葡萄舎だより

海峡の街・下関の、葡萄舎の住人・洒人 (しゃじん) が身の周りの些事片々を書き綴ります。
本人は日記のつもりです。

往く年

2005年12月31日 20時47分48秒 | 日記 ・ 雑記録
今晩が1年の終わりで、明朝が1年の始まりだと誰が決めたか知らないが、
時刻々と今年が残り少なくなっていく。

昨夜の忘年会の片づけをし、おせち料理を受け取りにいき、年越しそばを造り、
BVCの 「バーチャル年越しワイン会」 が始まるのを待っている今、
己が身をを置く場所は、なんと平和で平穏なことか。
同じこの時刻に、悲しみや苦しみの中で絶望的な境遇の人々がどんなに多いことか。
何もできない私だから、
今夜、近くの大乗寺さんで除夜の鐘を撞かせていただく時は、世界の平和に思いを馳せよう。

ところで、我が家の年越しそばは、この数年、下関市川棚の名物 「瓦そば」 と決まっている。
茶そばを茹でてフライパンで炒め、
その上に甘辛く煮付けた牛肉、錦糸玉子、刻みねぎ、海苔ををちりばめる。
つけ汁にレモンと紅葉おろしを加えるそば料理だ。
川棚では1人前が1000円もするが、我が家で作れば安上がりで、腹いっぱい食べれる。
今回も家族から好評で、こんなときだけ存在感をアピールできる。

間もなく9時。 バーチャルワイン会の始まりだ。
11時40分には大乗寺で除夜の鐘、それから乃木神社、忌宮神社に参詣して、
余力があればバーチャルワイン会の後半戦に参加。
そんなこんなで、私の、変化に富んだ1年が終わる。

このブログにお立ち寄りの皆様が、よいお年をお迎えになられますように!

12/30 葡萄舎忘年会

2005年12月31日 19時35分56秒 | ワイン会の記録
葡萄舎忘年会2005 を開催。
東京から、ラカーザ氏を迎えて、総勢14名という、葡萄舎の近来にない大人数になった。
料理は敦煌の出前(回転皿)と、
スモークサーモンのカルパッチョ、えびのチリソース、アサード。

ワインはマグナム3本を含めた15銘柄。
サロンと、モーゼルのアウスレーゼが各2本だから、実質20本!
飲みも飲んだり、圧巻。

Salon 1995 ×2
Saint Joseph Blanc 2000 M.Chapoutier
Soave Classico Superiore Vigneti di Foscarino 2000 Inama
Meursault Santenots 1989 Marquir d’Angerville
Bourgogne Chardonnay 1999 Coche-Dury
Toscana Rosato 2004 Castello di Ama ×2
Tarsus Cosecha 1998
Vertus Rouge Coteaux Champenois 1er Cru Larmandier Bernier
Volnay Champans 1994 Domaine Comtes Lafon
Clos de la Rovhe 2000 Armand Rousseau
Ch. Leoville Las Cases 1984 (Magnum)
Teofilo Reyes 1994 Ribera del Duero (Magnum)
Brane-Cantenac 1997 (Magnum)
Mosel-Saar-Ruwer 1990 Riesling Auslese Von Hovel ×2

葡萄舎忘年会

2005年12月30日 16時10分25秒 | 日記 ・ 雑記録
一昨日あたりからボツボツと 「葡萄舎忘年会」 の準備を進めてきたが、
今日、朝一の仕事は墓掃除。
墓は功山寺の裏山にあるが、国宝の仏殿の真後ろだから一等地なのかも知れない。
市営墓地の抽選があって当たったのだが、猫の額ほどのスペースだ。
本家の広大な墓地よりは、掃除するにしても簡単で、コレはコレでいいと思う。
相当念入りに磨き上げても15分とかからないのだから。
ワンカップの清酒を墓石にかけ、小さい缶ビールを一口いただいて焼香すればお勤めは完了。
最近は、息子の行く末を見守ってください、とお願いする傾向にある。

10時頃から料理の下準備に入ったが、今日は長丁場だ。
忘年会へ出席するためだけに、東京を発った某氏は、もう、新幹線の中だろう。
いや、もう、新下関についている時間だ。 ありがたい話だ。

さぁ、がんばろう。

年賀欠礼 恩師の死

2005年12月29日 09時29分53秒 | 日記 ・ 雑記録
11月も後半に入ると、時折はがきが舞い込む。
ご不幸があったお宅からの、年賀欠礼の挨拶状だ。
一時期は、その数も多かった。 最近、4・5枚に減ったのは、
私達の親世代が、亡くなる人は亡くなった、ということか。

千葉から、恩師のご逝去が知らされた。
5年、6年の時の恩師であり、義姉のお兄さんでもあり、父の同僚でもあった方だ。
千葉に移り住んでからは、蘭の花を育てることが趣味で、
毎年の年始状には、ご自慢の花の写真が印刷されていた。
お世話になった頃は小肥りだったのに、やせ細ってのお姿が花の傍に写っていたが‥‥。
83歳。 遠くからご冥福をお祈りしよう。 合掌。
デパートからお線香をお送りした。

年の瀬の一日 忘中閑?

