葡萄舎だより

海峡の街・下関の、葡萄舎の住人・洒人 (しゃじん) が身の周りの些事片々を書き綴ります。
本人は日記のつもりです。

虫の音が‥‥

2006年08月30日 17時32分07秒 | 日記 ・ 雑記録
昨夜から今朝にかけて、かなりまとまった雨が降った。
天気図では、下関の上に前線が横たわっているから、この雨もむべなるかな。
惜しむらくは降りはじめるのが6時間早すぎた。 昼間の蒸し暑さったらない。

大量の雨が火照った大地を冷まし、
我が世の夏を謳歌していた蝉時雨もずいぶんと衰え、
葡萄舎の前の空き地では草むらに集く虫の音が夜の世界を支配し始めた。
この虫の声が聞こえ始めると、待ちかねた秋の訪れも遠からじ。

毎年、夏の暑さにはお手上げだが、
歳を重ねるほどに、夏という季節が厭になる。
嫌悪を通り越して憎悪に近い。 何が厭たって、夏ほど厭なものはない。
昔はこんなでもなかった。
それなりの夏の送り方があって、それなりの楽しみもあった。
いまは、それがない。
去っていく夏という季節に、石持て投げつけてやりたいくらいだから異常だ。。

そんなことを考えているから、
今年は白桃も西瓜も十分に食べていない。 カキ氷はついに食べ損なった。
ま、いいさ。 夏という季節に愛惜はない。

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北緯34度 東径131度

2006年08月27日 09時47分20秒 | 日記 ・ 雑記録
佐多岬灯台へロードパークを走っていると北緯31°の表示があった。

下関で高速道を走っていると北緯34° の表示がある。
ご親切に、同緯度の街として 西安 と ロス が並べて書いてある。

子供の頃に観たCMを思い出す。
♪ ミュンヘン、サッポロ、ミルウォーキー、世界ビールの名産地
‥‥だったかナ。 サッポロビールのCMだ。
ミュンヘン、サッポロ、ミルウォーキーは北緯45°の南北に位置するといいながら、
実際は相当な開きがあるのだが、
ヨーロッパとアジアと北米の位置関係を把握するのに重宝だった。

昨年、シルクロードを旅したが、ほとんどの街は北緯40°の南北に位置していた。
日本で言えば男鹿半島の入道埼灯台だ。 かなり北、のイメージだ。

北緯34°はJR新下関駅の南を通っているが、長府の町で、東径 131°と交わる。
印内交差点という、国道2号と9号が分離・合流する交差点から
神戸製鋼の工場越しに 800m東の海上がその地点だ。

北緯34°と東径131°は覚えようと思えば覚えやすい。
北緯34°に4°をプラスすれば南北朝鮮を分断する停戦ライン。
東径131°に4°をプラスすれば明石市を通過する日本の標準子午線。

ちなみに、北緯34°の緯線は、日本では
下関の西で海に入り、壱岐の北、対馬の南を通って陸地はない。
中国大陸に上陸して 西安、パキスタンのペシャワール、
地中海ではキプロス島を通り、カサブランカから大西洋に入る。                                            
東に進むと、下松(山口)、川之江(愛媛)、小松島(徳島)、十津川(奈良)、
紀伊半島を横断したら海に入る。
それから先は、三宅島の南を通って陸地はない。 そして ロス だ。

一本の緯線から話は世界に広がるから、地理は好きだ。

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安倍候補独走・憂鬱

2006年08月26日 18時05分45秒 | 日記 ・ 雑記録
小泉が、言いたい放題で丸投げした政権をめぐって
祖父の代から続く三代目政治家のボンボンが、総裁選レースを展開している。
永田町すずめの観測も、全国紙の世論調査も一強二弱を印象付けている。
その一強は、オラが選挙区を地盤とする安倍センセイだ。

長州7人目の宰相・佐藤栄作が長期政権を手放してから、待つこと久しい。
安倍晋太郎は志なかばで倒れ、林義郎は総裁選を賑わすのが精一杯だった。
それ以降は人材に欠けた。
正直、向こう20年、長州からの宰相出現はない、と思っていた。
強いてあげれば、村上ファンドと仲好しの 林ジュニア か。
間違っても、安倍ジュニアの線はない、これが私の読み。
見事に、外れた。 永田町の論理が、素人にわかるはずもないが。

