葡萄舎だより

海峡の街・下関の、葡萄舎の住人・洒人 (しゃじん) が身の周りの些事片々を書き綴ります。
本人は日記のつもりです。

今回のHP表紙は K氏に捧ぐ

2006年01月31日 23時48分20秒 | 日記 ・ 雑記録
昨夜のエキストラワイン会で痛飲し、今朝は辛かったが、朝の仕事をこなして
あとはHPの表紙作りに没頭。
今回は少し気合が入っている。 気合が入りすぎてカラ回りのきらいもあるが。

それというのも昨日の1件が強烈なインパクトを伴っていたから。
昼過ぎに玄関のチャイムが鳴った。
ドアを開けると、隣のマンションの 海保OB ・ K氏だ。
数日前、近所のスナックでご一緒し、「灯台に興味を持った」 と話したら、
「力になってやる」 と仰った K氏だ。

酒の席でのやり取りだから、(正直) 多くは期待していなかったのだが、
紙袋を差し出しながら、開口一番、「本を持ってきたぞ」
見れば、本が5冊! その中には、
欲しくてたまらないのだが、紀伊国屋にも在庫はゼロで、あきらめかけていた、
灯台ファン垂涎の 『日本の灯台』 があるじゃないか!
売価2万円の本だ。
『燈台風土記』 『岬と燈台』 他に非売品の本が2冊。
しかも、「これ、みんな、あげる」 ウッソーッ! 本当?

酒を飲んで饒舌になり、空手形を発行する輩は多いけど、
あのオジさん、ちゃんと覚えていて、アクションを起こしてくださった!
私も酔っていたけど、あのオジさんを行動に駆り立てるほど、
灯台への思いを熱っぽく語ったのだろうか?
あのオジさん、「あげる」 と仰ったけど、一応、「お預かりします」 とお礼を述べた。
それが昼間の出来事だから、気分はハイで、ワイン会の酔いも早かった。

驚いたのは今日になってからだ。 いただいた (お預かりした) 本を見ていたら、
K氏が勤務していた某所の歴代職員名簿が載っていた。
名簿で K氏の名前を探したが見つからない。
もしや、と思って一番上の欄を見たら、あった! その部署で一番偉い方だった!
海保OBの気さくなオジさん、と思っていたら大間違い。
「力になってやる」 というお言葉は、俄然、凄みを帯びてくる。
K氏のバックアップとなれば、生半可な気持ちで灯台めぐりなどできないじゃないか!

とりあえず、灯台めぐりにかける意気込みを、HPの表紙で示そうと思った次第。
今回の表紙は、K氏に捧げる。

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HP表紙換えのサイクル

2006年01月30日 10時48分32秒 | 日記 ・ 雑記録
物事には、旧 → 新 へのサイクルがある。
機械の部品のように、磨耗や疲労から定期的に交換を要するサイクルもあれば、
3年車検が下地にあって、購買層をにらんだ自動車のモデルチェンジもある。
社会のルールを守れば、あとは勝手気ままなHPには、決まった更新のサイクルはない。

年間に10回とも、それ以上とも、
自分でも数え切れないほどHPの表紙を模様替えしてきたが、
もう既に次の表紙が出来上がった。
あまりにもコロコロ変えるので、私の耳に届く限りでは、模様替えの評判は芳しくない。
最初の画面に表示される部分の記載事項は形を変えても不変なのだが、
ご来訪の方は戸惑いを感じられるようだ。
そんなことを聞かされると、作業の手が鈍ってしまうのだが、
HPを公開するということや、HPそれ自体が、
自己表現、自己顕示、自己満足の所産だろうから、
(きわめて少数の応援してくださっている) ファンのことなど二の次で、
自分が思うがままに、模様替えでも何でもすればいいのだ、と開き直る横着さ!

