葡萄舎だより

海峡の街・下関の、葡萄舎の住人・洒人 (しゃじん) が身の周りの些事片々を書き綴ります。
本人は日記のつもりです。

2006大晦日

2006年12月31日 20時12分29秒 | 日記 ・ 雑記録
昨夜の納会は13人で、ワインは16本用意した。
結局、足らずにマグナムを1本追加。 反省会でシェリーを1本。
6時に乾杯をして、反省会が終わったのは1時半らしい (記憶にない) から、
まぁ、このくらいはいつものことだ。

2006 納会のワインリストは 「美酒夜光」 に載せています。 こちら です。

朝、グラスを片付けていたら愛息が手伝いに来た。
自発的に手伝いに来るなんて初めてのことだ。 嬉しかった。
心配しなくても彼なりに成長しつつある、などと思ったら自然に口元が緩んだ。
単純計算して、二人で片付ければ半分の時間で片付く。
昼前にはあらかた片付いた。

敦煌に昨夜の料理代を支払いかたがた、おせち料理を受け取りに行く。
昼は予約しておいた寿し。
夜は年越し蕎麦。 この3年間、私が造る <瓦そば> が我が家の年越しそばだ。
バタバタしていたら、懐メロの番組が始まっている。
除夜の鐘を撞きに行ったら今年も終わる。

‥‥‥‥‥

お礼
拙HP、拙ブログにお立ち寄り下さいましてありがとうございます。
いつも勝手気ままな書き放題で気が引けますが、お付き合いいただき恐縮です。
年が改まりましても私は変らず、この調子を引きずることでしょう。
来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
どうぞよい年をお迎えください。

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納会

2006年12月30日 09時16分48秒 | 日記 ・ 雑記録
2006年の <ワインがあるシーン> は苦い経験からスタートし、
  新年の 歯にしみとおる 白ワイン 一人静かに 飲むべかりけり
などと自嘲気味のパロディでスタートしたからなのか、いい印象が残っていない。

それでも、夏に永年勤務の Ho 氏の <お疲れ様会> を開催し、
秋口には <騎士の会> が佐世保まで遠征し、
秋には Ha 氏の <還暦祝い> をして、節目節目にはワインが活躍している。

30回超のワイン会に参加していれば、凄いワインにも出逢ったが、
特筆すべきワインが思い浮かばない。
慢性と惰性でワインに接しているのか、ワインが完全に生活の一部になったのか、
いずれにしても、感激と感動を巻き起こさない飲み方はよくない。
感性の麻痺はワインに失礼だし、高い出費を伴った財布に申し訳ない。

私の関心事の軸足が、ワインから灯台に向きを変えた一年だったから、
来年は若干の軌道修正が必然だろう。 さもなければ、葡萄舎が泣く。
そんな意識を持って、今夜は市内で納会だ。
日頃ご一緒しているワインラヴァーが集まる。
タイミングを合わせて帰省する愛息を参加させて、彼をひとり立ちさせよう。

寒波は緩んで、荒天は去った。
今年の締めくくりに、さぁ、今夜は (も?) 飲もう。

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寒い朝

2006年12月29日 09時21分44秒 | 日記 ・ 雑記録
下関地方は <冬、暖かい地方> ではない。
地球が温暖化する以前、半世紀昔の私は長門市に住む小学生だったが、
見る見るうちに30cm も雪が積もるなどということは、冬場はザラだった。
でも、その頃からオーバーやコートの類は私服でも制服でも持った覚えがない。
子供も大人も丸腰だったから、<冬、寒くない地方> なのだろう。

沖合いを流れる海流は対馬暖流だから寒くはないはずで、
萩市から40km 北の見島(みしま)という孤島の冬の温度は山口県で1,2だ。
瀬戸内海の屋代島と並ぶ。
しかし、北西から吹きつける季節風の洗礼をモロに受けるのも山口県北浦で、
体感気温はググッと下がる。
空っ風と違って、海を渡ってくる風に湿り気があるのことの是非は知らないが、
震え上がることに相違はない。