郷党として、長州8人目の宰相誕生を喜ぶべきだろうが、そうもいかない。
彼は、圧倒的な 「安倍ブーム」 のなかで、早くも衣の下の鎧をちらつかせた。
ソフトな面立ちとは裏腹に、党内きってのタカ派だから、
改憲を公約に掲げるのは当然だろうが、「平和憲法護持」 の私とは相容れない。

総裁選レースで繰り広げられる茶番を面白半分で眺めたり、
郷党意識も手伝って、低迷している県勢の浮揚を期待したりしていると、
戦後60年続いた日本の歩みが大きい分岐点を迎えることになる。

団塊世代第一派の私は、平和憲法の下で戦争を知らず、武器を握らず生きて来た。
人類が戦争と略奪を繰り返してきた歴史の中で
この60年は稀有な60年の歩みだと、後の世に歴史家は評価するだろう。
徴兵もなく、軍事教練もなく生きてきた私がこれからなすべきは、
孫たち、次の時代の若者達にも武器を握らせないことだ、と思う。
平和憲法護持のためなら、長州8人目の宰相の内閣と闘わなければならない。

再軍備は、とっくにしているし、後は合法的に海外派兵をするだけだが、
改憲まで突っ走る道筋をつけるのが、長州出身の総理かァ。
A級戦犯から上手くすり抜けた岸信介の孫なら、仕方ない、か。

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テンプレート

2006年08月25日 23時20分00秒 | 日記 ・ 雑記録
昼間の暑さは相変わらずだが、
夜と朝に窓から入ってくる風は確かに涼しくなっている。
シャワーの栓をひねると、最初に出てくる生暖かい水は確実に少なくなった。
あと1ヶ月。 気長にお彼岸をまとう。

今朝6時に起きて空を見たら、うろこ雲だった。
で、このブログのテンプレートを夏の青空から替えた。
一足早い衣替えだが、
そうでもしないと、残暑がつらい。

(このブログをご覧いただくには、文字サイズは「小」がよろしいかと)

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薬価の不思議

2006年08月24日 23時44分18秒 | 日記 ・ 雑記録
私は高血圧の薬を毎日飲む。
薬は2種類あって、1つは朝、1つは夜飲む。
物事には几帳面なタチだと自認しているが、
朝と夜の2回飲むのは億劫なので、夜にまとめて飲んでいる。
が、医師の指示通りに飲んでいないのは不安だから正直に話した。
そしたら、何のことはない、一緒に飲んでも差し支えない、とのこと。
処方箋もそのように書いてもらった。

薬局に行って薬を貰った。 30日分で 1,240円支払った。
別件で、時間を置いて薬局に出かけたら、
「先ほどは計算間違いをしました」 といって 320円返金してくれた。
理由を聞いたら、
2種類を同じ時間に飲むと薬価が変るのだ、という理解に苦しむ説明。
最初の計算(明細)では、 
技術料 263 薬材料 151 合計点数 414  患者負担額 1,240円
訂正した計算(明細)では、
技術料 186 薬材料 121 合計点数 307  患者負担額 920円

処方箋で、2種類の薬を朝晩に分けて飲むのと、1度にまとめて飲むのとでは
技術料も薬剤料も変ってしまうという、素人には理解できない不可思議。
安くなったのだから文句は言わないが、だったら、
いままで処方箋の記述一つで毎月 320円余分に払っていたことになる。
その あぶく銭 誰が儲けていたのだろう。

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明太子は下関発祥

2006年08月22日 22時58分20秒 | 日記 ・ 雑記録
スケトウダラは朝鮮半島では大衆魚として親しまれていた、らしい。
ハングルで 「ミョンテ」、漢字で 「明太」 「明太魚」。
その卵は 「ミョンテの子=メンタイコ」

明太子といえば全国的に博多が知られ、発祥の地と思われがちだが、
元・水産大学校教授の今西氏は研究の結果、
「明太子は朝鮮半島で生まれ、日本に伝わったのは下関」 と突き止めた。
戦前からの大陸との重要な交通手段 ・ 関釜連絡船で流通したというが、
戦後、下関は 一握りの業者が製造技術を抱え込んだのに対し、
博多は明太子業者の裾野と規模を拡大した。
博多の業者にとって、最大の追い風は1975年の山陽新幹線博多駅の開業だ。
TVCMと折からの激辛ブームだ。
「博多名物」辛子明太子は、一気にトップブランドとなった。

