葡萄舎だより

海峡の街・下関の、葡萄舎の住人・洒人 (しゃじん) が身の周りの些事片々を書き綴ります。
本人は日記のつもりです。

ご執心

2007年01月31日 15時24分20秒 | 日記 ・ 雑記録
今日はエキストラワイン会。
前回(年末)は家業が超繁忙で欠席したが、
今回の会場は前回と同じ海外・小倉のブルー・シェル。
ジビエを供する店で、<EW会> のメンバーのお気に召すらしくずいぶんとご執心だ。
私もいい店だと思う。
ソムリエ資格を持ったママさんのサービスは完璧に近いし、
若きオーナーが作る料理はウムッといわせるものがある。
が、果たして2ヶ月続けて利用する店か?
成り行きで参加させていただいている立場だからこれ以上は言わないが‥‥。

今晩は酔いつぶれるだろうから、明日 「美酒夜光」 に記録を残そう。

行って、帰ってからのことよりも、
先般の <騎士の会> も小倉で開催し、呆け老人は時間を1時間勘違いしたから
乗り遅れずに小倉に到着することが先決だ。
しかし、皆さんスキだねェ。
ワインをぶら下げて小倉くんだりまで飲みに行くのだから。
自分のことは棚に上げて、評論家然として書く私のなんと <軽い> ことよ。

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「宗谷」

2007年01月30日 18時51分29秒 | 日記 ・ 雑記録
朝は雲ひとつない青空が広がって、
風さえ吹かなければ午後の陽だまりは心地よかろうと思わせながら、
昼にはすっかり冬空になった。
ぬるま湯の冬を過ごしているうちにもう節分だが、暦の春には冬空が続く。

昨夜、有線TVを観ていたら
懐かしくも、「宗谷」 が初めて南極に向かった記録映画を放映していた。
何をいまさら、と思いながら、ついつい引き込まれて見てしまった。
ニュースで、南極観測50年の節目だ、と知らされた。
第1次越冬隊の記録や、樺太犬の物語もあったようだが、これは観ていない。

この50年間の科学や技術の進歩は人類の歴史の500年に相当しそうだ。
それ以上かもしれない。
50年前の、劣悪な観測隊の設備や装備 (その時代の最先端だったろうが) に、
改めてそんな時代もあっただと思わされる。
更に50年前に白瀬隊の快挙があるのだから、その苦労たるや推して知るべし。

昔の日本人は <頑強> だったのだ、と思う。
身体的に、というよりも精神的に。
選ばれた11人の第1次越冬隊員のうち、朝日新聞社の方は下関出身だというが、
忍耐力と適応力で任務を遂行した方なら、出身地はどこでもいい。

話に何の関連もないが、
今春の私の <風の旅> は北海道に決めた。
北海道の海岸線を ぐるり一巡りして灯台を訪ねる旅で、私の 「宗谷」 は岬だ。
題して 「風の旅 ・ 風雪の灯台」
出発は5月。 道東の濃霧発生が気がかりだが‥‥。

準備を進めていた みちのくの灯台めぐり 「奥の磯道」 は <お蔵入り> だ。
来年か再来年に蘇生復活する可能性は十二分に、あるが‥‥。

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やっぱり、北へ

2007年01月29日 15時56分59秒 | 日記 ・ 雑記録
今年の松が明けてから 「奥の磯道」 の実現に取り組んでいたが、
どうせ東北まで出かけるのなら、いっそ北海道へ、という欲が出てきて、
この2・3日、心は千々に乱れ、逡巡した。

家人は、北海道へ行くなら10日+予備日3日は必要だろう、と言ってくれるし、
とも~る さんや、らいとはうす さんのお話を総合しても、
この際、行くなら北海道だろう。

で、北海道に決めた。
「試案1」 は次回か次々回の資料に残しておこう。
これからは 「試案2」 を詰めていく。
この線で ケ・ッ・テ・イ!