HPの模様替え、部屋の家具の配置換えは私の趣味で日常茶飯だから、
タイミングもヘッタクレもない。 出来上がったら、思い立ったら、即刷新。
試案を温めて熟成させるとか、
新作モデルを抱え込んで発表の時期をウズウズして待つ、なんて私には絶対できない。
3タイプある国民性(民族性?)から言えば、私は紛れもなく
「走ってから考える」 だろう。
だから、いつも、表紙をフルモデルチェンジして公開した後で、
訂正箇所や修正箇所がゴロゴロ出てくる。
部分的な手直しでは済まずに、モデルチェンジに近いマイナーチェンジもある。
それらを重ねて、ほぼ完全版が出来上がったときには
次のフルモデルチェンジが待っている、といったサイクルだ。
自動車メーカーはそのサイクルが3年だろうが、私の場合、それが1ヶ月、ということだ。

そんな私に、そんなHPにお付き合いくださる方は、本当に奇特な方、だ。
ありがたいことだ。

HPを開設・公開して3年半。
いまだに、ただの一人も、「次の表紙は、いつ?」 とか、
「次の表紙は、どんなん?」 という声がかからない。
長年連れ添った家人さえ、呆れ果てて見放したビョーキだから仕方ない、か。

何のつながりもないが、2月4日は私の記念日。
「立春バージョン」 への模様替えを企んでいる今日この頃。

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ご覧いただく表紙も、残り数日の命です(笑)
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01/29 雑記

2006年01月29日 23時42分55秒 | 日記 ・ 雑記録
お向かいさん宅跡が整地され、西日を遮ってもらうためにも新築を待っているのに、
開口部がブロック塀でふさがれてしまった。
隣接する長府毛利藩家老宅跡と合わせると、長府でも有数の遊休地の出現だ。
マンションでも建とうものなら、
西日を遮るどころか、観天望気の目安だった四王司山まで見えなくなってしまう!
理想は、こぎれいな個人住宅の10軒も建つことだ。
そこの住人がワイン好きなら言うことはないが‥‥。

家人がなかなか手放さなかった風邪が、どうやら私に移ったみたいで、
咳、頭痛が‥‥。
歯周病も活発化してきたし、通風の親戚みたいな痛みも若干‥‥。満身創痍だ。
今日は、もう寝よう。
明日のワイン会は医師の方ばかりだから、不摂生が露見しないようにしなければ。

「灯台めぐり」 の お師匠さん

2006年01月28日 21時58分17秒 | 日記 ・ 雑記録
お向かいさんの解体工事が完了し、更地になった。
遠く離れて暮らす息子さんたちも、育った家がなくなるのは一抹の寂しさがあろう。
柘榴(ざくろ)などの庭の木も伐採されて、今年の夏は蝉時雨も聞けまい。
それよりも、建物がなくなって、夏は西陽がモロに当たることになる!

お向かいさんの家に関しては、住む人がいないのであれば、取り壊すのがベスト、だ。
私のその思いは、隣家の方も同じだろう。
事情が事情だったから、家を、玄関の扉を見るのがイヤだった。
見れば、思い出したくない光景が浮かんできたから‥‥。
更地を見慣れたら、そして新しく家が建ったら、ふっ切れる、カナ?
葡萄舎の玄関先は私の喫煙コーナーだけど、何かの弾みで思い出したら合掌しよう。


24日に角島灯台、25日に北浦(山口県の北海岸) の3灯台めぐりをした。
ここに来て、にわかに灯台ファンになってしまって、寝ても覚めても 「灯台」 だ。
近くのマンションに海上保安庁のOBの方がお住まいだ。
灯台を管理しているのは海保で、
灯台に関心を持ち始めてから、そのOBの方(K氏) とお会いしたいと思っていた。
一昨日、スナック(近所には1軒しかない) に行ったら、K氏が一人で飲んでいた。
偶然というよりも、(海だから) 青い糸で結ばれているのを感じた次第だが、
縷々お話をすると、とても喜んでくださって、「力になる」 との頼もしいご返事。
お聞きすれば、現役時代は灯台一筋、それも管理職の方だったとは!

これから私が 「灯台めぐり」 を続けていく上で、
ためになる、参考になる、表の話や裏の話をたくさんお話くださったのはいうまでもない。
ワインの世界に入ったときもそうだった。
何か新しい世界に分け入ろうとすると、必ず、その道の先達が現れ、お師匠さんになる。
いまの私の頭の中は、70%は灯台のことだ。
K氏の弟子になろう、と思っている。 私は果報者だ。

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虎ケ埼灯台 (萩市笠山)

2006年01月27日 09時26分56秒 | 燈台めぐりノート
下関から2時間の須佐まで出かけて、最低3つの灯台めぐりはしなくっちゃ、
そう思っていたのだが、高山岬と大平瀬で思いのほか手間取った。
下関へ直帰することも考えたが、萩市笠山の虎ケ埼なら少し寄り道すればいい、
そう思い直したのが間違いの始まり。 ドジを踏んだ。