下関は、何かにつけてトップを走りながら、
いつも、他所に取って代わられて後塵を拝する。
人がいいのか、馬鹿なのか。ヤル気はあるのか、見る眼はあるのか。


(この記事は地元紙 ・ 山口新聞を参照しています。)

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海自 小月教育隊

2006年08月21日 23時18分34秒 | 日記 ・ 雑記録
日テレ系の 「アンテナ22」 で
海上自衛隊のパイロットを養成する教育隊の実録が放映された。

海上自衛隊の教育隊といえば、
私の街の小月にある、通称 「松屋の自衛隊」 しかない。
番組を見ると、やはり 「松屋の自衛隊」 だった。

「松屋の自衛隊」 といえば
最近でこそ、自衛隊の正門前を通っていた国道2号はバイパスに移ったが、
私は下関に住んで仕事は宇部・小野田がったから
正門前は20年近く通過した。
一度、息子を連れて、基地を見学したこともある。
平日に、親子二人のために
(昔で言えば)伍長クラスの自衛官が一人案内をしてくれた。
T-5という練習機は、いつもタッチ・アンド・ゴーの訓練をしていたが、
今日のTVで、初めて教育隊の全体像がおぼろげにわかった。

旧軍隊並みの厳しい新兵教育がなされているみたいだが、
一人のパイロットを作り上げるのに5億円をかけているそうで、
この点に関しては軽々に述べるのは止めておこう。

しかし、TVというのは、いろいろ見せてくれる。
「松屋の自衛隊」 なんて、知ってるようで知らないことばかりだった。

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今夏 最良の日

2006年08月20日 12時05分24秒 | 日記 ・ 雑記録
8月19日。
宮崎に上陸し、熊本周辺で足踏みしていた台風10号は、
早朝、博多湾から海上に出た。
下関から数10km 沖合いを北上して、夜に釜山の近くまで行く間、
下関はずっと暴風波浪の注意報が出ていたが、
ついに台風らしい風は吹かなかった。
台風らしい雨も降らなかった。
でも、朝から太陽は一度も顔を出さないから、気温は30度を超えないまま。

局所的に豪雨があって、洪水などの被害を出した地域の方にはお気の毒だが、
下関に住んでいる人間として、大きい声ではいえないが、
こんな台風なら、毎週来たっていい。 大歓迎だ。
私も家人も、太陽を見ない一日で心底救われた。

2006年の夏、最良の一日を挙げよ、といわれたら、
ためらわず、8月19日を挙げる。

冷夏で終われば、野菜の価格は吊り上り、米の作況が悪くなるのだが、
少々のことなら、夏は冷夏がいい。 暴言?

下関の夏祭り、馬関(ばかん)祭り は19,20日の開催だが、
私の記憶では、毎年雨に祟られる。
8月19日。 豪打の智弁と、勢いの鹿工が負けた。
決勝は 駒苫と早実。 面白い組み合わせだけど、好みの組み合わせではない。
8月19日。 母がウラジオストクに発った。 すぐに帰って来るけど。

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葡萄の樹は残った

2006年08月19日 16時57分35秒 | 日記 ・ 雑記録
葡萄舎の竣工は96年の暮れだから、一昔前だ。

葡萄舎にはウッドデッキがあったのだが、
年に1回、中秋の名月を愛でる以外は、使い道のないスペースだった。
北と西が建物だったから、冬の季節風・四王司颪をさえぎってくれて、
日向ぼっこをしながら煙草を吸うには最高の場所だった。

建物には 「葡萄舎」 などと名前をつけているから、
建物に葡萄樹の何本かは必要だろうと、ホームセンターで苗木を買って植えた。
ウッドデッキの手すりに沿って植えたのは3本。
あの頃はワインに夢中だったし、銘醸地めぐりに憂き身をやつしていたから、
植えるならワイン用葡萄となるはずだが、存外、醒めた判断をする性質で、
ワイン用葡萄が日本の風土で上手く育つわけがない、と信じていたから
植えたのは日本でも育つ生食用の葡萄だ。