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北へ、もっと北へ!

2007年01月28日 09時45分25秒 | 日記 ・ 雑記録
部屋のレイアウトや、HPの表紙を頻繁に変更することで、
私の <模様替え好き> は (限られた範囲の中でだが) 周知のこととなった。

模様替えをするには、それまで 在ったものを無にする蛮勇 が必要で、
尺度としては、旧態からいかに変貌を遂げているか、
変化の度合いが大きければ大きいほど模様替えを終えた満足感は大きい、と思う。
そんな、模様替え好きの部類に属する私だから、
ある日あるとき思い立ったら、即座に行動に移す。
思い立ったが最後、前後の見境がない というか、
それまで積み重ねてきたものを屠(ほふ)ることに、何の執着も未練もない。
消して失くしてしまってから、あとの祭り で 「しまったっ!」 は往々にしてある。
そんなことだから、次の模様替えへのサイクルが短くなる。

昨年後半から暖めていたプランがある。
「奥の磯道」 と題する みちのく の灯台めぐりだ。
これまで勝手に振舞ってはきたけど、
10日前後も家を空けるとなれば、家業をゆだねる家人の諒解が前提で、
(私流の) 手順を踏んで準備に取り掛かったのは今年の松が明けてからだ。

秋田、青森、岩手、宮城、東北4県の灯台をリストアップし、
1/ 25000 の地形図はいつでもプリントアウトできる状態にした。
男鹿半島の付け根から牡鹿半島の金華山まで、地形図上で海岸線をなぞる、
地図が好きな人間には楽しい作業だが、骨の折れる作業だった。
航空便、フェリー、連絡船の時刻を調べた。 レンタカーも検討した。
相互リンクしている、とも~る さんや らいとはうす さんにアドバイスをお願いした。

「奥の磯道」 の全体像がほぼ確立した段階になって、悪魔がささやいた。
東北まで出かけるのなら、北へ、もっと北へ!
私の習癖からは、こうなったら、もうダメだ。
「奥の磯道」 は 「試案1」 に格下げされ、「試案2」 が浮上した。
テーマは 「北へ、もっと北へ!(仮題)」 とでもしておこうか。
昨日一日での出来事だ。

「試案3」 はありえない、と思うのだが‥‥。

「試案1 ・ 奥の磯道」 は こちら
「試案2 ・ 北へ、もっと北へ」 は こちら です。

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空乱れ、心乱れ

2007年01月27日 09時18分34秒 | 日記 ・ 雑記録
木曜日に日本を覆った高気圧に代わって、
大陸で発生した低気圧が次々と日本列島を通過していく。
地上の気象は素直に反応して荒天になった。 強風、霙(霙)、雷鳴‥‥。

<鉛色の――> という形容は、空に使うのだったか、海に使うのだったか。
海の色は空の色の反映だから、どちらに使ってもいいのだろうから、
海が見えない葡萄舎では空の色に使おう。
昨日は(今日も?) 断続的な薄陽を除いて鉛色の空に覆われた。
待ち望んだわけではないが、
冬らしくない冬が続けば、冬らしい冬が出現すると気分は収まるところに収まる。
嬉しくはないけど、冬には鉛色がよく似合う。
この鉛色があるから、春の華やいだ色に再会したときの喜びがある。
憎まれ役、敵役は、どこの何の世界にも必要だ。

本州の西の果ての、比較的に冬場がしのぎやすい地方に住んでいるから
ノー天気なことが言えるが、北国 ・ 雪国の冬場の生活は大変だろう。
3ヶ月後には、その みちのく の灯台を訪ねるのだが、
ここに来て、根本的な計画立案に <揺るぎ> が生じた。