子供の頃、笠山は世界で一番小さい火山だ、と教わった。
展望台からは、日本海にお盆を伏せたように並ぶ6つの島が俯瞰できる。
麓には海の魚が泳ぐ明神池や、夏も涼しい風穴などもあって、観光ポイントだ。
4年生のとき、修学旅行はここだった。
職を失った頃、笠山の中腹に関西の商社がホテルを建てると聞き、
その話に希望をかけた時期もあった。
好きだった毛利36万石の城下町 ・ 萩。 私の人生では結局、縁がなかった。

笠山の先端、虎ケ埼は、椿の原生園やコウライタチバナの自生地もあって、
比較的最近整備されたエリアだ。
車道の終点には駐車場と売店(食堂)がある。
そこに案内板があって、現在地の表示から少し東に灯台が描かれている。
歩いて5分と判断した。 ところが、行けども行けども灯台は現れない。
10分ほど歩いて引き返した。
すれ違った人に尋ねたら、「売店の後ろにあるよ」 ガァ~ン!
帰途を急いでいるときに、この20分の無駄は大きい。

売店の後ろ、松林越しに白い灯台が見える。
高波が来たら飲み込まれそうな、岬のそのまた岬に灯台は建っている。
小さいながらも貫禄のある灯台だ。
6つの島に囲まれて、ロケーションは抜群。 松の木を配して風情もある。
波打ち際にひっそりと立つ灯台の典型、かな。

北緯 34°27' 25", 東経 131°24' 00"
白色 塔形 コンクリート造
単閃白光 毎4秒に1閃光
5,800カンデラ
光達距離 12海里
地上~頂部:9.9m、水面~灯火:14m
初点灯 昭和34年9月

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大平瀬灯台 (阿武町奈古)

2006年01月26日 12時01分17秒 | 燈台めぐりノート
須佐と萩の中間にあるのが阿武町(奈古)だ。
周囲のぐるりが萩市と合併したけど、この町は合併を拒んだ。
経緯は知らないけど、反骨の士が多いのだろう。 行けるところまでわが道を行けばいい。

高山岬灯台にたどり着くのに難渋したから、今度は対策を練った。
交番で聞けばいい。 ところが田舎のノンビリ交番は、人が行かない道は知らない。
「町道なら、役場で聞いたら?」 ‥‥で、役場へ。
役場の職員には、物知り、訳知りが多いのはさすがだ。
教えられたとおりにトンネルを2つ潜り、栽培漁業センターを右折、溜め池に。
車幅ぎりぎりの道は山中に続いていたが、突然道が途絶えた。
しかも、分岐している。 ハタと迷う。
こういう窮地で、身に備わり始めた 「勘」 が力を発揮し始める。 潮騒の方向へ。
落ち葉が降り積もった道なき道を上り詰めると、コンクリートが見えた。
灯台への階段の始まりだ。
幅 50cm あるかないかの階段は急で、延々と続く。 あえぎ始める。
平坦地が見えて、もういいだろう、と思ったらまた階段。
やっと、雑木林の向こうに塔頂が見えた!

鉛筆を立てたような灯塔の周囲には、フェンスがない。
灯台の基部は5秒もあれば1週できる。
眺望はゼロだから、ぐるぐる回るしか、することがない。
周囲 270度からの潮騒で、ここが岬の突端だと理解する。

バイブル「日本の灯台」 に大平瀬灯台の名前は挙がっているが、データがない。
灯台を管理している 仙崎海上保安部 に電話して要項を FAX していただいた。
担当の方は親切で、こんど、保安部に顔を出したら資料がいただける、とか。
長門市は、2ヶ月に1度、飲みに行く郷里だから、次は顔を出そう。

34°31′27″N  131°27′25″E
白色 塔型(コンクリート造)
等明暗白光 明3秒暗3秒
8500カンデラ
光達距離 20,5海里
灯塔 9,5m
水面から灯火まで141m
初点 昭和51年2月

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高山岬灯台 (萩市須佐)

2006年01月26日 10時17分33秒 | 燈台めぐりノート
かつての阿武郡須佐町は萩市須佐町と名前を変えたが、
島根県境に程近く、(住民の方には申し訳ないが) 山口県内でカムチャッカのような位置関係は変わらない。