2005年12月28日 23時47分34秒 | 日記 ・ 雑記録
エキストラワイン会と葡萄舎忘年会の中日。
年末年始の食材買出しに出かけた。
ローストビーフ用の牛肉を2kg、シチュウ用の牛肉を1kg、ズワイの爪を1kg、
牛テールを2本、牡蠣のグラタンを20個、その他諸々。
これだけあれば年末年始、誰が何人来てもクリアできるだろう。

実に久しぶりに風呂掃除をした。 某氏の来訪に備えてだが、
こんな機会でもなければ年に1回の大掃除をしないのだから情けない。
明日はトイレの大掃除が待っている。

年の瀬に、するべきことはたくさんありそうなのに、久しぶりにTVを観た。
ナベツネが他局の番組に出演していた。
一番嫌いな男だが、率直な発言を聞いてみると、案外、いい好々爺だ。
自分の戦争体験に基づいて、靖国参拝を非難するのには見直した。
時間を置いて、清原も出演していた。
好きな野球人ではないが、彼の発言をじ~っときいてみると、知らなかった一面を見た。
シッカリした考えの持ち主じゃないか。
結局、マスメディアが作り上げた虚像を見て、それが私のナベツネ観になり、
清原観になっていたのだろうか!

教育TVでは瀬戸内寂聴も観た。
世阿弥を題材に 「秘花」 という小説を書くらしい。
これが最後の小説、と思いながら、命永らえて次々と小説を著す自分をみっともないと語る。
83歳 (だったと思うが) にして、驚くべき好奇心と行動力の持ち主だ。
「花鏡」 の中の一節、
初心忘するべからず、  時々忘するべからず、  老後も忘るべからず
いい言葉だ。 私も年老いたのかナ。
TVも、まんざら捨てたものじゃないじゃないか。

12/26 エキストラワイン会

2005年12月27日 13時33分03秒 | ワイン会の記録
今年最後の例会は私が当番で、会場は葡萄舎。
中国料理・敦煌の 胡調理長が出張してきて鍋を振る、といういつものパターン。
今回はメンバーのご夫人が2名参加で9名。

私が 胡さんにつける注文は唯一つ。
お店に行ったら食べれる料理は要らない。 本格的中華を作って!

料理は
5種前菜盛り合わせ
ツバメの巣のスープ
タイラギ貝のXO醤炒め
活き鮑の石焼きステーキ
中国漬物と皮付き豚肉の蒸しパン添え
フカヒレの姿煮
ナマコのピリ辛煮込み
かに肉のあんかけ炒飯
マンゴプリン

持参ワインはバランスよく揃った。
食前酒 
Kaisergarten Beerenauslese 2001 Austria 375ml
泡 
Louis Roederer Cristal 1999
白 
Aile d‘Argent 1999
Hermitage Chante-alouette 1989 M.Chapoutier
Chablis Grand Cru Bougros 1985 Regnard
ロゼ 
Rose de Syrah 2004 Mathilde et Yves Gangloff
赤 
Cote Rotie La Mouline 1994 E. Guigal
Corton 1992 Hospices de Beaune Cuvee Charlotte Dumay
Ch. Lynch-Bages 1985
甘 
Kaisergarten Eiswine 2001 Austria 375ml
Warre's Vintage Port 1970

湯本温泉で忘年会

2005年12月26日 17時08分36秒 | 日記 ・ 雑記録
昨日は郷里の長門市湯本温泉で、「三八会」 の忘年会。
昭和38年に中学を卒業した同級生8人で結成している親睦会だが、
かれこれ40年以上続いている。
継続は力、というけれど、この場合は 馬鹿力だ。
トレーナー、スタジャン、ブレザーとユニフォームは3着ある。
会を去るもの3名。 新規参加は認めていない、結束の固まりみたいだが、
何のことはない、飲むのが好きなだけだ。 集まれば、いつも同じ話題の繰り返し。
2ヶ月に1回、メンバーの自宅を会場に飲み会を行い、2年に1回は旅行も行う。
よくも続いたもので、市外からの参加は私だけだ。
市外と入っても、広域合併で下関市と長門市は隣町になった。
会長・会計は1年間の持ち回りだが、ひょんなことから私が会長を3年間することになった。
会長といっても、例会出欠のとりまとめだけだから、名ばかりだけど。
忘年会は湯本温泉で旅館をしているY氏のところが高齢になったが、
忘年会シーズンに安い会費でお邪魔するのも気の毒だから、来年は場所を考えよう。
とかいいながら、何年続けてきたことか。