「奥の磯道」 は、秋田まで飛んでから、津軽海峡を経て三陸海岸を南下、
金華山を最後に仙台から空路、というのが大筋のプランだ。
みちのく での全行程はレンタカーだ。
ところが、一昨日、灯台巡回号で国東半島を走りながら、
灯台めぐりには、この灯台巡回号がいい、とつくづく思った。
そりゃぁ、車に詰め込んだ全ての機能が灯台めぐりのためにあるのだから、
灯台めぐりを続ける上で、こんなに快適で利便に富んだ車はない。

往復4日を費やして灯台巡回号を みちのく まで運ぶのは非現実的だ。
ならば、大坂までの往復をフェリーにして、南紀、伊勢湾、本州横断、能登、若狭湾、
というコースはどうだ。

だったら、だったら、いっそのこと北海道に飛ぶかァ。
千歳空港を基点に、チキウ岬、渡島半島一周、積丹半島、留萌、宗谷海峡、
知床、納沙布岬、襟裳岬、千歳で10日間。
北海道を残して、みちのく から攻めるのは中途半端だし、
九州は東西南北の端まで行ったから、北海道の東西南北も悪くない。。
北海道に行けば、親友・カバさんの墓参りも出来る。

出発まで3ヶ月あるから、今の段階では心が千々に乱れるのもよかろう。

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24歳

2007年01月26日 11時43分54秒 | 日記 ・ 雑記録
きょうは、可愛くて可愛くて仕方がない息子の誕生日だ。
私と同じ亥年生まれの24歳。
「花も実もある」 なのか 「花も嵐も」 なのか、
どんな形容をしても 「花」 が付いて回る、いい歳のはずなのに、トンとその気配がない。
「知らぬは親ばかり」 というから、適当にやっているのだろうが‥‥。

24才の頃、私は何を考え、何をしていたっけ。
それなりに、懸命に生きていたつもりだが <懸命> という言葉は適当ではない。
とても <命がけ> といえる程のものではなかった。
だから、24才にリセットできるなら、との思いが歳とともに湧くのだろう。
20年経ち30年経ってから、
あの頃に戻りたいと願って億の金を積んでも戻れない、かけがえのない時期だから
安易に流されるな、惰性で日々を送るな、と言いたくっても、
渦中の本人はそれに気付かず、あとの祭りでホゾを噛むのが世の常だ。

ちょうど週末。 帰って来るかと思いきや 「帰らない」 と言う。
今夜は仕事の付き合いで、明日はマル秘の予定がある、らしい。
私はノー天気に、ホゥ、やるじゃん、と思うに留まるが、
即座に <マル秘> に反応した家人は、
己が事情が気になるのか、もう少しスリムになってあのスーツを、などと‥‥。
日頃から息子に 「あわてるんじゃないよ」 と言っていたのはどこの誰だっけ。


  昨日の灯台訪問記を 「風の旅日記」 に載せています。 こちら です。


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南南東に針路をとれ

2007年01月25日 21時51分09秒 | 日記 ・ 雑記録
この一週間では今日の天候が一番いい、との予報を信じて、
南南東に針路をとった。
北北西に針路をとらなかったのは、下関の場合、そこは海だから。

宇佐八幡宮はお稲荷さんと違って商売繁盛の神様ではないらしいが、
我が家業にとっては霊験あらたかな神様なので、商売繁盛を祈願した。
1年前、姫島灯台を訪ねた帰りに立ち寄り、縁起物の熊手をいただいたら
それまで低迷していた家業が持ち直した。
今また家業が低迷して、夢よもう一度、二匹目のドジョウにあやかる魂胆なのだ。
古い熊手を古神札納所に収めて、新しく熊手をいただいた。
7時間後に帰宅したら、息弾ませて家人が 「もう、効き目があった」 と言う。
ことほど左様に、我が家業にとってはありがたい神様なのだ。