今朝は雪が舞った。
吹き溜まりにかすかに残った雪は、薄日が射すとすぐに解ける儚い雪だ。
こんな雪でも、お客さんを呼んだり、自分が出かけたりするときは身構える。
冬の準備、雪の対策を(私の場合)全くしていないから。
強いて対策はといえば、雪が積もったら3日間おとなしくしている、それだけ。
それを2回も繰り返せば春が来る。
降り積もる雪に家が音を立ててきしむ、とかの恐怖も苦労も経験しないから、
辛抱強さと忍耐力で、私は雪国・北国の人達に負ける。

「季節のつぶやき」 に <この冬一番の> を、昨日載せました。 こちら です。

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ワイン会欠席

2006年12月28日 09時20分58秒 | 日記 ・ 雑記録
昨晩から冷え込んでいます。
   「季節のつぶやき」 に <この冬一番の> を載せています。 こちら です。

‥‥‥‥‥

私は毎月3つのワイン会に参加しているが、
うち2つは私が深く関わっていて、12月と8月は例会を行わない。
メンバーのそれぞれが行事や計画を予定しているだろうから、
というのが表向きの理由だが、3つのワイン会に参加すれば出費もかさんで、
年に2回くらいは調整月が必要、という情けない理由も、実はある。

で、12月に唯一のワイン会が昨夜、北九州の小倉で行われて、
当然、参加を表明しその気になっていたのだが、
突如、家業が今年一番の繁忙日となり、直前に参加を取り消した。

私がワインにウツツを抜かすことが出来るのは家人の全面的な理解があってのことで、
ワイン会の当日は、二人で切り盛りしている家業を家人に押し付けて出かける。
たいがいのことは頑張り通す家人だが、今年一番の繁忙日ともなると、そうも行くまい。

昨夜、戦いすんで日が暮れて、(正確には日が暮れてから戦いがすんだのだが)
欠席したワイン会がどんな様子だったのか、不思議と気になった。
いつもは半ば漫然とワイン会に参加して、
美味しい料理を食べて、ワインを飲んで、そのときの感激は永続しなくて‥‥
の繰り返しだが、たまに欠席してみると、
ワイン会が私の中に占めている割合が半端じゃなかったと気付かされる。

1月には派手な新年会があるから、醍醐味を満喫しよう。

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人間七十五年・夢幻

2006年12月27日 10時27分12秒 | 日記 ・ 雑記録
信長、秀吉、家康。 戦国の三傑で誰が好きかと問われれば、迷わずに信長だ。
信長が好んだ 幸若舞の 「敦盛」 の一節がある。
   人間五十年、下天の内をくらぶれば夢幻のごとくなり
信長が登場するドラマで、一度や二度は舞いが演じられる名場面で、
本能寺での最期の壮絶さと美しさなど、子供心にゾクッとして見入ったものだ。
で、いつの頃からか人の一生は五十年、と思い定めて成長していた。

これまでの人生で、たいしたことも出来ないまま還暦を迎える歳になる。
人間五十年といいながら、その50歳はとっくに過ぎてしまった。
いまや寿命の80はザラだけど <老醜を晒したくない> という思いは強い。
深い根拠はないが、私の一生の目安は七十五歳と設定した。
その年なら <呆け> も <衰え> もまだ最終局面には入るまい。
それより生き永らえても <得した> とは思わない。
何事につけ、余力を残して散るのが私の美学、だ。

還暦を来年に控えた9月の誕生日に思い立って、
2022年の75歳の誕生日まで、カウントダウンに入った。
今日と、残された日々を大切に生きるために。

自己満足と自己陶酔のHPだから、表紙にカウントダウンの表示をした。
便利な世の中で、2022年の日付と、日本時間を入力すれば
秒の単位まで計って表示してくれる。
ついでに、生まれてからのカウントアップも表示した。
過ぎた60年の、なんと多い日数よ!
残された15年の、なんと少ない日数よ!