昨日は不在で日記を書かなかったが、
気付いてみれば12月にカキコミをしなかったのは昨日だけだ。 惜しいことをした。

今日はエキストラワイン会。 葡萄舎で引き受けた。
準備を今終えた。 あとは料理人が出張してくるのを待つだけだ。

リニューアル 10,000

2005年12月24日 14時59分30秒 | 日記 ・ 雑記録
午前中に 「葡萄舎彩々」 のカウンタで 9が3つ並び、14時過ぎに5桁になった。
サイト開設者にとって、10,000 という数字は一つの目安であり、一里塚だ。
多くの方々にご来訪いただき、拙いホームページをご覧いただいた。
感謝と御礼を申し上げる。 「ありがとうございます」

この、10,000 という数字は、リニューアル後の数字で、
初期に設置したカウンタは 28,807 の時点でPCがダウンし、現カウンタに移行した。
リニューアル後の、ご来訪者の推移(低位安定だが・笑)も把握できたので、
10,000 をカウントした段階で旧カウンタの数値と合算した。

奇特な方々に於かれては、今後とも当サイトへ足しげくご来訪くださり、
お気づきの点をお教えいただきたく、お願い申し上る次第。
「今後とも どうぞよろしく お願い申し上げます」

遅刻する奴は嫌いだ!

2005年12月23日 15時41分46秒 | 日記 ・ 雑記録
今年最後のワイン会は葡萄舎で引き受ける。
4週間も前からメールで告知し、出欠や持参ワインの回答をいただくために、
回答期限も十分な余裕を持って設定した。
期限を過ぎても回答のない方が3人。 9人のメンバーだから1/3だ。
それでも、1日の猶予期間を与えたが、待っても連絡がない。
FAXで督促したら、2人の方からお詫びとともに回答があった。
一人は依然としてナシのつぶて。
業を煮やして電話した。 返答は欠席! 馬鹿にすんなよ!

だいたい、その方は例会でも2回に1回は遅刻する。
その方がシャンパーニュを持参するのがお好きなのは勝手だが、
シャンパーニュが時間に遅れたら話にならない。
遅れて迷惑をかけるのは先刻ご承知のようで、
最近は、例会場にシャンパーニュが前もって届けてあるから、なにをかいわんや。
遅刻をトレードマークにしているみたいだ。

私の限られた人間づきあいでの話だが、遅刻を常習とする人にロクな人間は居ない。
その方はどこに問題があるのだろう。
考えられるのは、あらかじめ決めた時間に物事を処理できない人。
商売が大繁盛していて、客が引きもきらず、商売とワイン会が両立しない人。
ワイン会なんかどうでもいい、と醒めきった人。 さぁ、どれだろう。

かつて、私の上司に遅刻常習犯が居た。
専務のトップだったのに、後輩が社長になった。
立志伝中の先代社長は、やはり見る眼があった、と今にして思う。

今日、年始状を作成した。
その方への年始状を、今年は出すまい、と思いながら印刷してしまった。
「昨年はお世話になりました」 なんて、心にもない賀状を投函するのは辛い。

年始状作成

2005年12月22日 22時11分56秒 | 日記 ・ 雑記録
昨夜、降りしきる雪を見て今朝の積雪を予想したが、気象庁並みに外れた。
鹿児島の積雪よりもはるかに少なくて、昼前には溶けた。
でも、近辺で交通の麻痺は続いたから、雪雲はこの地域をよけて移動したのだろう。

散らかっている身辺を整理して、気分を整えて年始状の作成に取り掛かった。
文面はすぐに出来上がったが、住所録を新規に作り直すのに手間取った。
PCを何度もパーにしているから、2年に1回は住所録を作っていることになる。
上手く使えば便利な機械に、逆に振り回されているみたいで、50の手習いがたどる道だろう。
1日で仕上げる予定が1,5日かかりそうだが、
郵便局が 「お願い」 に書いてあった期日には間に合いそうだ。