宇佐八幡宮を辞して、別府湾に臨む 日出(ひじ) に向かった。
日出は、伯父が日出駅の駅長をしていた町だが、それは私が生まれる頃の話だ。
今は、大分麦焼酎 ・ 二階堂の醸造所がある。
毎年、セピアカラーが似合うCMを流していて、
白州灯台をモチーフにしたときはHPに転載することを許可してくれた。
もともと、二階堂は愛飲する焼酎だったのだが、以来いよいよ好きになった。
今日のお目当ては、私設の二階堂美術館。
伊東深水、川合玉堂、横山大観くらいしか私は知らないが、
美人画、雪月花、風景の掛け軸が展示してある。 100幅は下るまい。
圧巻だ。
私は素人で鑑定眼など持ち合わせていないが、
TVの <お宝鑑定団> で恥をかく <主観的願望のお宝> とは、やはり違う、と思う。

城下町・杵築(きつき) を通過していたら、天守閣が聳え立っている。
私は城址は好きだが、復元天守閣は好みじゃないのでそのまま通過しようと思ったが、
なにか、私を引き寄せるものがある。 で、長い石段を登った。
すると、天守閣に程近い場所に、顕彰碑がひっそりと建っている。
見れば、私にかかわりのある学校の創立者の顕彰碑だ。
あの方(々)は杵築藩の藩士だったのか! これが私を呼んだのだ!
敬礼をして、城山を降りた。

この後、臼石鼻灯台を訪ねるが、稿を改めて 「風の旅日記」 へ。
   こちら です。

いい一日だった。 灯台訪問 (琵琶埼灯台到達失敗) では悔いが残ったが‥‥。

雑記

2007年01月24日 23時42分38秒 | 日記 ・ 雑記録
マップルの東北道路地図を購入。
目的地間の、都市間の距離を測り始めた。
いよいよ本腰を入れて 「奥の磯道」 出発に向けて動き始めた。
レンタカーにもナビがついているが、それは旅行が始まってからで、
やはり地図を見ながらでなければ頭の中で全体像がイメージできない。
子供のときに初めて地図を見て、それ以来、地図と地理の虜になったのだから、
手作り旅行に際しては、完璧なイメージを確立して出発しよう。

明日は国東半島に出かける。
名目は宇佐八幡宮への参拝だが、敵は本能寺で、臼石鼻灯台訪問が眼目だ。
国東半島をグルッと回って、もう2基の灯台を訪ねてこようか。
空白地帯の国東半島が埋まれば、あとは天草周辺を残して、九州本土は卒業。

横綱級の 水の子島灯台 を残しているが。

電子辞書

2007年01月23日 15時03分10秒 | 日記 ・ 雑記録
私が家人と同じTVを観る時間はほとんどない。
ところが最近、家業が低迷しているものだから、珍しく待ち時間に同じTVを観た。
通販の ジャパネットたかた が甲高い声で商品を宣伝していた。
声の主は例の社長ではなくて女の子(?)だったが、
社長が甲高い声だと社員も右へ倣えをするところがなんとも滑稽で愉快だ。

宣伝していたのは <電子辞書> だ。
どんな仕組みになっているのか知らないし、知ろうとも思わないが、
あの小さな機器に100冊もの辞書類が詰め込まれているという。
私の場合、広辞苑と漢字、英和・和英、それに旅行会話が入っていれば事足りるが、
売り出し中の電子辞書たるやありとあらゆるものがてんこ盛りだ。
宣伝が上手いのか、私のニーズと合致したのか、途端に欲しくなった。

TVを一緒に観ていたのが運の尽きで 「買ってくれ」 と家人に頼むと、
「最近、売り上げがないのはご存知でしょ」 と言わんばかりだ。
でも、そこは心優しい家人だから、結婚記念日と誕生祝いと還暦祝いと、
とにかく向こう1年間の、私の通過儀礼の全てのお祝いとして買ってくれる、と言う。
私にすれば非常に不利な交換条件だが、
私に始まっている呆けが、もしかしたら家人にも始まるのでは、
などとあらぬことを考えて、不利な交換条件を飲んだ。
実際には、家人に呆けが始まったら私はお手上げなのに。