灯台ファンにとってはバイブル的存在の 「日本の灯台」 で、山口県の項を見れば、
高山岬の突端にある、山口県最北端の灯台、とうかがい知れる。
黒と白の縞模様の断崖 ・ ホルンフェルスが、須佐町で唯一(断言してゴメン)の観光資源で、
その道をたどるのだが、そこまで行ってはいけない。
分岐点の標識で 「沖浦」 を選ぶ。 立看板には 、4km先で通行止め、などと不安にさせる表示もある。
山口県の道路だから、舗装はしてある。 離合できない部分がある。
前方に灯台が見えて、後方に灯台が見えたら行き過ぎだ。 灯台入口の表示はない。
灯台近くまで車幅いっぱいのぬかるんだ道が続くが、離合場所は1ヶ所しかないから、
運転技術は要しないが、「運」 が必要だ。 当然4駆、だ。 JAFは来ない、だろう。
私は車を置いて、往復20分を歩いた。

本州北西岸 北緯 34°39' 55", 東経 131°36' 46"
白色 塔形 コンクリート造
単閃白光 毎15秒に1閃光
33,000カンデラ
光達距離 24海里
地上~頂部:11.5m、水面~灯火:93m
初点灯 昭和26年4月
平成2年3月 改築

フェンスで灯台に触ることはできない。 灯塔の基部からの眺望は良くない。
今後、どれだけの 「灯台めぐり」 をするのか見当がつかないが、
全国に 3000 あるという灯台のほとんどがこんな状況で、人里はなれて船の航行を守っているのだろう。
それらの中では、小さいながらも立派な灯台なのかもしれない。

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灯台めぐり 始動?

2006年01月25日 23時19分38秒 | 日記 ・ 雑記録
お向かいさんの解体工事で、基礎部分を取り壊すのに重機が入った。
音と振動に付き合うのは辛いから、逃避した。
天気もよさそうだし、「灯台めぐり」 にでも行くか。

昨日訪れた角島灯台は、スマートで秀麗。
灯台50選、歴史的価値のある灯台23、灯塔公開の14、に入っているエリートだ。
ワインで言えばグラン・ヴァン、だ。
でも私は美味しければ安ワインも(が?)好きだから、今日は、
人見るもよし、人見ざるもよし、我は照らすなり、 そんな灯台を訪ねてみよう。

2時間で島根県境に近い萩市須佐(旧阿武郡) に着いた。
須佐から南西に下って、萩市までの3灯台が今日の目標だ。
高山(こうやま)岬灯台。
大平瀬(おおびらせ)灯台。 (阿武町奈古)
虎ケ埼灯台。 (萩市笠山)

高山岬灯台と大平瀬灯台は、たどり着くのに難渋した。
詳しい地図がないから、場所が分からない。
途中まで、車1台が通る道はあっても、対向車が来たら離合ができない。
それがいやだから、車を置いて、ひたすら歩く。 最後は急登だ。
運動不足の肥満体が、ゼイゼイ言ってたどり着けば、雑木に囲まれて眺望はゼロ。
(勿論、灯器がある塔頂からの見晴らしはいいはずだけど)
周囲 270度からは、ただ潮騒が聞こえるだけ。
そそり立った崖上の高台に、ひっそりと建つ孤高の灯台を眺めにきたのだから、
これでいいんじゃない?

灯台訪問記は、近日中に本ブログ 「思いつき 灯台めぐり」 に掲載する。
ある程度まとまれば、HPに1つのコンテンツとしてUP、したいナ。

今日の教訓  人が行かないところを尋ねても交番では埒が明かない。 役場がいい。

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(下関市の) 角島

2006年01月24日 21時04分20秒 | 日記 ・ 雑記録
平成の大合併で下関市と豊浦郡4町が合併し、下関市の市域は一挙に拡大した。
本州の西端、響灘に面する地域が北は角島から南は関門海峡まで
すべて下関市になったのだから、その広さは全国で100位に入るかもしれない。

山口県の道路舗装率は(少し前のデータで)全国第3位だ。
人口は減少に歯止めがかかっていないから、過疎の集落が続く。
ということは、車を運転する身にはとても好都合、ということになる。
そんな山口県の道路状況をもってしても、市街地から角島までは1時間かかる。

かつて角島は、限られた釣り人が訪れるだけの、半農半漁の鄙びた離島だった。
平成12年に角島大橋が開通し、島の風光明媚さが宣伝され、どっと本土の人々が島に渡った。
角島大橋は、海峡(海士ケ瀬戸) の最短部に架かるが、最短距離ではない。
途中の鳩島(無人島)を避けて湾曲するユニークな橋だ。
全長 1,780m もの長い橋なのに料金を取らないから、誰でも気安く渡れる。
開通後は無法なレジャー客との間に軋轢があった、と聞く。
昔は、日本の離島でよく聞くように、鍵をかけずに外出できる島だったのだろう。

