最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●人生の統合性

2009-09-13 16:30:02 | 日記
●価値観の転換(ライフサイクル論)


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(したいこと)から(すべきこと)へ。
中年期から老年期の転換期における、
最大のテーマが、これ。
ユングは、満40歳前後を、『人生の
正午』と呼んだ。
この年齢を過ぎると、その人の人生は、
円熟期から、統合期へと向かう。
ユングは、『自己実現の過程』と位置
づけている。


それまでの自分を反省し、では自分は
どうあるべきかを模索する。
事実、満40歳を過ぎるころになると、
(したいこと)をしても、そこにある種の
虚しさを覚えるようになる。
「これではいけない」という思いが、より強く
心をふさぐようになる。
同時に老後への不安が増大し、死の影を
直接、肌で感ずるようになる。


青春時代に、「私とは何か」を模索するように、
中年期から老年期への過渡期においては、
「私の使命とは何か」を模索するようになる。
自分の命の位置づけといってもよい。
そして(自分のすべきこと)を発見し、
それに(自分)を一致させていく。
これを「統合性の確立」という。


この統合性の確立に失敗すると、老年期は
あわれで、みじめなものとなる。
死の待合室にいながら、そこを待合室とも
気づかず、悶々と、いつ晴れるともない
心の霧の中で、日々を過ごす。


ただ、中年期、老年期、その間の過渡期に
しても、年齢には個人差がある。
レヴィンソンは、『ライフサイクル論』の
中で、つぎのように区分している
(「ライフサイクルの心理学」講談社)。


45歳~60歳(中年期)
60歳~65歳(過渡期)
65歳~   (老年期)


日本人のばあい、「自分は老人である」と自覚
する年齢は、満75歳前後と言われている。
また満60歳という年齢は、日本では、
定年退職の年齢と重なる。
「退職」と同時に発生する喪失感には、
相当なものがある。
そうした喪失感とも闘わねばならない。


そういう点では、こうした数字には、
あまり意味はない。
あくまでも(あなた)という個人に
あてはめて、ライフサイクルを考える。
が、あえて自分を老人と自覚する必要はないに
しても、統合性への準備は、できるだけ
早い方がよい。
満40歳(人生の正午)から始めるのが
よいとはいうものの、何も40歳にかぎる
ことはない。


恩師のTK先生は、私がやっと30歳を過ぎた
ころ、こう言った。
「林君、もうそろそろライフワークを
始めなさい」と。


「ライフワーク」というのは、自分の死後、
これが(私)と言えるような業績をいう。
「一生の仕事」という意味ではない。


で、私が「先生、まだぼくは30歳になった
ばかりですよ」と反論すると、TK先生は、
「それでも遅いくらいです」と。


で、私はもうすぐ満62歳になる。
「60歳からの人生は、もうけもの」と
考えていたので、2年、もうけたことになる。
が、この2年間にしても、(何かをやりとげた)
という実感が、ほとんど、ない。
知恵や知識にしても、ザルで水をすくうように、
脳みその中から、外へこぼれ落ちていく。
無数の本を読んだはずなのに、それが脳の
中に残っていない。
残っていないばかりか、少し油断すると、
くだらない痴話話に巻き込まれて、
心を無意味に煩(わずら)わす。
統合性の確立など、いまだにその片鱗にさえ
たどりつけない。


今にして、統合性の確立が、いかにむずかしい
ものかを、思い知らされている。


そこで改めて、自分に問う。
「私がすべきことは、何なのか」と。


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老年期の心理


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●計画


 満65歳になったら、反カルト教団活動を再開するつもり。
私がもっている(もうひとつの顔)を、公表する。
そして宗教に名を借りて、人の心をもてあそんでいるような教団を、
片っ端から攻撃してやる。
この20年間、静かにしてきたが、もう遠慮はしない。
それまであと3年。
今は、静かにその準備を重ねている。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

●9月13日

2009-09-13 08:47:53 | 日記
●9月13日

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ぽっかりとあいた、日曜日。
久しぶりの休日。
だれに会うという約束もない。
とくに予定もない。

昨日は、ワイフと散歩中、突然の
大雨に見舞われた。
そのため近くにあったレストランで、
雨宿り。
私はジュースを3杯も飲んだ。
ワイフは、コーヒーと紅茶を2杯も飲んだ。

久々の雨である。
私の記憶によれば、2か月ぶりの雨?
芝生の種をまいてからの、はじめての雨?

