っておられることが分かります。このお言葉の真意を理解するには、直後におっしゃっている「本願他力の意趣」が分からなければ分かりません。第3章を理解する鍵は、「本願他力の意趣」にあり、といえるでしょう。

しかし、四字熟語が出てくると、それだけで思考回路がオーバーヒートに……というのは人情です。本願他力を、別の表現に言い換えて、何とかオーバーヒートを回避したいものです。

「他力」とは阿弥陀仏、また阿弥陀仏のお力のことをいわれます。だから「本願他力」とは「阿弥陀仏の本願」のことです。どちらかといえば「他力本願」という言葉のほうが世間ではよく知られているかもしれませんが、本願他力といっても、他力本願といっても、同じく「阿弥陀仏の本願」ということです。
「本願」とは、誓願ともいわれるように、誓い願われたこと、今日の言葉でいえば、「約束」ということですね。ですから、「本願他力」とは「阿弥陀仏のお約束」ということです。
本願他力の意趣とは、弥陀が本願を建てられた御心(趣旨、目的)ということですね。
これを親鸞聖人は「仏願の生起本末」ともいわれています。
「仏願」とは、阿弥陀仏の本願のこと。
生起とは、「生まれ起きる」と書きますように、なぜ阿弥陀仏は本願を建てられたのか。本願とは約束ですから相手があります。阿弥陀仏は、どんな者のために本願を建てられたのか。これが仏願の生起です。
本末とは、本から末ということで、すなわち、阿弥陀仏はどんな者のために、どんな本願を建てられ、その結果、どうなったのかという、経緯の一切ということです。

この本願他力の意趣、仏願の生起本末を聞かせていただくのが、仏法を聞くということだと、親鸞聖人は教えられています。この本願他力の意趣を知れば、「善人なおもって往生を遂ぐ。いわんや悪人をや」のお言葉の真意も知ることができるのですね。
----------------------------
僕の脳がメルトダウンしそうです・・・
管理人様にぜひ「本願他力」を分かりやすく解説していただきたいです(?_?)
返信する
ふむふむ (うふふ☆)
2014-11-13 19:08:26
前コメントでお伝えした2番目の意味

>▽「本願」は仏が修行しているときに立てた誓い。本来は阿弥陀如来あみだにょらいの本願によって極楽往生ごくらくおうじょうを得ること。

は、dekuのおっしゃる本願他力と同じなのかしら?

http://歎異抄.com/tannisho03.html

こちらのサイトが非常に解りやすい対訳のように思いますが、如何でしょうか?

でも、私は本願他力じゃないんですよね。
(^^)

受動的ではなくて、能動的に物事を創り上げていくタイプなんだって、自分のことを思っています。

どちらかというと、弥勒菩薩系。

“じっちゃんの名にかけて!”
でないけど…・

具現化するよう、照準を合わせています。

返信する

コメントを投稿

私のスタンス」カテゴリの最新記事