ところが3年前に、ウッドデッキを取り壊して、増築してしまった。
植えられていた3本の葡萄樹は、工事で倒され踏みつけられた。
1本だけが、辛うじて生き残った。
屋根まで延ばそうと、添木をあてがった以外は
いっさい面倒を見ずに放置していたのだが、
季節が来ると花を咲かせ、結実し、色づいてきた。
薬品も施さず、害虫も駆除しないから、色づいた果実は不揃いだ。

不揃いな葡萄の果実を見て、感じるものがある。
この2年ばかり、私の関心と興味はワインから遠ざかっていた。
私に葡萄舎がある限り、私にワインはあり続けるのだが、
9月には 盆さん のご来関が実現することでもあり、
またぞろ、ワインの世界に戻っていこうか、と。

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準々決勝

2006年08月18日 13時21分20秒 | 日記 ・ 雑記録
甲子園では準々決勝、いわゆるベスト8の激突が一番面白い、という。

駒大苫小牧は3連覇を狙うにふさわしい、鍛えられた好チームだ。
大柄で存在感のある主戦が打たれながら粘投するのがいい。
山口県勢が緒戦で敗れた相手だが、敗れるも仕方なし、の感がする。

智弁和歌山と帝京の壮絶な打撃戦は 「面白い」 を通り越している。
筋書きのないドラマを、対戦しながら演じきる高校生の
気力、体力、技術には恐れ入る。
どちらが勝ってもい、という試合は滅多にない。 観てよかった。

今、早実が日大山形に勝った。 勝って当たり前で、
山形県勢がベスト8まで勝ち進んだことを評価すべきだろう。
それと、7回まで早実を翻弄した背番号6の投手を称えたい。

準々決勝最後の試合を見届けていないが、たった一つ思うのは、
ベスト8に勝ち残る公立高校が少ないこと。
これから戦う鹿児島工業だけだ。 頑張って欲しい。

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アクセス 50000 御礼

2006年08月17日 21時59分18秒 | 日記 ・ 雑記録
当サイトは 2002年8月2日に開設公開しました。
個人的な関心と興味をサイト上で表現しただけの他愛もないサイトですが、
おかげさまで 5年目を迎え、アクセスカウントも 50,000 を超えました。
大勢の方々にご訪問いただき、ご支援いただきまして、心より御礼申し上げます。
これからも、どうぞよろしくお願い申し上げます。
 

ところで、キリ番を踏んでくださったのは、お馴染みのアロマさんだった。
記念の品を考えなければならないが、
9月7日には 盆さん がご来関なさることでもあり、
その折に 「ワインを飲みにおいで」 とでも誘おうか。

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断煙一ヶ月

2006年08月16日 10時13分21秒 | 日記 ・ 雑記録
私の喫煙量は10~15本/日だから、1ヶ月に20箱だ。
愛煙のピースライトが値上がりして、1ヶ月に400円の出費増になった。
愛煙家にとって、400円/月の出費増は憎らしいけれど、大勢に影響しない範囲だ。
煙草を断つほどのきっかけではない。
ただ、いつかはやめようと思っていた身には、立派なきっかけとなる。

煙草を断とうと思った理由は2つ。
ワインの虜になって舞い上がっていた頃、
「ワインの香りのために煙草を止めよう」 と口走ったことがある。
たった一度の、たった一言を、家人は聞き逃さなかった。
それでなくても、
「週一で休肝日を作る」 と公言(したらしい)、反故にしている私だ。
口先ばかりの調子のいい男、小泉みたい、と思われるのもシャクだ。
もう一つ、煙草は好きだけど、異常に痰が絡む。 かなり苦しい。
痰が絡まなければ、家人の冷たい視線を浴びても、やめなかっただろう。

かくして、人生で12度目だかの断煙に入った。
12度目というのは私の意志の強さと弱さを表す数字だ。
簡単にやめることができるから、簡単に吸い始める。
ちょうど1ヶ月が経過したけど、吸いたい気持ちは今もある。
吸い始めればまた、5本が10本、10本が15本となるから、
この際、やはりやめておこう。
13度目の喫煙再開にいたる過程は描けるのだが。 慣れっこだから。

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敗戦記念日

2006年08月15日 12時13分56秒 | 日記 ・ 雑記録
61回目の終戦の日。

いつの時代にも、戦争に導く奴が居て、
それを扇動する奴が居て、それを翼賛する奴が居て、
戦争を遂行すれば儲かる奴が居て、
考えもなく戦争に陶酔する奴が居て、美化する奴が居て、
狂気の沙汰で戦争に突き進む。

