葡萄舎だより

海峡の街・下関の、葡萄舎の住人・洒人 (しゃじん) が身の周りの些事片々を書き綴ります。
本人は日記のつもりです。

無常

2006年02月28日 08時41分07秒 | 日記 ・ 雑記録
昨日、勇んで、威勢良く
「サァ、これから 行くぜェィ!」 と出かけたワイン会。
乾杯に先立って、「黙祷」 となった。 エェッ !?
長く療養していたメンバーのお一人が亡くなり、昨日が告別式だった、という。
部外者の私だけが知らされてなくって、知らなかった。
これまでのワイン会、和気あいあいと楽しく飲んできたが、
その会における私の立場を如実に思い知らされた。

こういう試合展開になったら今日は酔わないゾ、と思っていたら、酔った。
でも、おかしな酔い方だった。
何故だか、分からん。
近くのスナックで、やたら大音声を張り上げて数曲歌って、寝た。

その方とは1ヶ月前のワイン会でお会いした。
以前と同じ人とは思えぬほど痩せさらばえて、やつれておられた。
ワイン会へは、相当無理をして出席なさったみたいだ。
ワインが、ワイン会がお好きだったのだろう。
皆さんそうだけど、その方も私に目をかけてくださる方だった。

合掌

いつか、ご焼香に伺おう。

雑記

2006年02月27日 18時14分58秒 | 日記 ・ 雑記録
大好きな手直しは残っているけど、「燈台賛歌」 の第一段階完了。
早い話が、手持ちのネタを全てHP上に吐き出した、という事。

家人から頼まれていた家業の名刺も印刷した。
散らかっていた、葡萄舎の厨房も片付けた。

夜はエキストラワイン会。 フランス料理が待っている♪
風呂にも入って、体を清めた。
サァ、これから 行くぜェィ!

「燈台賛歌」 途中経過

2006年02月26日 22時33分31秒 | 日記 ・ 雑記録
年末に室戸岬(高知県)に行き、年が明けて姫島(大分県)に行き、角島に行き、
「燈台のMBL」級を見てきた。
1月末からは、関門海峡の航路標識を見て歩き、ふるさとの燈台を訪ねた。
MBL級の燈台に比べたら、こちらはせいぜい学生野球程度だ。

海保で 「沿岸小型」 と分類されている燈台を訪ねるときは
海保の職員が巡回はするのだろうが、踏み後もわからない道なき山道を
心細い気持ちで、燈台がある、と思しき方角を目指して歩く。
標高差で100mの山道を上り下りするのはザラだ。
地元の人からは 「猪が出る」 と脅かされ、
山犬に出くわしたら追い払おうと棒切れを握り締め、ひたすら燈台を目指す。
燈台の多くは、
人里はなれた辺鄙な場所だから、凶悪な犯罪人が逃げ込んでいるかも知れない。
もしかしたら、自殺者でも‥‥。
根っからの臆病者だから、そんな厭な場面ばかりを想像する。
それなのに、私を燈台へ駆り立てるものは何だろう。 自分でも分からん。

ともあれ、この1ヶ月で20基近くの燈台を訪れた。
HPもどうやら格好がついてきた。
第一段階で残ったのは響灘と、日本海の、4つの島の5つの燈台だ。
響灘の2つの島(六連島と蓋井島) は、晴れた日に日帰りで行って来れる。
萩市沖の相島と見島は泊りがけになりそうだ。
あせらずに取り組もう。

「突如として燈台ファンになった」 と話したら、
多くの人が協力者になってくださった。
本をくれた人、釣り船を手配してくれた人、海保の職員の皆さん親切だ。
半ば呆れているにしても、家人の理解にも感謝しなければいけない。

そんなこんなで、「燈台めぐり」 はまだまだ続きそうだ。
ワインと同じで燈台も、のめりこむのが遅すぎた。 ま、仕方ない。


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満珠島燈台 下関市長府沖

2006年02月25日 17時45分25秒 | 燈台めぐりノート
日本全国で、燈台の数は 3300余 といわれている。
船舶航行の大動脈であり、海上交通の難所でもある関門海峡に望む下関には、
歴史的価値を持つ燈台や、海峡航行に欠かせない重要な燈台が配置されている。
北から、角島(つのしま)燈台、六連島レ(むつれじま)燈台、台場鼻(だいばはな)燈台、
対岸の北九州には、部埼(へさき)燈台、等々で、 どれもみんな好きな燈台だ。