現物を手にしたが、やはり辞書100冊分の威力は凄い。
単純に考えたら、本棚の本を100冊処分してもいいはずの代物だ。
しかし、世の中が便利になるのに文句は言わないが、
分厚い辞書や辞典を紐解いて、自分で探して自分で調べた事柄や知識の方に
安心感を覚えるのは、私が古い世代の人間だから、か。
とか言いながら、今後電子辞書を多用するのは目に見えているのだが‥‥。


暇に任せて 「奥の磯道」 の旅程を考えた。 まだ <たたき台> の段階だが。
    「風の旅日記」 に載せています。 こちら です。


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三文の徳

2007年01月22日 09時09分02秒 | 日記 ・ 雑記録
「早起きは三文の徳」 とはよく言ったもので、
早起き=早く事を起こす、と置き換えてもいいかもしれない。
私の起床時間は1年365日、毎朝6時だから、
一年中イイコトがなければならないはずだが、そうならないところがミソだ。

昨日の朝は過密スケジュールだった。
朝6時から8時までは家業。
それから、順番は忘れたが食事、歯磨き(歯周病対策で長時間!)、トイレ。
8時45分、部埼灯台に向けて出発。 9時15分灯台着。

最前列に並んで、10時からの一般公開では1番に入場しようと企んでいたら、
灯台到着と同時に、すぐ入場を促された。
11時からの町内会新年会に間に合わせるには、
10時15分には灯台を辞して、30分で長府に帰る予定だったから
この45分間の有効活用は大きい。 以後の展開が全く楽になる。
これが、三文の徳、だ。

30分間、見学と雑談。 海保の方の裏話は、まさかまさかの意外な話だったし、
老灯台ファン I 氏に出会って強烈なインパクトを受けた。
75歳にしてあのパワー! 世の中、凄い人がいるもんだ。
外見からは、その凄さが感じられないから、また凄い。
私には意義深い30分だった。

   部埼灯台訪問記は こちら です。

初めて参加した町内会の新年会。
還暦を迎えた初老の男が言うのも、目くそ鼻くそを笑う、の類だが、
まァ、老人会の集まりに参加したみたい。 想像はしていたけど。
ご老人の集まりだから、私の前に有り余るビールが集まるのは喜ぶべきか。
カラオケの順番が回ってきたが、マイクが劣悪で、本領が発揮できない!
近くのスナックで気持ちよく歌えるのは、やはり機器の違いだろう。
スナックで飲んで歌えば高くつくが、金はただ取らない、ということか。

昼間の飲酒で、午後は沈殿。

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呆けた

2007年01月21日 08時17分18秒 | 日記 ・ 雑記録
最近、呆け始めているから、信じられないことではないのだろうが、
信じたくないことが、昨日、起こった。
「騎士の会」 の1月例会は海外の北九州小倉で行ったのだが、
下関から参加する (私を含めて) 4人に、乗る電車を (私が) 指定した。
みんなで揃って行こう、と。

ワイン会のときはいつもそうだが、風呂に入って体を清め、
服装はこれでいいか、などと家人と話していたら電話が鳴った。
舎弟さんからだ。 やけに騒々しい場所からの電話だ。
「この電車に乗らないのですか?」「ハァ~?」
瞬間、頭の中は真っ白、目の前真っ黒。 1時間、勘違いしている!