秒単位で刻々と減っていく残りの日数と時間を眺めていると、限られた時間が怖くなる。
強迫観念に襲われて何も手につかなくなる一瞬だ。
まぁ、ボケ~っと過ごすよりはよかろう。

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阿蘇、硫黄、水虫

2006年12月26日 11時26分23秒 | 日記 ・ 雑記録
歳とともに酒量が減った、とはいってもそれは最近のことだ。
もっと前から進行しているものがある。 記憶力の (著しい) 減退だ。
記憶が不確かなことは驚くほどで、その都度自分が情けなくなる。
いつか、遠くない将来に <呆け> と呼ばれることだろう。 あ~ぁ、厭だ。

九州の熊本で、美女三人からお招きを受けたことがある。
二の丸公園で野外ワイン会を催していただいたのだが、いつのことだったろうか。
2年か3年前の秋だった。
泥酔して、それでも翌朝はシャンとして阿蘇に向かった。
営業開始のロープウェイ第1便で山頂に立った。
火山ガスが発生していて、立ち入り区域は広く規制されていた。

見晴らしも悪いから、売店に立ち寄った。記念に硫黄の塊を買った。
売店の親父さんが 「硫黄の粉末も買え、水虫に効く」 と言う。
水虫と言えば身に覚えがあるから、即、買った。
使用法は、小さい布袋に入れて浴槽に浮かべるのだ、と言う。
何度か試みたが、埒が明かないので、いつの間にか使わなくなった。

最近、季節外れの小春の陽気に、何を勘違いしたか、水虫が蠢きはじめた。
で、硫黄の粉末を思い出し、風呂上りに、患部に直接粉末をこすりつけた。
昨日と、その前々日試みた。 すると、なんと言うことでしょう。
完全に <かゆみ> がなくなった。 ウソみたいになくなった。

私は医学的な根拠は知らないけれど、私の場合に効果があったのは事実だ。
水虫にも種類があるのだろうが、私の水虫には効いた。
サラサラの、指でつぶすとキュッと音がするような粉末だ。
水虫に悩んで、藁をもすがりたい方は、是非一度お試しあれ。

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雑記

2006年12月25日 19時08分31秒 | 日記 ・ 雑記録
今年も残り1週間。

<済んだ>
葡萄舎の窓ガラス拭き
墓掃除
HP表紙へ年賀状掲載

<これから>
包丁研ぎ
葡萄舎のガラス戸拭き
家業、最後の一頑張り(27~30日)
可愛い一人息子の帰省歓迎
年越しの「瓦そば」造り (31日)
除夜の鐘撞き

他にすることあったっけ。
こんなことで2006年とオサラバだ。

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師走の都大路

2006年12月24日 17時46分16秒 | 日記 ・ 雑記録
師走の都大路を高校生が走りぬけた。
若者が懸命にタスキを繋ぐ駅伝は、箱根であろうと、実業団であろうと胸キュンだ。
日本人好みの競技 NO.1 かも知れない。

男子は隣県の世羅高校が古豪復活を成し遂げて、天晴れといえば天晴れだが、
1区の外国人留学生で優位に立たなければ、優勝は出来なかっただろう。
そう思うと、私は素直に喜ばない。
その点、女子の1位、2位須磨学園と興譲館は立派だ。
外国人留学生の力を借りずによく頑張った、と祝福を贈る。
(国内留学があったかどうかは知らないが)

私は外国人留学生を排除しろとは言わないが、
国内選手権やそれに類する大会は日本人だけで戦うべきだと思う。
だから、ラグビーでトンガの学生に頼る大学、駅伝でケニア勢に頼る高校、
み~んな嫌いだ。
本当に嫌いなのは、外国人留学生で校名を宣伝しようとする学園経営者だ。