私が住む、下関市長府 から最も近い燈台は、満珠島(まんじゅしま)燈台 だ。
長府の沖合い, 2.3km に浮かぶ無人島に建てられている。
燈台ファンになって、真っ先に訪ねたい燈台だったが、
船がなければ近づけないから、私には「近くて遠い燈台」 だ。
ワイン仲間で、HN が 「釣り迷人」 さんにこの話をしたら、
2・3日うちに釣り船を用意してくれた。 持つべきは 飲み友達 だ。

船は朝9時に出港。
満珠島の周囲は岩がゴロゴロしていて、満潮でなければ桟橋に近づけないとのこと。
なるほど、餅は餅屋、だ。
10分で到着。 船さえあれば、こんなに簡単に来てしまうんだ!

ところで
地元の人は、満珠島 などと呼ばない。 満珠干珠(まんじゅかんじゅ) だ。
長府沖 1km に浮かぶ、もう一つの小島との総称だが、
満珠と干珠、諸説あって、2つの島の名前で、どちらがどちらかはっきりしていない。
いまどき珍しい話だ。
私は 「満珠島灯台」 のプレートをつけた燈台がある島を 満珠 と呼ぶ。
私の基準は灯台だから、当然のことだ。
なお、満珠干珠は 長門一ノ宮 ・ 住吉神社の神域でもある。
神様には島の名前はどうでもいいのだろう。

満珠島灯台。
見ようと思えば、いつでも見れる燈台だが、船がなければ近づけない。
近くて遠い、「わたしの」 燈台だ。

北緯 33°59' 41", 東経 131°01' 36"
白色 塔形 コンクリート造
単閃白光 毎4秒に1閃光
2000カンデラ
光達距離 13海里
地上~頂部:15.9m、水面~灯火:16m
初点灯 昭和9年10月20日
改築 昭和61年2月

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五輪に咲いた華

2006年02月24日 11時25分08秒 | 日記 ・ 雑記録
私の起床は毎朝6時だ。 家業の朝の部が始まる。
この季節、朝の6時は未だ暗い。
隣のマンションの窓に、灯りはほとんど点っていない。
ところが、今朝はどうだ! 8割は灯りが点っている! みんなテレビを観ているんだ。

この2週間、トリノからの報道はがっかりすることばかり。
見る側の不完全燃焼が蓄積して、オリンピックの オ の字さえ話題にしたくなかった。
日本選手の情けなさをなじる気にさえなれない。
そんな背景で登場したのが荒川静香。
メディアの関心が安藤美姫に集中したから、自分の世界に没頭できたのかも知れないが、
メディアの蚊帳の外に置かれて、彼女には心中期するものがあったろう。
最後の最後にやってくれた。

国が 君が世を強制しなくたって、日の丸を強要しなくたって、
日本人がジ~ンとするのは君が代しかないじゃないか。
日本人が打ち振る旗は日の丸しかないじゃないか。
何も分かっちゃいない為政者の馬鹿さ加減だ。

トリノでの、日本勢の惨敗を見て、思う。
選手の個々は、こうなる結果を知っていたのじゃないだろうか。
彼我の力の差を知っていたのじゃないだろうか。
協会や、メディアが吹く笛に、一応、踊る素振りをしただけじゃないだろうか。
自分の過去を振り返ったとき、大学入試に臨んだ頃の自分を思い出した。
校内模試や、公開模試で、たまにいい成績を上げても、
それがコンスタントに出せる自分の力でないことは、
他ならぬ自分が一番よく知っていた。
志望した大学が、自分のレベルよりも上であること、
フロックで合格する確率が低いことも。
オリンピックも、大学入試も、最後に笑うのは、本当の力を持った強いヤツだ。