この際、着るものは何だっていい。
折りよくタクシーが来た。 門司港駅まで 3000円、痛いけど仕方がない。
門司港駅では電車が待っていた。
会場となるレストランの地図は持っていたが、店名を覚えていなかった。
西小倉のタクシードライバーは、その店を知っていた。
定刻に遅れること7分。 かろうじて間に合った。

我ながら機敏に行動したと思う。
リカバーを舎弟さんから褒められた。
それから、歩道に出て私の到着を待っていた迷人さんにも感謝。

  ワイン会の記録は こちら です。

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家業低迷、私多忙

2007年01月20日 09時20分30秒 | 日記 ・ 雑記録
今日の午後は天気が崩れる、との予報もあったが降水確率は10%。
(自慢にならないが) 長年にわたって排水温度を改ざん報告して悪名を馳せた、
バッドマーク付き中国電力長府発電所の煙突からは煙がまっすぐ伸びて、無風。
吐く息が白いことは白いが、煙草の煙より薄い。 
朝9時に8度で、12度まで上がる予報だから、室内よりも戸外が暖かそうだ。
響灘 (日本海) の波高は1,5m。 冬場としては穏やかだ。
これが、今年の <大寒> の朝だ。

   大寒の記事は 「季節のつぶやき」 に載せています。 こちら です。

家業は低迷で暇をもてあましているが、遊ぶには好都合だ。

今日は北九州小倉で <騎士の会1月例会> が催される。
下関からは、いい歳こいたオジサンが4人、徒党を組んで海を渡る。
それぞれに立場のある方々ばかりだが、
ことワイン、となると無邪気なもので他愛もない。 まるで園児の遠足だ。
今月のテーマは 「猪突猛進」。
皆さん、選んだワインをテーマに合致させるために、こじつけが大変だろう。

明日は北九州門司の部埼(へさき)灯台が一般公開される。
下関の六連島灯台が明治4年初点、部埼灯台が明治5年初点
関門海峡航路の西と東の玄関口を、灯台史に残る明治初期の灯台が現役で見守っている。
部埼灯台は九州では最古参の灯台だ。
一般公開は10時からだが、私は9時半には到着して10時過ぎには辞したい。

11時からは町内会の新年会。
長府に住んで30年。
地域とはかかわりを持たずに生きてきたが、多少のお付き合いは必要だろう。
自治会長さん宅は葡萄舎の隣家で、副会長さんは母屋の隣のマンション。
しかも、副会長さんは海保OBで、私の灯台めぐりのお師匠さん、ときている。
ここまでカラミがあれば、無視し続けることは出来ない。
カラオケを歌えば景品がある、ということだし。
私のカラオケを聴いたことがない母が同席するが、聴けば驚くだろうナ。
なんたって、私は上手いから。 (冗談です)

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88888888

2007年01月19日 11時43分01秒 | 日記 ・ 雑記録
昨日は、角島灯台の定期巡回に出かけた。
毎月一回の頻度だから、もう10回以上訪ねたことになる。
それだけ、いつ行っても何回見ても飽きない、いい灯台なのだろう。
昨日の角島は冬場としては弱い風だったが、
灯台の斜面一面の水仙が風にふるえて、それは見事だった。

   訪問記は 「風の旅日記」 へ。 こちら です。

帰りがけ、国道2号に入る交差点で信号ストップした。
見るともなく右折車線の車を見たら、白いワーゲンのナンバーが 8888。
・・・1 をつけている自分のことは棚に上げて、なんと物好きな!
目くそ鼻くそを笑う、だ。
で、次に私の前で停まっているトラックを見たら、
ナ、ナ、なんと、これまた 8888!

私の前に並んで停まっている2台のナンバーが 88888888!
どういう計算をすればいいのか分からないが、
この種の偶然は、確率としてはありうる。
宝くじの3等に当たるくらいの確率、かな。
いずれにしても私にとって <空前> は確かで、おそらく <絶後> だろう。
何か、いいことがあればいいが。

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あぁ シルクロード

2007年01月18日 10時15分38秒 | 日記 ・ 雑記録
西遊旅行社が催行する <シルクロード大走破54日間の旅> に参加したのは、
05年の夏から秋だったから、あれからもう1年半になる。