角島は岩礁も、砂浜もきれいだが、一番のビューポイントは角島灯台だ。
灯台については次の項に譲る。

灯台の次は、新鮮な魚料理だろう。
灯台下の駐車場のおば(あ)チャンに、「昼飯、どこで食べたらいい?」 と聞いた。
「刺身なら、オオハマ食堂じゃろうネ」 との返事。 灯台から至近距離だ。
壁一面にお品書きが貼ってある。
目いっぱい魚を食べたいから、刺身定食にあら炊きを付けてくれと頼んだら、
刺身定食には魚の煮付けが着いているからといって、どうしてもウンといわない。
言わんとするところは、運ばれた料理を見て納得がいった。
刺身が皿からあふれ出ている。 切り身たるや、口に頬ばったらのどに落ちない。
私の後の客があら炊き定食を注文したので、覗いたら、これまたすごい量。
これなら、私の注文を素直に聞かないはずだ。
味付けはおふくろの味? でも、それでいい。 腹一杯魚を食べに来たのだから。
   お食事処 おおはま 0837-86-5454

角島大橋を渡って帰る前に、島の北東部にある牧崎に立ち寄った。
風の公園と名づけられた、何も無い空間があった。
冬場の日本海にしては穏やかな海だったが、岩礁に砕け散る波の花が壮観だった。
灯台公園といい、風の公園といい、虚飾がないのがいい。

角島は、下関出身の佐々部監督が、
「チルソクの夏」 に続く 「四日間の奇蹟」のロケ地に選んだ島だ。
旧下関市の市民として、角島を 「おらが市の島」 と紹介できるのは誇りだ。

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角島灯台 (下関市豊北町)

2006年01月24日 20時58分06秒 | 燈台めぐりノート
東北の諸港から日本海~瀬戸内海~大阪へと結ぶ、
西回り廻船の航路が拓かれたのは17世紀の後半だ。
船は、角島沖で進路を変えなければならないが、
最短距離で、角島をかすめるように操船すれば、船は勢い島に近づく。
角島沖は、暗礁が群れをなす名だたる海の難所だ。
座礁した船は数知れない。

明治9年、日本海側で初の洋式灯台が角島に建てられたのは当然だろう。
灯台は、明治政府最初の御雇外国人 ・ ブラントンが設計している。
彼が設計した灯台は全国に26あり、いずれも、現代の日本を代表する灯台だ。

北緯 34°20' 57", 東経 130°50' 36"
円形 御影石造
1等 閃白光 毎5秒に1閃光
1,400,000カンデラ
光達距離 18.5海里(約34km)
地上~頂部:29.6m、水面~灯火:44.7m
初点灯 明治9年3月1日
2001年4月29日より、一般公開開始。

平成12年に角島大橋が開通して間がない頃、島を訪れたことがある。
そのとき、灯台の内部を見ることはできなかったが、
平成13年に内部の見学が許可された。 全国で内部を見学できる灯台は12だ。
5年ぶりに訪れて、最上部のテラスまで登った。
御影石の螺旋階段も見事なら、磨きこまれた腰板も立派。
御雇外国人は、細部にまで手抜きや妥協をしなかったと見える。
灯塔は御影石造りのままで塗装をしていないから淡い灰色だが、
安っぽい塗装をしていないのも、角島らしくていい。
日本には灯台が 3000余ある。
そのうち、代表的な灯台でもほとんどは写真でしか観たことがないが、
高さといい、外観といい、均整が取れた角島灯台のスタイルは抜群だと思う。

灯台脇の、旧吏員宿舎は資料館となっていて、
懇切丁寧な説明で、灯台の基礎的な知識は身につく。
建物は山口県で最初の石造洋館だ。 やはり、英国人がすることはすごい。
見学者がいなかったせいで、暇をもてあましていたのか(失礼)、
見学受付のオジサン(海保のOB?) がこれまた親切。
北風が吹き付ける寒い中を、建物から出てきて案内してくれた。

角島のベストシーズンは夏だ。
でも、人込みを観に行くのでなければ、オフシーズンにお行きになったら?。

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清酒の呑みくらべ?