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年の瀬、事もなし

2006年12月23日 18時30分03秒 | 日記 ・ 雑記録
昭和に生まれて、昭和を永く生きた身には、
いまだ、天皇誕生日は4月29日という感覚が残っている。
今日の空は晴れ渡って、日の丸がはためけばサマになったろうが、
無風で垂れ下がったまま。 その分だけ暖かかったということか。

長府の裏通りでひっそりと暮らしていれば、事もなく、一日が経つ。
刺激がないと、模様替えのビョーキが頭をもたげる。
SITE MAP のページが重いので、二つに分けた。 模様替え、というほどでもないが。

今年も残り10日を切った。
今日の天気なら、葡萄舎の窓ガラスでも掃除すればよかった。
まとめて包丁研ぎもしなくっちゃ。
明日からは年の瀬らしく生活しよう。

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グラス持ち込み

2006年12月22日 14時49分56秒 | 日記 ・ 雑記録
今日は冬至だ。

  冬至について 「季節のつぶやき」 へ。 こちら です。

昨夜は長府のイタリアン、モン ポタージュでXマス・ディナー。
男3人でXマスというのも色気のない話だが、目的はワインだから、ま、いいか。

  難解なメニューと、簡単なワインリストは 「美酒夜光」 へ。 こちら です。

3人で4本のワインを持ち込み、心配だったからグラスも用意して持ち込んだ。
これは正解だった。
弘法は筆を選ばないが、ワイン好きはグラスにもこだわる。
私が居て 「それ相応のグラスがない、と言われるのが口惜しい」 が本音だけど、
グラス一つで 3000円のワインが 5000円のワインに化けるのは経験済みだから。
私はグラスを持ち帰るとき、箱が汚れないようにグラスにティッシュを詰める。
私にとってはいつものパターンだが、
私たちより 30分遅れてスタートした4人組がいて
ワインを持ち込み、ナ、ナ、なんとグラスまで持参しているではないかっ!
しかも帰りにはグラスにティッシュを詰めている。

店のスタッフに、その方の名前を聞いた。
名前だけは知っている会社の社長さんだった。
テーブルに立ち寄り、挨拶して名乗ったら、その方も私の名前は知っていた。
そりゃ、下関で私を知らないワイン飲みはモグリだから(冗談です)。
で、近々に一杯飲りましょう、という顛末は自然の流れだ。
その方と私と共通項が多すぎるみたいで、なんとも複雑な心境だが‥‥。

2月20日には、モン ポタージュのスタッフ全員を葡萄舎に招くことも決めた。
イタリアンのスタッフを呼ぶ、というのだから私もたいした心臓だ。
まぁ、スパニッシュっぽい無国籍料理で立ち向かおう。

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衰えは酒量に?

2006年12月21日 09時12分11秒 | 日記 ・ 雑記録
最近、とみに酒量が落ちた。
もう、鯨飲する歳ではなくなった、ということか。

かつては、HP上で私の常套句があった。
「夜毎ワインの海を漂い‥‥」
その常套句はいま現在の私を表現する言葉ではなくなってしまっているが、
HPは虚構、虚像の世界だ、という方もおいでだから、しばらく放置しよう。
でっち上げの世界は私の主義と異なるが‥‥。

まず、ワインを夜毎飲まなくなった。 飲めなくなった。
晩酌は欠かさないが、最初に開栓するビール1本をもてあます始末だ。
翌朝、グラスやビンを片付けると、ビールが残っている。
昨年までの私には到底考えられないことだ。
ビール1本が飲み干せないのだから、次のワインに移れない。

一昔前の、私がワインに狂っていたときも、
飲み始めの、ビールの喉越しは絶対に譲らなかった。
いま、ワインを飲もうとすればビールを割愛しなければならない。
それは苦痛な選択だ。
私は <ワイン党> である前に <ビール党> だから。 昔も今も。

