その とき、その 時点で 見える ものには、限界が ある。
よくよく 見廻して、しっかり 見落とさずに 居ても。
それは、建物の 1階 から 外を 見て いるのと、
最上階 から 見ている のと、
見える ものが 違うのに 似ている。
1階 から 上を 見上げて いる ときには、
その 建物の 上層部を 見上げる ことは 出来る けれど、
最上階 から 見える 見晴らした 景色は、
見る事も 感じる ことも 出来ない。
少しづつ 視野を 広めて いくと、
1階から 見ていた 景色と 違った 解釈が 加わる。
1階 から 見た 景色が、間違っていた 訳では ないけれど。
何て 言うのかなぁ ?
見晴らしが よくなって、遠くの かみなり雲が 見えたり して、
夕立が 来ても 驚かなく なったり、
凧が 揚がって いるのを 見て、風を 感じたり、
その 下で 楽しんでいる 人を 思い 浮かべたり、
何か、落ち着いて 景色を 楽しむ 余裕が 出来たり する。
人は、それを 成長と 呼ぶ のだと 思う。
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