私は、戦争が 悪から 発して いるもの だけとは、考えて 居ません。
戦争は、ダイナマイト の ような もので、
どの様な 利用方法を しているか ? という 違いは あると
思って います。
そして、その 根源が どこから 発して 居るかを 見ます。
家族を 守ろうと、幸せに なるためと 戦争を 起こす ことも あり、
内政 批判を 交わそうと、保守から、目を 外に 向けることも ある。
十把一絡げにして、結果 を 批判する 体質に 異論を 憶えます。
戦争に なる前に、その 方向性の 先に ある
必然的 結果を 見て ・ 予測して、軌道修正を 促す事が 出来る事が、
何よりも 大切だと 考えます。
結果的に 見れば、世間的に 言われる 慈愛 という 形で アピール
している 宗教団体に、
私は、世の中への 強烈な 怒りを、受け入れられ 易く するために、
ポジティブな 表現として、社会改革を 唱える 姿を 見ています。
また、弱きものを 守る という 発想は、特に 問題視 します。
その 温床に、人は 依存を します。
私は、人に 頼らずに 生きることが 出来る人を 育てたい。
その 喜びを 知って 欲しい。
人を 守る 発想は、紐を 解いて 行けば、
過激に 聞こえるかも しれませんが、
ヒトラーと 出処は、異でない と、私は 思います。
守る という 発想は、既に 時代遅れ。
昔と 同じ 発想の 先に あるものは、
同じ 結果を 生み出す 可能性が あると 危惧 します。
私たちに 何が 出来るのでしょう ?
人は、生活を している 環境上の 風習を 社会に 反映する
のでは ないで しょうか。
個々人 の 生活の中で、戦争に 繋がるような 発想が なくなれば、
それが、社会という 集合意識に 変化を もたらす。
その様に、考えます。
問題が 起きてから 対処すること 以前に、
その 根源を 見つめ、方向性を 決める 必要が ある
私は、その様に 考えて 居ます。
時代遅れと なった 考え方に けりを つけ、
子孫に 豊かな 考え方を 伝承する ことが 出来た 世代として
私たちは 逝きたいと 願って います。