今夜、長府のイタリアン ・ モン ポタージュ でクリスマスディナーが催される。
何かといえば声をかけるお二人を誘って出かける。
クリスマスはどちらを向いても構わないが、ビール無しでワインに突撃する夜になる。
特例で、私たちがワインを持ち込むのは可、というから、
ありがたくそのようにさせていただく。
気がつけば、下関のレストラン、お食事処、どこへでも持ち込んでいる。
私たちの勇名、蛮名も知れ渡ったものだ。

3人でワイン4本。
どうってことはない量だが、今の私には少々コタエる量になりつつある。
もう、いい歳、なんだ。

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長州地鶏

2006年12月20日 10時22分56秒 | 日記 ・ 雑記録
郷里 (長門市) の友人から小包が届いた。
深川養鶏組合の赤地鶏のちゃんこ鍋セット。 家人と食して、そりゃぁ美味かった。
ところでこの <深川> 、
キーボードで地名の読み方どおりに <ふかわ> と打っても駄目で、
<ふかがわ> と打たなければ <深川> と表記されない。

かつて、小選挙区・山口4区は2市7町で構成されていた。
下関から郷里に向かうには最短ルートで2町を跨ぎ、
日本海沿いを灯台を見ながら行くには4町を縦断し横断しなければならなかった。
今では下関市の隣が長門市だ。

合併前の長門市は、1市(長門)3町(三隅、日置、油谷)に分割されていて、
更にそれ以前、
長門市は、通、仙崎、深川、渋木、俵山の5つの町村が合併して発足した。
山口県の北浦地区を一くくりにして大津郡という。
毛利藩政の宰判制度ではでは先大津と前大津に区分されていたが。
前世の名残で、私の母校は大津高校であり、深川中学だ。

長門市の一地域名の <深川> を冠した <深川養鶏> は、活発に事業を展開している。
その一つが <長州地鶏> だ。
引き締まった肉は、美味い鶏肉としての要素を全て備えている。
美味い鶏肉がふんだんにあるからかどうかは知らないが、
長門市は人口に比して <焼き鳥屋> の数が日本一、だそうだ。

自称、他称、僭称で日本一を名乗るケースは数多く、
福島県の川俣町も焼き鳥日本一を名乗っているらしい。
先般、川俣町の代表が長門市に乗り込んできて、日本一を競ったという。
長い竹串に、どちらが長い焼き鳥を作るかの勝負をしたという。
1mの差で長門氏が勝った、らしい。
埼玉の東松山市から、全国焼き鳥連絡協議会が審判に来た、というから長閑なものだ。

この記事をご覧の方が、いつかどこかで <深川養鶏の長州地鶏> を見かけたら、
是非、一度ご試食あれ。

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年始状投函

2006年12月19日 09時50分14秒 | 日記 ・ 雑記録
原型が出来上がってから1週間もモタモタしていたが、昨日一気に作り上げ投函した。
親戚用と、私用と。
試作の段階ではあれこれといろんなことを考えながら、
いざ最終段階となると、中庸で、パンチの効かない年始状で手をうってってしまう。
これが情けない。

そもそも、年始状そのものも、年始状を作ることも好きじゃない。
一番の理由はソフトに由来する。
今は <筆まめ> を使っているが、かつては <筆王> も使った。
どちらも私とは相性が悪い。
相性の悪さは、私がガイドブックをよく読まないからだ。

このことは、私がソフトや電器を買ったときの全ての場合に当てはまる。
すべてのものに購入動機、購入理由があり、必要と判断するから買うのだが、
当初の目的が果たされればそれで満足してしまう。
それ以上のレベルに進もうとしない。
当世の電器にはいろんな機能がついていて、
それらの機能を熟知すれば何かと便利なはずで、最新機器の恩恵に浴するはずだが、
それをしない。 困ったもんだ。

思えば、私が生きてきた60年は、技術も制度も考え方も新しいことばかりだった。
それらが更に新しいものに変るサイクルはどんどん早くなる。
一世を風靡したワープロは、いま、影も形もない。
残ったのは <字が下手になった> <漢字を忘れた> という事実だけだ。
20年前の、上手とはいえないまでも味わいがあった私の字はどこにいった?