<添え書き>
2005年は、3月に、風の大地 パタゴニア(南米)を旅行し、
8~10月には、西安、敦煌から中央アジア、イランを経て、
イスタンブールまでシルクロードをバスで走破しました。
死ぬまでに一度旅してみたかった夢はかないましたが、
究極の旅が実現して、次なる目標を見失いました。
まぁ、1・2年は一泊程度のドライブを楽しもうかと‥‥。
先日、室戸岬の灯台を見たくて、23時間で944km 走りました。
往年の、飛ばし屋の血はまだ脈打っていました(反省)。
いつの日か、イグアスの滝(南米)を見たら、もう、本望です。


明日は年始状を

2005年12月21日 19時15分48秒 | 日記 ・ 雑記録
日記を紐解くと、このたびのHPの表紙の模様替えは11月24日に始まっている。
以来1ヶ月間、ああでもない、こうでもない、とビョーキが続いていたが、本日を以って完了。
今日現在のの形が 2006年バージョンとなる。 正確には、2006年第1期バージョンだ。
100% 満足する出来ばえでもないが、ここらへんで切り上げないと、未だ年始状も作っていない。
ワイン会関連の忘年会も目白押しで、趣味の、ビョーキの世界に浸っているわけにもいくまい。

今年の年始状作りに腰が重いのは、住所録を消失しているからだ。
今年いただいた年始状から住所録を再構築するのは簡単だが、
何人の方は平成の大合併で住居表示が変わっているはずだし、
年賀状ソフトはどこまで対応しているのだろう?

あっ、そうだ。 住居表示は変わっても、郵便番号は変わっていない。
そういえば、今年もらった年始状で、郵便番号と私の名前だけで届いた1通があった!
それらを考えると目の前が開けてきた。 明日こそ、年始状を作り上げよう!

夜9時。 下関は白一色。 ことによるとこの雪はかなり積もりそう。
昔、小柳ルミ子の歌にあった 「雪明りの街」 って、こんな明るさだったのだろうか。
とにかく、幻想的に明るい。
雪に弱い西日本。 明日の国道は大渋滞しそうでお気の毒だが、雪景色、コレはコレでオツなものだ。

朝日・週刊シルクロード紀行

2005年12月20日 12時03分16秒 | 日記 ・ 雑記録
シルクロードの長旅に出かける前、
朝日新聞社から、週刊で 「シルクロード紀行」 が発行される、と告知があった。
これまでも 「世界遺産」 などが発行されるたびに買い揃えた経験からしても、
1年間にわたって、全50巻はしんどい話だ。
それでも、創刊のタイミングが旅行を終える直後だったので、予約をして旅に出た。

これがシルクロードだ、という道はない。
中国西域、中央アジアに限って言えば、
点在するオアシス都市間を結んで人や隊商が歩いた道は全てシルクロードだ。
だから、シルクロードは東西に、南北に、無数にある。
週刊・シルクロード紀行は、東は奈良の東大寺から、西はローマまでの全域をカバーしている。
私が敦煌からイスタンブールまでバスで走りぬけた行程は、
無数のシルクロードの中で、旅行者受けする代表的な道の1本に過ぎない。
NHKが好きな天山南路を(私達は)かすってもいないし、ロシア南部のステップ路も同様だ。
刊行は敦煌に始まって、今、サマルカンドにたどり着いているが
2週に1週は私がたどった以外の街、地域が取り上げられている。

それはそれとして、感慨をいくつか。
① 同じ景色を見てきたのに、さすがにプロのカメラマンは美しい写真に仕上げている。
② 旅程にしたがって上っ面をなでてきたツアーと違って、取材スタッフは現地での滞在時間が長いのだろう。 掘り下げ方が深い。
③ とは言え、私達のツアーも、実に多くの場所を訪れ、いろんなものを見ているナァ!
④ 私がたどったルートは、14週にわたって各週のテーマになっている。 54日間の旅は、14冊の本になるほどの内容を伴っていたんだ!
⑤ 私であれ、取材スタッフであれ、異邦人が眺める現在のシルクロードって、受け止め方は似たり寄ったりなんだ。

ある方は、私の旅を 「グレート・ジャーニー」 と評してくださった。
旅行を終えて、それをきいたとき、そんな大げさなものでも‥‥と聞き流したものだが、
今更ながらに、スゴイ旅だったんだ! と思う。
私が眺めたのは、西暦2005年のシルクロードだ。
往時とは、街は景観を変え、砂漠化は進み、生活も変貌を遂げている。
未だ見ていないもの、見落としたものを拾い集めに行くなら、早く行かなきゃ。
再訪はあるかナ?