荒川静香。 間違っても、政治家の点数稼ぎの国民栄誉賞なんか、受けるなヨ!
そんなものはなくても、十分に美しくて、強い。
五輪に咲いた華、だ。

ふるさとの燈台 川尻岬灯台

2006年02月23日 22時24分01秒 | 燈台めぐりノート
山口県人はどうだか知らないが、長州人は政治好き、だ。
力のある政治家を輩出したことも手伝ってか、山口県の道路はすこぶる良い。
それは幹線道路よりも、地方道、農道において顕著だ。
A代議士の墓がある油谷町(現 ・ 長門市油谷) の道路は、それは立派なものだ。
私の高校時代、大学時代を通じての友人F は、向津具半島川尻の生まれだが、
あの頃はまだ道路事情が悪くて、彼は高校の近くに下宿していた。 
今なら、楽に通学できただろうに。

彼が生まれ育った川尻に川尻岬があって、燈台が建っている。 
川尻岬燈台。 正式には長門川尻岬燈台という名称だ。
川尻の集落で二人の土地の人に、川尻岬燈台への道を聞いたが、教えてくれる内容が違う。
それも、直進していい、と言う人と、バックしろ、と言う人だから、
こちらは股裂きの刑にあったようなものだ。
山に登っていた頃、道に迷ったら元の場所に戻れ、と教わったのを思い出して、
二択でバックを選んだ。

道は良いから、数キロのバックは苦にならない。
海があって、緑が多くて、道が良くて‥‥。 
後背に大都会があれば格好の別荘地だろうに!
川尻岬は公園になっていて、そこまで車でいける。
潮場の鼻燈台と今岬燈台と、2つの山道を駆け上り駆け下った後だから、
楽ができるのは嬉しい。 公園から、岬の突端に燈台が見える。 
初めての土地で、目標が視認できるのはこれまた嬉しいことだ。

しかし、燈台が遠望できるのも考え物で、なまじっか見えるから、
気ばかりあせっても脚がついていかない。もどかしい。
下って上って、たどり着いた燈台の敷地からの眺望は、一方向を除いて、悪い。
驚いたのは、普通、燈台にたどり着けばそこが行き止まりで、
それから先は海に転落するのがオチだが、
川尻岬燈台の場合、道は燈台の脇からさらに先に伸びている。
ここは海釣りのメッカ、なのだ。 
燈台への UP DOWN の途中で海岸を見下ろすと、岩場に何人もの釣り人がいる。
ニュースで、時折、遭難が知らされる。 高波にさらわれて命を絶った人は数知れない。
故人にはお気の毒だが、自制が効かない人間に、灯す燈台は、ない。

北緯 34°26' 27", 東経 130°58' 24"
白色 塔形 コンクリート造
明暗白光 明4秒暗2秒
6,000カンデラ
光達距離 20海里
地上~頂部:8.6m、水面~灯火:70m
初点灯 昭和4年11月30日

ふるさとの燈台 今岬燈台

2006年02月22日 22時04分26秒 | 燈台めぐりノート
かつての大津郡日置町黄波戸は、長門市日置黄波戸と変わったが、
変わったのはそれだけで、他は何も変わっていない。
高校時代、一番信頼した友人宅も昔のままだ。
この友人宅には想い出がある。 彼の結婚披露宴で司会を頼まれ、
彼のために勿論受諾したのだが、
打ち合わせに行って、そのあと酒を飲むことになった。
彼の父君も交えての酒盛りとなり、一晩呑み続けて朝まで飲んだ。
その量、4升5合! 私が2升飲んだらしい。 いまだに破れていない私の記録だ。

長門市から黄波戸の集落を眺めれば、その突端に筍状の岩肌が見える。 今岬 だ。
最近まで、今岬 に燈台があるなんて知らなかった。
ある、と知ってから郷里の友人に尋ねたら、「あるけど、歩いて遠いゾ」
しかし、3ヶ月前の私ならイザ知らず、今の私に躊躇はない。

車は茅刈(かやかり) などと、刈干切唄みたいな集落の集会場まで。
途中までは比較的はっきりした下りの坂道だが、それからはただの踏み跡をたどるだけ。
海はベタ凪で潮騒も聞こえないが、最近備わりつつある 「勘」 で、
海に突き出た地形のどこかを歩いているのだ、と自分に言い聞かせるしかない。
頼りの電柱も電線も見当たらない。
それでも突き進んだら、これまでの灯台めぐりでは見たこともない建造物が。
太陽電池の発電装置だ。 これも、時代の流れだろう。
どうりで、電柱も電線もないはずだ。 
ほとんど下りばかりで燈台にたどり着いた、ということは、帰りは上りばかり、ということだ。
ただ、知らない道を疑心暗鬼で下るよりも、
一度通った道を上る方が早かったのは気のせいだろうか。