これから先、1日、1日と
秋らしくなっていく。

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●新しいHP

 現在、新しいHPの開設を考えている。
カラフルで、楽しいものを考えている。
その構想を頭の中で練っているだけで、楽しい。

 そうそう昨日、Twitterに登録してみた。
YOU STREAMも試してみた。
FACEBOOKも試してみた。
で、今度は、Twitter。

 今のところ、残念ながら、それがどうしておもしろいのか、よくわからない。
現在Twitterを楽しんでいる人は、私をフォローしてみてほしい。


●携帯電話

 Twitterのことを書いたので、携帯電話についても書いておかねばならない。
現在、多くの人が、携帯電話でHPを見たり、インターネットを楽しんでいる。
小説まで読んでいる人もいるという(G県のAさん)。

 私も携帯端末機をもっているが、使うのは、旅行のときだけ。
それをふつうのパソコンにつなげば、モデムとしても使用できる。
やや不便だが、今のところ、それで満足している。

 が、話を聞いていると、結構、おもしろそう。
小さなUSB端末をミニパソコンに装着すると、どこでもインターネットが
楽しめるようになるという。
「やってみたい」という思いは強いが、手を広げすぎるのもよくない。
そのうち収拾がつかなくなる。
(すでに今、収拾がつかなくなってきているが……。)


●WINDOW7が、待ち遠しい

 10月下旬に、WINDOW7が、発売になる。
それに合わせて、パソコンメーカー各社から、新製品が発売になる。
楽しみ。

 しかし……。
VISTAが発売になったとき、当時としては、最先端をいくパソコンを購入した。
が、今では、ノートパソコンでも、その程度の能力はもっている。
2、3週間前に買った、T社のノートパソコンにしても、そうだ。
がっかりしたというより、この世界の進歩の速さに驚く。

 私の物欲エネルギーは、そういうわけで爆発寸前。

(1) WINDOW7搭載、64ビット最先端パソコン。
(2) カラーレザープリンター。
(3) 24~5インチクラスの、大型モニター。

 この3つは、どうしてもほしい。
(現在、ワイフをあれこれと説得中!)


●近況

 今朝、体重計に乗ってみたら、59・8キロ。
よかった!
(5日前には、62・5キロだった。)

で、昨夜、床に就く前に、猛烈な空腹感を覚えた。
視床下部にある血糖値センサーが、血糖値の低下を感知し、ドーパミンを
大量に放出した。
それが猛烈な空腹感を引き起こした。

さっそくワイフが、「カップヌードルでも食べたら?」と、私を誘惑。
が、それを口にしたら、おしまい。
またまたリバウンド。
「脳みそにだまされないぞ」と自分に言って聞かせて、歯を磨いた。
歯を磨いてしまえば、何も食べられない。
2度も歯を磨くのは、めんどうなこと。
だからそういうときは、先に、歯を磨いてしまう。

 窓の外には、水色の空が広がっている。
白い筋雲が美しい。
朝食のあと、自転車で、佐鳴湖を一周してみよう。

 ……ということで、9月13日も、始まった。
全世界のみなさん、おはようございます!


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

●子供の叱り方

2009-09-13 07:21:09 | 日記
●子どもの叱り方(How to give a good scolding to Children)

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子どもの叱り方については、たびたび
書いてきた。
本の中でも書いてきたし、雑誌の中でも
書いてきた。
HPの中でも書いてきた。

で、ここでは、その先について書いてみたい。

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●なぜ、叱り方が問題になるのか

 「子どもの叱り方がわからない」と悩んでいる親は、多い。
懇談会の席などでも、よく話題になる。
で、そのたびに私は、こう思う。
「どうしてそんなことが問題なるのか」と。

 で、それについて書く前に、こんなことがある。

20年ほど前に、私が書いた子育て格言集の中に、『子どもは親の芸術品』という
のがある。
親というのは、自分の子どもを、自分自身の芸術品のように考える傾向が強い。
つまり子どもというのは、自分の(作品)というわけである。
こんな失敗をしたことがある。

 ある日のこと。
ショッピングセンターの一角にあるレストランで、食事をしていたときのこと。
隣のテーブルに座った子ども(年齢は5歳くらい)が、自分の顔よりも大きな
ソフトクリームを食べていた。