   旅行記 ・ シルクロード大走破 風の旅 「西方見聞録」 は こちら です。

一世一代の大旅行。
西安から敦煌に飛んでからはバスでイスタンブールまで、ひたすら西を目指した。
数え切れない想い出が残っているが、以後、長期の旅行に参加する気持ちが萎えたのは、
参加メンバーに紛れ込んでいた一人の <馬鹿野郎> に引っ掻き回されたからだ。

   <馬鹿野郎> については個人攻撃になりますが、記事は こちら です。

常識も理性もあるはずの私が、この <怒りのページ> をいまだ削除していないのは、
あの馬鹿野郎が余程腹に据えかねているのだろう。

それはそれとして、
東西の交易路として、シルクロードと名づけられた道は
西域にも、中央アジアにも、西アジアにも一本も存在しない。
直線にすれば東西1万キロ超の域内で、東西に、南北に、無数に張り巡らされた
交易路の総称がシルクロードだ。
東西を結ぶ海路の <海のシルクロード> もある。
だから 「シルクロードを旅してきた」 といっても、
無数にある東西の (南北の) 歴史的な交易路の一筋をたどってきた、に過ぎない。

西遊旅行社の旅程は、最も一般的な、旅行者受けするコースを選んでいた。
ただ、中国西域を通過するのが夏季だったから、タリム盆地を避けた。
敦煌から先は天山北路を西進した。
タクラマカン砂漠の北と南をたどる天山南路と西域南道を避けるコースだ。
私の心残りは、
西安から敦煌まで飛行機だったから、その間の河西回廊が未踏で残っていること。
天山北路は、それはそれでよかったけれど、
NHKの取材班が好んで取り上げる、タクラマカン砂漠の北と、南と、西。
この空白地帯を埋めなければ (取り敢えずの) 私のシルクロードは終わらない。

年に数回、西遊旅行社から冊子が届くが、今年の <シルクロード大走破> を見て驚いた。
日数が57日間に延びて、出発も夏を避けて、
敦煌から天山南路を庫車(クチャ)に行き、タクラマカン砂漠を縦断(砂漠公路)し、
民豊(ニヤ)から和田(ホータン)を経て、カシュガルに3連泊というではないか!
飛びつくのが2年早すぎた! 嗚呼!

しかし、行けども行けども左には天山山脈、右には地平線の彼方まで漠野と青空。
得がたい景色を眺めてきたから、まぁ いいか。
河西回廊とタクラマカン砂漠は、また、いつか行くサ。

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寒中見舞い

2007年01月17日 18時16分52秒 | 日記 ・ 雑記録
1月6日が小寒で20日が大寒だから、暦の上では今が寒さの真っ盛り。
寒中見舞いを出すなら今だが、そんな時代もあったっけ、というのが実際だ。
私の記憶では、寒中見舞いを書いて出した覚えはない。
当世の使われ方としては、
喪中で年始の挨拶を欠礼し、寒中見舞いを兼ねて返礼する、という程度だろう。
生活から浮いて離れて、いつしか死語になるのだろう。

似た運命は暑中見舞い (残暑見舞い) にもある。
とんでもない時期に立秋があるものだから、
これから夏本番というときに <残暑> と書かなければならない不自然さ。
私が暑中見舞いを書かなくなって、もう40年近くなる。
底流には、文字離れ、手紙離れもあろうが。

今となっては手遅れだが、
太陽暦を採用した段階で、旧暦との差を調整する動きはなかったのだろうか。
古来の日本の文化は旧暦をベースにしており、
太陽暦と整合させようとすれば、一年間の戸惑いですんだのに。

姉妹ブログの 「季節のつぶやき」 は二十四節気を追いかけて書いているが、
丸一年 (今年の7月) を過ぎたら二十四節気の呪縛から放たれて(?)、
実際の季節の移ろいに即した葡萄舎歳時記になることだろう。

それにつけても、寒中見舞いが恥ずかしくなるような今冬の暖かさよ。

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