東には海上アルプスと称する青海島が、西には千畳敷の発電用風車が、北には見島が。
いい眺めだ。 長門市から筍状に見えた岩は、眼下に見下ろす格好だ。

位置  本州北西岸 北緯 34°24' 50", 東経 131°08' 01"
塗色及び構造  白色 塔形 コンクリート造
等級及び灯質  郡閃白光 毎10秒に2閃光 [Fl (2) W 10s]
光度  6,000カンデラ
光達距離  20海里
高さ  地上~頂部:6.6m、水面~灯火:74m
初点灯  昭和34年1月 [1.1959]
備考  昭和59年1月 改築

満珠島に行ける!

2006年02月21日 21時30分04秒 | 日記 ・ 雑記録
朝、釣り迷人 さんが来舎。

長府沖に浮かぶ満珠島に灯台があるのだが、無人島で、渡る手段が私にない。
釣り船でもチャーターして渡るしかないか。
などと、私の希望を話したのは、「騎士の会」 の席だったが、
そのとき頷いて聞いていた 迷人 さんが、
懇意の船の持ち主と下話を済ませたらしい。 近々にも島に渡れそうだ。

満珠島燈台の写真を撮ることができれば、私の燈台めぐりに花を添えることとなる。
だって、
葡萄舎から一番近い燈台が、無人島だからって、写真の1枚も撮れないのでは
私の沽券にかかわるじゃないか。
しかし、
私が何かことを起こすときは、必ず援助の手が差し伸ばされる。
こんなときはたいがい、正義は勝つ、などとうそぶく私だが、
本当に、ありがたいことだ。
あ~ぁ、持つべきは友だ。

2日で8燈台踏破

2006年02月20日 21時08分47秒 | 日記 ・ 雑記録
昨夜は湯本温泉で 「三八会」
墓参をして、温泉につかるのはいつものことだが、今回はチト趣が異なった。
まず、前夜予告もなく帰って来た可愛い息子の相手もそこそこに、
昼過ぎには家を飛び出し、針路を海岸線にとった。

最初は、矢玉港A防波堤燈台へ。
私の 「燈台賛歌」 では、津々浦々の防波堤の燈台は対象外だけれど、
この燈台には照射灯が併設されている。 車で走りながら眼に入ったので立ち寄ったまで。
次いで、特牛燈台。
特牛と書いて 「こっとい」 と読むのだから、昔の国鉄の難読駅の代表だった。
比較的登りやすい小山の上にあった。
3つ目は角島燈台。
前回訪れたときに、プレートを写し忘れたので、そのためだけに立ち寄った。
見学受付には、前回寒風の中を説明してくれた小父さんがいたので、お礼だけは言っておいた。

それから、友人F宅に立ち寄って、柚子酢を1升貰い、友人M宅で密談をし、
「三八会」 は友人S宅。

いつも、下関から長門に駆けつけると泊まらせてくれる、奇特な友人がいる。
その、もう一人の友人S宅には今回は泊まらなかった。 ずいぶん詰られたけれど。
今回は燈台めぐりが主で、三八会は、ついで、だ。
燈台めぐりには、私の流儀とこだわりがある。 寝る場所は車の中、だ。
下関に帰り着いてからそのわけを縷々話して、やっと理解してもらった。
泊まらなかったから、といって怒るのだから、持つべきは友達だ。

朝4時、車の屋根を打つ雨音で眼が覚めた。
それでも7時前には青海島(おうみじま) の王子鼻燈台に立っていたからたいしたものだ。
雨はやまないが、勢いで潮場ヶ鼻燈台へ。 傘を差して山を越えて、これは難渋した。