2006年01月23日 22時10分39秒 | 日記 ・ 雑記録
朝起きたら路面が濡れていて、そのうち雪が舞い、快晴になり、気付かぬうちに雨が降り、
結局、日中は穏やかな晴天が続いた。
穏やかとはいえ、3~4℃だから暖房は消せない。

数日前(1月12日)に、朝日が昇る方角に発電所の煙突がある、と書いた。
今朝は窓越しの朝陽が、数秒おきに射しこんだり、途切れたりする。
やたらチカチカする、と思って窓を見やれば、煙突から吐き出される煙の向こうに朝日が。
海岸に1本しかない煙突だから、煙と太陽が重なるのは日食にちかい確率?
長府の帯状の一部分でみられる珍現象だ。


昨晩、頂き物の清酒を飲んだ。
清酒を自分で買うことはなくて、飲むのは頂き物があるときだけだ。
広島は三原の酒で 「酔心」。 正確には、飲み比べた。
飲み比べるのはワインの専売特許だと思っていたが、
この 「酔心」、1箱3本入りで、箱には 「呑みくらべ 酔心」 とある。
3本の内訳は、辛口(吟醸)、純米、本醸造、ときたもんだ。
清酒が日本酒度によって辛口~甘口に分類されるとは聞いていたが、
原料米を何パーセント精米するかで、
純米(70%)、吟醸(60%)、大吟醸(50%以下)、などと区分されるらしい。
他にも、原酒、山廃酒、生酒、etc. etc. なんとも無秩序な表示がある。
こんな紛らわしい表示が野放し状態(に思える)になっているから、
いよいよ日本酒離れが起きるのだ、などと余計な心配をしたくなる。

酒の楽しみ方だから、誰がどうしようと各人各様の楽しみ方は尊重するが、
ワインにはこだわる人が多いから、清酒にもこだわる人がいて不思議はない。
肝心の 「呑みくらべ」 だが、純米と本醸造は違いが分からない。
辛口(吟醸)は、ワインの世界で言えば 「劣化」 だ。 いやな酸が口中に広がった。

ワインが私の嗜好の中心に腰をすえて15年。
私は、ワインの席ではイッチョマエの薀蓄をひけらかすタチの悪いワイン飲みだが、
本当は、そんなことはどうだってイイのだ。
ワインがあって、料理を美味しくいただけて、程よく酔って、楽しい雰囲気に浸れれば、
それが 「私とワイン」 の全て。
産地は重視するが、価格も、等級も、どこかの男の絶対評価も、二の次三の次、だ。
安くて美味けりゃ、イイ。
かつては、日本酒もそうじゃなかったのかナァ?

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ワインの飲み方、これもあり、か。

2006年01月22日 15時59分13秒 | ワイン 些事放言
1947年という、戦後を代表するビッグ・ヴィンテージに生まれ、
団塊の世代の第1走者として走り続けた私達も、来年は還暦を迎える。
いよいよオジサン世代から、おじいさん世代に足を踏み入れることになる。

私がワインの世界に迷い込んだとき、
一世代上の方々がワインを嗜む先達として、ワイン会で采配を振っておられた。
十余年経った今は、喜寿を迎える、古希を迎える、という方々だ。
ワイン会では順を追って料理が運ばれ、順を追ってワインが注がれた。
順番には厳として動かしがたいしきたりがあった。
泡 → 白 → (ロゼ) → 赤 → 甘 というお決まりの 「型」 だ。
そのことに、何の不思議も、不合理も感じなかった。
不思議も、不合理も、入り込む余地がなかった。
それが私(達)のワインの飲み方だったし、今でもそうだ。

葡萄舎騎士の会を構成するメンバーには若い世代もいる。
若い世代には自由で柔軟な発想がある。
「型」 、大げさに言えば権威をものともせずに打ち破るパワーがある。
振り返れば私が大学に進んだ頃、「紛争」 と呼ばれた 「闘争」 を繰り返した。
あの頃の学生には権威を打破するという、明確な意思、意識、意図があったが、
今の若者にあるのは 「規範」 にとらわれない自然体の欲求の発露だろう。

昨夜のワイン会で一番若いS嬢は泡から白に移ると、赤だ、甘だ、と所望し始めた。
おじ(い)さん世代からみれば、驚きを通り越して暴挙だ。
内心 「ワリャァ、なにするんじゃァ!」 そう思いながら料理の皿は、とみれば、
前菜だけど、白よりは赤の方が合いそうな料理じゃないか!
こんなことは毎回のワイン会で経験している。
逆もある。 白を飲みつくしてから、運ばれた料理に 「ここで白があればナァ‥‥」

