ワタシ、すっごい気になるんですけど、・・・周瑜さまは魯粛なんていう有能な人物とせっかくお友達になったのに
なんでさっさと孫策に推挙しなかったのか? って。
*孫策と魯粛に直接の面識はなかった、とゆー説をもとにしています。
(しばらく仕えていたが重用されなかった、との説も見たことあります)
推挙する気なんかなくて、ただの友達のつもりだったのか?
・・・でも結局、孫権には推挙してるし・・・。
なんでだ?
なんでさっさと魯粛を連れて行かなかったのかしら???
魯粛と知り合ったのは、周瑜さまが居巣県の長になったとき、だよね。
たしかに孫策はあっという間に死んじゃうけど、
周瑜さまが居巣を経由して孫策のもとに帰ってきたのは、198年だったはずー。
それから孫策が死ぬ 200年 までの間に、
周瑜さまは、魯粛を孫策に推す、ってことを考えなかったんだろーか。
「子敬とヤツは気が合いそうにない・・・」とか、周瑜さまなりの判断があったんだったりして・・・!!(笑)
それとも・・・孫策の晩年には、(晩年っていう言い方、嫌だね~。まだ26歳なのに・・・)
周瑜さまと孫策はほぼ二手に分かれて呉の基盤作りに走ってたんだから・・・と考えると、
孫策のもとには旗揚げ以来の幕閣もそろってるし、なによりも孫策自身がもう物凄い求心力を持ってる英雄なわけだから、黙ってても人材は集まる・・・
それなら、孫策と仕事(仕事?)を二分して事にあたってる自分のとこに
魯粛は置いておきたい と考えたのかもしれない ?
周瑜さまにとって、魯粛はぜひ傍にいてともに国づくりにあたってもらいたい存在 だったとか。
だったとしたら・・・も、萌えるね・・・・・(オイ―――!笑)
だから、もともと孫策の幕僚にする予定じゃなかったのかもしんないよ? 自分専用 みたいな・・・(笑)
・・・・それがさ、
思いがけず孫策が急逝してしまって
孫権が後を継ぐ、ってことにはなったけども、当然ながら求心力は低下・・・
あの、カリスマの権化みたいだった孫策の跡を引き継ぐ、というのは
そりゃもう大変なことだろうと思う。
孫策に身近く仕えていた文官、武官たちには当然、比べられるだろうし・・・・
そういう中に放り込まれた孫権をフォローするのには
まだ「孫策の幕僚」ではなかった魯粛を傍に置かせるのが最適と判断した・・・・・とかね。
でもここでもう一つ謎が。
周瑜さまのもとに身を寄せていた魯粛なんだけども、
孫策が死んだ時、「祖母の葬儀をしないと。それに北の友人から誘われてるし、帰るわ」 と言い出した、というエピソードが・・・。
え~~~???
なんか、めちゃめちゃ魯粛らしくないエピソードだと思いませんか?
劉子揚とゆーその魯粛の友人が言うには
「鄭宝という人物が巣湖のあたりを基盤に一万人程度の勢力を築いており、
人材を求めているときだし、就職するなら今だから。一緒に行こーぜ!」
てなことを言ってきたらしい。
で魯粛も、「そうだなあ、そうするかぁ」なんていって・・・。
でも、「え・・・?魯粛がそんなのを選ぶの?」って感じじゃなくないですか?
それに・・・
周瑜さまを捨てていく気?! みたいな・・・ワタシ的にはそこが一番引っかかるんですけど(笑)
二人の仲は子産と季札のようだ、とまでいわれた親友を置いて、どこへ行こうというのよ!!というね・・・。
ワタシなら絶対周瑜さまのそばから離れないのにっ・・・!! (え、ワタシの話はいい?笑)
孫家は孫策が死んだらオシマイだな。
と思ったのかなぁ・・・?
その割には、周瑜の推挙で孫権に会った時、皇帝になっちゃえYO!なんて言ってるんだよ~?
本気で「孫家はオシマイだから見限って他に付く」とか考えて鞍替えしようとしてたのだとしたら、
すごく矛盾を感じませんか?
次期社長はダメだ、って踏んでたくせに、就職が決まったからって急におだてるの? みたいな・・・。
絶対そんなことないはず!!
魯粛ほどの人が、そんな軽いハズがない!!
天下を三分するという壮大なグランドデザインを描ける魯粛が、
たかが一万人程度を擁するBクラスの武将に、本気で仕えようとでも?
なんでだ・・・
なんでそんなことを言い出したんだ魯粛・・・???
(いかん、話を戻さねば)
そこでまあ、周瑜さまが
昔、馬援は光武に・・・ と、故事を用いて魯粛を説得する・・・・
って話になっています。
「いまの時代、臣下は君主に選ばれるだけではなく、自分自身も主を選ぶべきだ。
孫権様は賢者に親しみ、才能あるものを尊ばれる優れた方だ。私は仕えるべき主は孫権様だと確信している。
どう考えても鄭宝など、大した人物ではないではないか。
友達の誘いも解るが、君には子揚なんぞの言葉に惑わされず、私とともに孫権様に仕えてもらいたい。」
・・・的なことを言って、魯粛を思いとどまらせた、ってことになってるんですけど。
確かに孫権は孫策に比べりゃ未知数だし、かつて孫堅が死んだ時のように、跡継ぎがその組織を継承できず、
瓦解してしまうというパターンになることも考えられなくはない。
「それならさっさと適当なとこに就職しとくか、小さい会社なら自分の思うまま采配も揮えるってなもんで」・・・ってことか?
それもアリかもしれないけど・・・、魯粛にしては小さすぎじゃないか? 魯粛ほどの人物が、そんなちっさい事を考えるかなぁ・・・
大体、その仕える相手の器量がナニだったらどうするんだ?っていう。
諸葛亮が「弱小勢力だった劉備」に仕えたのは、曹操陣営には既に人材が豊富で
今から入って行っても大した活躍はできそうにないから・・・という考えもあって
人材に乏しく、自分をものすごぉぉーーーーーく 必要としてくれる劉備を…あえて苦難の道を選んだ、ともいわれている、
そういうのとは全然違う。
だって、諸葛亮が選んだ主は、勢力こそ小さいけど存在感のでかさは比べ物にならない。
・・・鄭宝って誰だよ・・・って感じじゃないですか。
小さい勢力を自分の采配で大企業に・・・!っていう夢を抱いて、って話でもないでしょうと。
なんでだ・・・(←本日何回目の「なんでだ・・・?」ですか。笑)
でね、ワタシ・・・ 思ったんです。 (←急に目つきがアヤシクなるつゆだく・・・)
魯粛はきっと・・・
周瑜さまに引き止めてもらいたかった のよと!! (は?)
もしくは
周瑜さまの気持ち を、試したのに違いない!! のよと!! (・・・)
「実家に帰るって言ったら、引き止めてくれるかどうか」的な。
・・・コレが一番説得力があると思うんですけど―! (笑)
ど う で す か ? (何が。笑)
・・・結局わかんないんですけどー。笑。魯粛様に詳しい方は、そこら辺をぜひこのアホなわたくしにご教授くださいませ。
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