戦争に反対する力はいつも弱い。
反対しながらも前線に駆り出されてしまえば、戦争に加担したと同じことだ。

戦争が終われば、終戦の日を境に戦勝国と敗戦国に分かれ、
戦争に敗れたら敗戦国として、戦争責任を追及され、戦争犯罪を裁かれ、
領土を奪われ、賠償を請求されるのは世の常だ。
それが厭なら、戦争をしなければいい。
負けるつもりで戦争を始める奴は居ないだろうけど。

61年前、敗戦国・日本は、
敗戦国としてなすべき事柄が完璧ではなかったみたいだ。
「死に体」の首相が、敗戦記念日に靖国神社に参拝するもしないも
たいした問題じゃないと思う。
敗戦国が敗戦国としての国際的な責任をキチンと果たしておけば、
そして戦争犯罪人の名誉回復などを画策しなければ、
なんら問題にならなかったはずだ。
ところが、この国には懲りない奴等が蠢いている。
それらの勢力をのさばらせた戦後社会も同罪だ。

午前中の、靖国神社からの報道と、それへの対応が情けない。
正午、甲子園球場での黙祷が本来あるべき鎮魂の姿だろう。

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無縁の夏祭り

2006年08月14日 17時24分18秒 | 日記 ・ 雑記録
関門海峡の両岸で、115万人の見物客を集めて競い合う花火大会を、
今年も見ないで終わってしまった。
永年、下関で生きてきて、住まいが町外れの長府にあるからだけど、
下関で行われるイベントにはほとんど参加したことがない。
大体、下関の地勢と地形が悪い。
関門海峡が複雑な境界線(海岸線)を描いているから判りづらいが、
下関は鋭角30度の半島と島(彦島)で九州に突き刺さっている。
イベントが行われる市の中心は半島の先端に近いから、
そこに集まる人の流れは、漏斗に集まる液体だ。
開口部の広い湾に押し寄せる津波だ。

加えて、私の、人込みと混雑嫌い、が作用する。
社会人になってから、ずっとサービス業に従事したこともあって、
行楽や民族大移動の季節に世間並みの行動をとったことがない。
行楽地も遊園地も、私が行くときはいつもガラガラ。
帰省もUターンのピークが終わってからの行動だから、
数10キロの渋滞なんて経験したこともない。
ましてや、いまさら経験したくもない。

かくして、興味も関心もありながら、
人が集まるところには出かけない私が出来上がった。
そんな私だから、行列が出来る「旨いもの店」や、
「お待ち」が出るレストランには絶対に行かない。

8月19・20日の「馬関(ばかん)祭り」 が下関の夏のイベントの最後だ。
賑わったらしいと、ニュースで知ることになるだろう。

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シルクロード 出発1年

2006年08月13日 20時12分25秒 | 日記 ・ 雑記録
1年前の今日、成田を飛び立って、上海乗継で西安に入っている。
54日間の、長い、長~ぁい 「シルクロード風の旅」 の始まりだ。
夕方のこの時間には、日本各地からの飛行機が上海について、入国審査で大混雑したのを思い出した。
広いゲートを持ちながら、係官を配置しないから混雑しただけのことだが。

上海では、私の荷物が検問に引っかかった。
束にして入れていた乾電池が起爆装置と写ったのか。
1年後のヒースローなら射殺されていたかも。 物騒な世の中になった。

今日は関門海峡を挟んで花火大会。
規模の大きさから、西日本を代表する花火大会に成長した。
忌宮神社の数方庭祭は、今日が最終日。
下関の夏も峠を越した、ということか。
下関がごった返しているときに、時の人・安倍晋三がお国入りした。
昨日は下関で3千人、長門市で6百人集めたらしい。
本人にすれば、嬉しいお国入りだろう。
政治の世界、一寸先は闇だから、笑えるときに笑っておくがよかろう。

安倍晋三の父・安倍晋太郎は、地域に尽くした代議士だった。
地元・湯谷町はどれだけ恩恵を受けたことか。
向津具半島の先端にある油谷港俵島灯台は、2ヶ月に1回定期巡回する灯台だが、
それはそれは立派な道がついている。
私も恩恵を受けたことになる?

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