「型」 を呪縛とは思わないが、いつしか自分で 「型」 を呪縛にしていたのだろう。
私のワイン会では、出席者数よりも1~2本多いワインが集まる。
どうせ、全てを飲みつくして、まだ飲み足りない顔つきをする面々だ。
とんでもない高価なグラン・ヴァンなら話は別だが、
なにも、最初はこれ、次はこれ、次は、と厳かにボトルを回すこともあるまい。
次からは持ち寄ったワインを全てテーブルに並べよう。
運ばれた料理に合わせて、飲みたいワインを自由に飲めばいい。
料理とワインの相性を楽しむって、これが原点のはずだ。

昨夜は、一種のカルチャーショックを味わった。
私のワインの飲み方を続けて、いまの段階で軌道修正を加えるには若干の時間を要した。
若い世代の動態を謙虚に眺めて、また一つ、私の世界が広がった、かナ?
私は古い皮袋だけど、その中に新しい酒を入れてみようじゃないか。

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01/21 葡萄舎騎士の会

2006年01月22日 14時00分20秒 | ワイン会の記録
海外の、北九州小倉で月例会。
ブルーシェル で (恐怖の)ジビエ。
前回、ここの蝦夷鹿に閉口したのだが、今回は食べれた。
食べ物はオーソドックスに尽きる。 ジビエは年に1回の機会があれば十分、だろう。
だから、今年はもう、いい。

Brut Blanc de Blancs NV Jacques Selosse

Edi Simcic Trojka 2003 Goriska Brda Slovenija
Cuvee Frederic Emile Riesling Vendanges Tardives 1989 Trimback
Sancerre La Bourgeoise 2003 Henri Bourgeois

Jean Leon Reserva 1999 Cabernet Sauvignon 
Chateau Tokachi 1989 十勝ワイン
Faugeres Jadis 2001 Domaine Leon Barral
Bourgogune Rouge 2003 Dwevey
Kenwood Zinfandel 2002 Sonoma
Pipers Brock Vineyard 1995 Pinot Noir

Coteaux de Layon 1969 Caves de La Loire

二次会は、古武士屋の阿部さんのワインバーへ。
Ch. Montrose
ところで、VTはいつだった? 私も呆けてしまった。 嗚呼。


述懐。 今日という今日はワインの飲み方にショックを受けた。
これについては項を改める。

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広報担当のチュッチュさんがワイン会の雰囲気をレポートしています。
転載します。

新年初の騎士の会は、小倉のビストロ・ブルーシエルにて開催。
ソムリエのお兄さんが、サーヴしてくれて、
コンラッドさんが、「今年もおおいに飲みましょう」の一声で乾杯!

Brut Blanc de Blancs NV Jacques Selosse、
黄金色の輝きの中、泡もすぅーっと立ち上ってて、喉に潤う。
おいしい~、喉越しに少しキャラメルっぽっい濃くをかんじる。
アミューズのカキのオーブン焼きも手伝って、私はあっという間に
飲み干しちゃいました。。
そして、前菜のブータンノワール、ジビエのパテなどにあわせて
それぞれのワインでマリアージュ。
冬華さんの貴腐、Coteaux de Layon 1969 Caves de La Loire
さらっとした甘みがほどよくて、びっくり。
ZackyさんのKenwood Sonoma Country Zinfandel 2002
ZINFANDEL の甘さが、パテの臭みを消して、食欲わくわく。
続いて、迷人さんのSancerre La Bourgeoise 2003 Henri Bourgeois
やっぱりおちつくぅー。。今日は特に季節がらスラッとした水仙のように
綺麗にすっきりとしていました。
次に一度飲んで虜になった、アロマっち持参のワイン
Cuvee Frederic Emile Riesling Vendanges Tardives 1989 Trimback
フルーティーなのに豊潤。充分な飲みごたえに感嘆。
そして、私めのEdi Simcic Trojka 2003 Gorica Brda Slovenija
ちょっと冷え過ぎで、開くまでに時間が、、ごめんなさい。
思い描いていたより、繊細でミネラリーな感じ。

この日一番お気に入りになったお料理、人参ムース コンソメジュレ・ウニ添え
ウニの甘みと人参がこんなにみごとなハーモニー♪

さぁさぁー、赤ですよ。
サトカレさんのJEAN LEON Reserva 1999 Cabernet Sauvignon
ちょうど飲み頃で、すっごくふくよか!葡萄さんからもOKサインを
もらって、サトカレさんかなりうれしそう(^o^)
ここで、葡萄さんからのChateau Tokachi 1989 十勝ワイン
枯れかかっているところもまた趣があり、時間の流れをかんじられる。

