今日、我が清水エスパルスは5連勝と好調のFC東京相手にアウェイ味スタでのゲーム。しかし、今日は絶対に勝ちたい試合だ。
先月29日に原一樹選手の母が52歳の若さで亡くなられた。死因はガンだった。
新聞には、母の訃報を聞いてもプロサッカー選手として、「『元気にサッカーをやる自分を(母は)望んでいると思う』と気丈に練習も休まなかった」と書いてあった。
西澤アニキが足首捻挫で欠場で今日はスタメンを掴んだ。今日の試合に“かける想い”は並々ならぬものがあっただろう。
そして前半の44分(ロスタイム)、右サイドからパスを受けた原一樹選手がペナルティエリア内でゴール左隅に押し込んだ。母に捧げるゴールだ。
チームメイトも原選手のために前半から頑張り、4ゴールを挙げた。結果5-1の大勝。J1残留もほぼ安全圏になった。
原選手のお母様、チームにそして息子に力を与えてくれてありがとう。一樹クンはもう立派なプロサッカー選手ですよ。安心して、安らかにお眠りください。
=試合後の原一樹選手のコメント=
前半から足が攣りそうになっていたけど、背中を押してくれるサポーターがいてくれたので、少しでも期待に応えられたらと思ってプレーしていた。今週はトレーニングを少ししかやっていない中で先発に起用してもらって、その期待に応えたいという気持ちが強かった。点を取った後は本当に嬉しかったし、ゴールは母に捧げたい。家族や親戚、選手やスタッフ、サポーター、みんながいてくれて今日の試合のピッチに立つことができたと思う。本当に感謝したい。いいパフォーマンスを見せることができてよかった。
あたしゃもう涙・涙だよぉ~
毎日新聞 2008年10月3日 東京夕刊
◇競争に敗れ「使命終わり」
JR東京駅からブルトレが消える--。戦後の復興期から約50年間にわたって首都圏と九州方面を結び続けたブルートレイン(寝台特急)「はやぶさ」(東京-熊本間)、「富士」(東京-大分間)が来年3月のダイヤ改正で姿を消す。東海道・山陽線を併結運転してきた最古参のブルトレは新幹線や航空機との競争に敗れ、廃止に追い込まれた。東京駅を起点としたブルトレは全廃となり、1958年10月の運行開始以来、半世紀の幕を下ろす。【斎藤正利】
■「はやぶさ」「富士」
ブルトレは、客車がブルーの寝台特急。東海道・山陽新幹線の速度向上や航空各社の割引、低料金の長距離高速バスの参入で苦戦を強いられてきた。JRグループは列車の統廃合を進めたもののブルトレ発祥の東京駅始発着にこだわった。一方で、鉄道ファンの要望を受け、九州方面唯一のブルトレを存続してきた。
しかし、運賃・料金の割高感や車両の老朽化、車内サービスの低下もあって敬遠され、07年度の乗車率は87年度のJR発足当初と比べて5分の1以下の10%台に落ち込んだ。季節によっては「空気を運んでいる状態」だった。このため11年春の九州新幹線鹿児島ルート全線開業を控え「ブルトレの社会的使命は終わった」と判断した。
勇退が決まった「はやぶさ」は1958年10月、東京-鹿児島間に特急列車としてデビュー。2年後にブルトレ編成となり、48年間にわたって東京-九州間をひた走った。ロビーカーを連結するなど最先端の設備を整えた青い客車を重厚な電気機関車がけん引し、鉄道ファンの人気を博した。05年3月から「富士」と東京-門司間を併結運転している。
もう一つの「富士」は戦前の1929年9月、東京-下関間の特急列車に付けられた国内最古の列車名を継承。東海道新幹線が開業した64年10月に運行を開始した。
「はやぶさ」の所要時間は17時間46分、運賃は2万4150円(B個室)。「富士」は17時間14分、2万3730円(同)。
来春以降も引き続き運行されるブルトレは「北斗星」(上野-札幌間)▽「あけぼの」(同-青森間)▽「北陸」(同-金沢間)▽「日本海」(大阪-青森間)の4本となる。
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以前も何回か書いたとおり、いよいよ東海道からブルートレインが消える。なくなるという正式報道が出る前にこの夏乗ろうと画策したが、肝心の旅行資金が捻出できず断念してた。
いよいよこのような発表が出されるといわゆる「葬式走」が始まるため (なくなるとなると急にみんなが乗りはじめる)、ただでさえ個室寝台などは取りにくくなってきていたのに、週末などはもうほとんど取れなくなってしまうんだろう。そうそう自由に会社を休めない私などはおそらくもう乗れない。乗れても解放B寝台だろうな・・乗りたかったなぁ・・
まだチャンスは伺うつもりだけど・・どうかなぁ~?