こんなことの繰り返しで、どんどん歳をとっていく。 嗚呼。

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すゞめのお宿・盛況

2006年12月18日 09時22分18秒 | 日記 ・ 雑記録
秋の一時期、3週間ほど餌皿に寄り付かなかったチュン太郎やチュン子が、
またぞろ舞い戻ってきた。
<舞い戻る> なんて言葉はすゞめのためにあるのだろうか。

すゞめの生態を知らないから、素人考えをするしかないので、
あの時期、野山や田圃に充分な食べ物があったから、とか
ねぐらを大きい野鳥に占領されたから、と推し量るのだが、確たる理由は不明だ。
あの時期、好天が続いたから、小春の陽気に誘われて風と戯れていたのだろう。
が、冬本番が近づけば、さすがに葡萄舎の餌皿は魅力らしくて、
朝となく昼となく餌皿に群っている。
野鳥の会のメンバーなら、その数30羽、と数えるだろう。

すゞめは可愛いが愛想がないのが不満だ。
米粒やご飯粒をついばんだからといって、礼を言って飛び立て、とは言わないが、
半年以上も餌をやり続けているのだから、
私の姿を見て、雲の子を散らすように逃げなくたっていいじゃないか!
まぁ、半年間の継続は力で、餌を置いてチッチッチッと舌打ちをすると、
集まってくるから可愛いといえば可愛い。
但し、私が建物に消えないと決して餌皿に舞い降りては来ないが。

餌皿は玄関先に置いてあり、玄関は葡萄舎の西側だから、
西の窓を小さく開けて、カメラのレンズだけを覗かせるのだが、
隙間から吹き込む季節風は冷たい。
それなりの苦労をして写真に収めてきたが、もう春先まで撮影中止だ。
昨日は山口県の山間部で積雪をみたが、例年だと下関でも数回雪が積もる。
雪の日も餌をやり続けるであろう私に感謝をすることだ。 無理、か。

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寒波襲来

2006年12月17日 20時45分51秒 | 日記 ・ 雑記録
暖かいのか寒いのか判らない師走だったけど、
予報どおりに寒い日になった。
雨が降って、強い季節風が吹いて、役者は揃ったけど肝心の気温が‥‥。
本当に寒ければ雨が雪に変わるはずだから、雨降りは寒くない証拠?
明日の早朝は雪だるまマークだから、多少はキリッとするかもしれない。

今日はアメフト、ラグビー、女子駅伝、フィギュアといろんな大会が開催された。
TVで放映されないものも、ネットで結果がすぐにわかるから便利な世の中だ。
結果だけではなく、試合経過の詳細も教えてくれるありがたさ。
ひいきのチームが勝ったと分かっていて、深夜に録画中継があれば必ず観る。
しかも、僅差で勝っていれば、なおさらに観るのが楽しい。
私のように、ガラスの心臓を持ち合わせた者に、ハラハラドキドキは体に悪い。
最終的に勝つと分かっていて接戦を見るのが楽しいのだ。
スポーツの観戦としては邪道だろうが、体にいい方がいい。

邪道な観戦方法のメリットは他にもある。 時間の節約だ。
たとえば今日の試合、前半はひいきチームが圧倒的にリードしたらしい。
後半、相手が奮起し、結果として僅差で勝った試合だ。
TV放映は深夜だから、眠くなったら
ひいきチームが悪戦苦闘している後半を睡魔と闘いながら見ることもない。
結末は分かっているのだから。
なんという効率的な観方だろう!


プリンターのインクを十分に用意したので、明日から年始状の印刷にかかろう。
次第に年の瀬の雰囲気になってくる。

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