真鯛とホタテムースのパートフィロ包みをパクパク食べてたら、
どんどん、ワインがあいていき、追いつけなくなっていくぅー。
メインのジビエがやってきた~!
鴨のロースト・サルミソースと小鹿のロースト・カシスソース。
さちさんの、Bourgogune Rouge 2003 Dweveyを大き目のグラスで。
やさしい香りがグラスいっぱいにひろがっていく。
舎弟さんのFaugeres Jadis 2001 Domaine Leon Barral
やっぱり素敵!果実味があり、ナチュラリー。
そして、2本めの葡萄さんからのワインは、
Pipers Brook Vineyard 1995 Pellion
ピノらしいピノ!と向こうのほうからお声が、、
それにしても、今回もよく飲みましたぁー。。。
新年早々、たくさんのおいしいワインに出会えて幸せ。

今年もつたないレポートがんばりますぅー。

冬の太陽 ジリジリ?

2006年01月22日 13時29分02秒 | 日記 ・ 雑記録
大寒が過ぎたばかりで、立春は先の話だから、
まだ、 ♪春は名のみの風の寒さよ‥‥ などとは言えない。

昨夜は海外の小倉でワイン会だった。
最終の電車に間に合って、帰り着いたときは日付が変わる直前。 それでも、
6時には起きて朝の仕事を終えたが、さすがに二日酔いで、また寝床に潜りこんだ。
10時半、部屋の明るさに眼が覚めた。 天窓からの陽光はいつもと違う冬の空だ。
雲の動きは早い。 発電所の煙突からの煙は横にたなびいている。
風は相当に強そうだ。 しかし、暖かい。
風を避けて陽だまりに立つと、大げさな表現をすると太陽がジリジリという感じなのだ。
もっとも、
長らく闌(すが)れた冬の陽ざしが続いたから感じるジリジリ、なのだろうが。

この陽光を、雪国に、北国に‥‥などの想いはあっても、安っぽい同情をしてはいけまい。
土地土地には通年のサイクルがあり、リズムがある。
好むと好まざるとにかかわらず、祖先が住み着いた土地に生まれれば、
その土地で生きて、耐えて、励んで、果てるしかない。

冬の気まぐれな陽光に恵まれた土地の私は、その恩恵をありがたく享受しよう。
今日のお天気に似合うのは洗濯物だ。 そうだ、洗濯をしよう。
なんとも安直な日々!

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崎陽軒のシウマイ

2006年01月21日 13時26分01秒 | 日記 ・ 雑記録
どこの誰からいただいたのかを聞きもしなかったが、
崎陽軒(横浜) のシウマイが2箱転がっていた。 (昨年の話)
「冷蔵庫にも入れないで!」 と叱りつけてみたいけど、それもできずに、
箱の裏に記載された賞味期限を見たら、やたら長い。 しかも常温でいい、と書いてある。

私には変な習癖があって、それは褒められたものではないが、
賞味期限が書いてあると、期限ぎりぎりまで食べようとしないのだ。
で、期限が迫ったから封をあけ、チンをした。
食べたのは20年ぶりだろうか。 特有の風味は、記憶の隅に残っていた。
保存形態は変わっても、伝統の味を守り続けているのだろう。
ちっぽけな大きさまで昔のままだ。 と、思う。

私の家族は関東と縁が深かったから、東京や横浜の土産はご幼少の頃からなじみがある。
最多は 「雷おこし」 で、「崎陽軒のシウマイ」 は2番目だったろうか。
きっと、東京駅で土産を買い忘れ、横浜で思い出して買ったのだろう。
シウマイを食べながら親父や兄貴を思い出した。

名物に美味いものはあって、私の場合、伊勢の赤福もち、富山の鱒寿し、‥‥。
根拠のあるデータかどうか、TVのバラエティで、
人気の1位は北海道の 「白い恋人(チョコレート)」と言っていた。
番組では、3位に博多の 「辛子めんたい」。
その 「辛子めんたい」 の元祖は下関、なのだ。
下関が先駆的な役割を果たす場合は多いが、いつも、取って代わられる。

今日のワイン会は海外の北九州小倉だ。
焼失した下関駅から電車に乗る。 あの、馬鹿野郎!

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