「生まれ変わったら同じチームでホームランを打とう」
こんなこと王さんに言われたらそりゃ泣くわな。
昨日、会社の会長がお亡くなりになりました。90歳でした。数年前に脳梗塞だか脳溢血だかになってからはめっきり衰えが進むのが見てとれましたが、それまでは、85歳ぐらいまではゴルフやら会合やらへとどんどん出かけてとてもお元気でした。
創業者ですから、やはり会社を興す人というのはバイタリティに溢れているんでしょうね。そして、とっても好々爺でした。いつも従業員に対してニコニコして話し掛けてくる人でした。ただ、その人懐っこさが、逆に晩年は「仕事の邪魔をしに工場へくる」という形になってしまったのは残念です。しっかりしていたときはとてもいい方でしたから・・。
それでも90歳だから大往生ですよね。ご冥福をお祈りいたします。
ということで、会社も忙しい月初になったとたんのことだったので、葬儀屋は来るわ、注文は来るわでちょっと慌てましたが、通常の仕上げ作業などをやらないことにして作業人員を注文をこなすほうへ回してなんとか今日は終わりました。
株式会社とはいえたった7人の零細企業なので、近隣レベルから見ればちょっと大き目の個人商店みたいなものですから、近所のお店などからも、「通夜や葬儀の間は営業するもんじゃないよ」と言われたので、通夜がある明日と葬儀がある明後日は遠方の事情がわからない方からの注文のみ受け付けて、店舗のほうは一応閉店とする模様で、工場が動くのもあまりよくないとのことなので機械も音も出せない状況なので、我々工場の作業員部隊は明日、明後日はほぼなにもせず待機することになってます。
お返しの品を通夜・葬儀会場まで届ける程度の仕事しかやらない予定です。遠方から注文があれば対応しますが、できるだけ出荷を来週にさせていただくことで、工場を動かさないつもりです。
なので「閉店開業」なのです。
昨日もお休み取っちゃって、出てきたらまたこの騒ぎなのと実質的にお休み状態になるのでちょっとリズムが狂いますね。ただ、一番困るのは明後日が順調にヒマ待機となると、なんと社長が「葬儀に出席してほしい」と思っているらしく、明後日は礼服を持って出社し、葬儀出席となるとお茶の粉で汚れた体のまま礼服を着なきゃならないというちょっと無謀な状況になるかもです。
そのまま週末になっちゃうし・・。それより明日どうしよう・・。
ここは「静岡のAVANTI」とも言える、そして隠れ家のようなお店で、最大収容客数が8。こじんまりとしたお店で、その8席がコの字のカウンターになっているので、初めてでもみんなとお話ができる、いや、せざるを得ないお店です。そして、県内のみならず県外からも各界の名士がいらっしゃるお店で、ここで飲んでいると普段は会えないようなエライ方にも会ってお話を聞くことが出来、またその話にツッコミを入れたりツッこまれたりするのが楽しいお店です。年末には常連さん&引越しちゃったかつての常連さんが集まって毎年70人で忘年会やりますから(もちろん会場は別の場所)。
ネッツトヨタ浜松の前社長は大阪出身の方でしたが、あまりにこのお店が気に入ったため店に近いお寺に墓地を買い、そして亡くなられた後にそのお墓に入りました。
そういえばここでトヨタのバスケットチームの監督にもお会いしたことがあったし、キャスターとして有名なあの人もたまに来たりしますな。詳しく書いて混んじゃうと自分が入れなくなるのでヒントはここまでにします。
で、昨日聞いたハナシです。
もうすぐということになっている衆院選。静岡1区に今回立候補しないことにした人がいます。その人がなぜ出ないことにしたのかというのは、表向きの利用も正しいですが、実は次の静岡市長選に出るからだという情報で、現職の県議を通して聞きました。一時我が協会の会長にもなっていただいていたあの人です。もし市長になったらディスクゴルフのコースを作ってくれるかなぁ??
・・と、こちらはヒントがいっぱいでした!誰でしょうねぇ~?