 おとなにはふつうの量でも、子どもにはそうでない。
そこで思わず、私はこう言ってしまった。
「そんなにたくさん、食べないほうがいいよ」と。

 が、この言葉が、母親を激怒させた。
「いらんこと、言わんでください!」
「あなたの子じゃ、ないでしょ!」と。

 私はその場を、平謝りに謝り、何とかやり過ごしたが、以後、そうしたお節介は
しないことにしている。

●なぜ母親は、激怒したか

 なぜ、あの母親は、そのとき激怒したか?
私は親切心から、そうアドバイスしただけである。
当時、白砂糖の過剰摂取が、問題になり始めていた。
マウスの実験では、脳水腫を起こすことまでわかっていた。

 理由をあれこれ考えてみた。
が、結局は、母親と子どもの間に、(壁)がないことが理由であることに気がついた。
このことは溺愛児と呼ばれる子どもをみると、よくわかる。
(溺愛児についても、たびたび書いてきたので、ここでは省略する。)

 子どもを溺愛する親は多い。
とくに母親に多い。
私は勝手に「溺愛ママ」と呼んでいるが、溺愛ママの特徴のひとつに、親子の間に
壁がないことがあげられる。
密着度が高すぎて、親イコール子、子イコール親といった状態になる。
だからこのタイプの母親は、自分の子どもが批判されたり、けなされたりすると、
それに対して猛烈に反発する。
あたかも自分が批判されたり、けなされたかのように、激怒することも珍しくない。

 子どもどうしの喧嘩でも、中へ割って入ってきたりする。

 溺愛ママは別としても、日本人は、欧米人に比べて、親子の密着度が高い。
とくに母親と子どもの密着度が高い。
こうした日本人に対して、アメリカ人の親のばあい、「子どもは、神からの授かりもの」
という考え方をする。
つまり子どもから一歩退いて、子どもを見る。
そういう見方が、自然な形で身についている。

●親子の壁

 親子の間に壁がないから、(あるいは密着度が高いから)、親は一歩退いたところで、
自分の子どもを見ることができない。
そのため子どもを叱ることに、自ら、ある種の抵抗感を覚える。
「子どものできが悪いのは、私の責任」と。

 だから当然叱るべき場面になっても、自分でその責任をしょいこんでしまう。

 こうした意識が、「子どもの叱り方がわからない」「どう叱ればいいのか」という
問題に、つながっていく。

●では、どうすればよいか

 子どもの叱り方で悩んだら、まず、あなた自身が、自分の子どもをどう見ているかを
判断する。
先にも書いたように、密着度が高ければ高いほど、子どもを客観的に見ることができない。
それが(悩み)につながっている。
そういうケースは、たいへん、多い。

 さらにこの問題は、日本人独特の民族性とも、深くからんでいるため、解決は容易で
ない。
子どもを(自分のモノ)と考える。
1人の独立した人間というよりは、モノと考える。
少なくとも欧米人と比べると、その傾向は強い。
その上さらに、日本人のばあい、父親の存在感が薄い。
その分だけ、母親の影響力が強い。

 これらのことが、親子、とくに母子の密着度を高くする。
それが(叱り方)をむずかしくする。

 が、反対に、子どもから一歩退いてみたらどうだろうか。
子どもの見方が一変するのみならず、叱り方の問題は、自然に解決する。
できれば、自分の子どもであっても、1人の独立した人間として見る。
それができれば、あとは自然体。
そして親は、人生のよき先輩として、また子どものよき友として、子どもを
励まし、ほめ、ときには叱る。

●補記

 ついでに言うなら、(子どもを叱る)ためには、親側の方に、それなりの哲学
や倫理観がなければならない。
親が信号無視や駐車違反を平気でしながら、子どもに向かって、(叱る)は、ない。

 が、むずかしいことではない。
親は、常にルールを守る。
約束を守る。
ウソをつかない。

 この3つだけを、かたくなに守ればよい。
その積み重ねが、その親の人格を作る。
その人格がしっかりとしてくれば、親は、自然な形で、またそれほど考えることなく、
子どもを叱ることができるようになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 子どもの叱り方 子供の叱り方 叱る方法 はやし浩司 叱り方の基本 子供の叱り方について 子供をどう叱るか)