月例会は休みなのに

2005年12月19日 10時20分01秒 | ワイン 些事放言
朝、風は衰え、寒気も緩んだ。
例年の12月と比べれば 「寒い朝」 だろうが、それほど昨日までの冷え込みが厳しかった、ということか。
寒気が緩めば、皆とワインを飲もうか、となる。
(本当は、寒気が緩もうと緩むまいと今夕のワイン会は設定済みなのだが)

私は3つのワイン会に参加していて、毎月1回の月例会が3つある。
内2つは私の意向が色濃く反映されるので、わがままを通させてもらっている。
その最たるものは、「8月と12月の月例会はお休み」。
お盆と正月は “物いり” だからワイン会は休もう、というのが根拠だ。
でもメンバーを見渡してみると、お金に困っているのは私くらいのものだから、
この決定はやはり私のわがままだろう。
が、酒飲みって困ったもので、月例会が休みなら個人的に飲もう、となる。
飲むなら、2・3人よりも大勢のほうが楽しいから皆に声をかけよう、となる次第。
結局、月例のワイン会に2・3人が欠けるメンバーでのワイン会と相成る。

今日の会場は、下関駅前の和食処。
安くてボリュームがある、というので某氏が前々から目をつけていた。
ワインの持ち込みはOKだが、グラス持参という条件付きだ。
店休日の月曜に、わざわざ店を開けてくれる、というからありがたい話ではある。
‥‥で、6人分のグラスをせっせと用意している馬鹿がいる。
どこに?  ここに。


寒月

2005年12月18日 18時00分51秒 | 日記 ・ 雑記録
昨夜は3時まで起きていた。
サァ寝ようと明かりを消すと部屋の真ん中が四角く明るいのに気付いた。
天窓から月光が射しこんでいるのだった。
天窓は天井の真ん中に設けているから、部屋の真ん中が照らされているということは、
この時間、月齢15,5の満月は天空の真ん中にいる、ということだ。

冬の星座は時折見上げるが、冬の月をじっと眺めることは滅多にない。
俳句の世界では寒月と呼ぶのだろうが、冬の月は寒々しくて、どうもいけない。
外で、寒気にさらされながら見るならともかくも、
暖房を効かせた部屋で見ても、冷たく、近寄りがたく思えるのは何故だろう。
虚空で凛としたたたずまいといえば、いえなくもないが‥‥。

天窓からは空の大部分が隠れて見えないが、この冴えた月光なら明日は好天?
そう思いながら朝起きたら、うっすらと雪景色! 車の屋根と窓も真っ白。
この荒天、長続きしすぎるぞ!

寒風をついて女子駅伝が行われ、ワコールの福士が14人抜きの激走をした。
雪の青森生まれというけれど、強い者は強い。
母校のラグビーは? アメフトは?

また、変えてしまった

2005年12月17日 23時55分53秒 | 日記 ・ 雑記録
HPの表紙を、また変えてしまった。
自分では、ビョーキだから仕方ないと思っているし、
私を、「葡萄舎彩々」 をご存知の方は、またか! と呆れてご覧だろうけど
ここ最近、2度、3度とお越しの方は驚くだろうナ。
なんたって、半日ごとに変わっているのだから。
ま、情緒不安定な男ですがお付き合いください、と日記には書いておこう。

このブログも、昨日で開設1ヶ月を経過した。
自分でも驚くほどの継続力で、ほぼ毎日書き込みをし続けた。
自分の過去を振り返っても、日記の類でこんなに途切れることなく書き続けた経験はない。
この状態は私にとっては超常現象に近いが、近い将来に、突然死でも起こるのではなかろうか。
なんだかんだといいながら、やたら自分自身のことを書いている。
あと、12・3年は生きたい! と思っているが、こればっかりはままならない。
いつ、何が起きても悔いを残さないように、
そして、来たるべき瞬間には 「よく生きた」 と言えるように、
心の準備をしておこう。
飲める酒は、飲めるときに飲んでおこう。

チョット脱線したので軌道修正を。
このブログの 「総目次」 をHPに掲載した。
掲載してもおかしくない程度の記事数を、この1ヶ月で書き貯めたからだが、
これを2ヶ月、3ヶ月と継続していけば、
ご来訪くださる方々のためではなく、私自身の記念碑として残るだろう。
どうせ、私の銅像はおろか、胸像さえも、どこにも建たないのだから。
せめて、自由になる私の世界で、自画像を書き残そう。