仙崎海上保安部へも顔を出した。 ここの職員は親切な方ばかり、だ。
私が喜ぶ、ありとあらゆる資料を下さった。

雨は上がったが高湿度で汗まみれ。 替え下着を2枚購入。
今岬燈台へ。 ここも苦労してたどり着いた。
日頃の運動不足が災いして、とても歩ける状態ではなかったが、川尻岬灯台へ。
ここは駐車場から、燈台が望めるから始末が悪い。
気ばかりがあせって、足がついて行かない。 情けない。
ここら辺で、私の自由になる時間は使い果たしていたけど、
向津具(むかつく)半島の先端まで来ることは滅多にないから、俵島燈台へ。
ここも、手を焼いた。
帰り道を間違えて、道端に駐車した車が見つからないハプニングも。

結局、家に帰り着いたのは5時半。 予定を1時間半オーバー。
それでもにっこりと笑って迎えてくれるから、持つべきは、出来た家内、だ。

ワイン会、燈台、飲み会

2006年02月19日 13時10分08秒 | 日記 ・ 雑記録
昨日は葡萄舎で 「葡萄舎騎士の会」例会、
今日は郷里で 「三八会」 例会。

ワイン会の記録も残しておかなければならないが、その余裕がない。
今日、郷里に向かう道筋を変えるつもり、でいる。
時間にすれば倍かかるが、海岸沿いの191号を走る。
角島燈台で撮り忘れた写真を撮り、
特牛、川尻岬、と、ふるさとの燈台めぐりをするつもり、なのだ。
出来れば今岬にも立ち寄りたい。

燈台を見に行くとなると、心が騒ぐ。
昨夜の片付けは 奇特な某氏が手伝ってくれたが、
今日はグラス洗いも半ばで、これから出かける。
恋人に会いに行くみたいだ。 年甲斐もない。

燈台とスペイン料理

2006年02月17日 19時18分22秒 | 日記 ・ 雑記録
氷雨とは違う、春雨に近い雨だけど、3日も続くと少々飽きてくる。
三寒四温の前触れなのかもしれない。
朝6時の空を見上げると、西に傾いた月が明るく輝いて、今日の好天を予感する。
同じ月を木枯らしの夜にも見たが、見るからに寒々しくて 「寒月」 だった。
今朝の月は 朧月 とまではいかなくても、ほんのりと春めいた月だ。

好天だとジッとしていられなくて、彦島方面に出かけた。
関門海峡が S字型に湾曲して、航行の難所となっているのは、
東で門司の半島が、西で彦島が突き出ているからだ。
彦島には燈台が2つと、導燈が2ヶ所、潮流信号所の電光表示板もある。

台場鼻の燈台と潮流表示板を撮影し、小瀬戸の導灯を撮影したところでケータイが鳴った。
H 氏からだ。 「昼ごはんを食べに行かないか?」
H 氏ご推薦のその店には K 氏も関心を示した、というので K 氏に電話。
すぐに都合をつける K 氏も いいご身分だ。
片道1時間の道中が、事故か何かで大渋滞。 1時間半かけて宇部市のレストランへ。
スパニッシュのレストランでイカ墨の料理とパエリアを食す。 美味。
スパニッシュオムレツは、私の方が上手くて美味い。
リオハのワインを1本空けて、4時間の昼食は終了。
H 氏。 ご馳走様。
K 氏。 帰りの運転お疲れ様。

天気は晴れ。 燈台を眺めて写真を撮って、スパニッシュでのランチはワイン付き。
至福の一日だ。


春はまだ、か。

2006年02月16日 23時52分23秒 | 日記 ・ 雑記録
3日続いて雨模様。
寒さは感じないが、吐く息は白いし、暖房を切ればゾクッとするから寒いのだろう。
朝起きて一番にする作業は湯沸し。 やかんからポット2本にお湯を注ぐ。
床に置いたポットの真上に顔があるから、
秋が深まると湯気で眼鏡が曇って、寒くなってきたと感じる。
逆に、冬から春に移行するときは眼鏡が曇らなくなるのだけれど、
それまで曇っていた眼鏡が曇らなくなっても、気付くのは遅れる。

好きな季節の目安は、風呂上りだ。 ほんのかすかにゾクッとする頃が、いい。
もう、脱衣場のストーブは点けなくなったが、
風呂上りにはゾクゾクッとするから、好きな季節は未だ先、だ。
しかし、こんなことを思うのも季節は着実に春に近づいているから、かも知れない。
待ちわびる秋ほどではないが、春も待ち遠しいものだ。
暑さ寒さも彼岸まで、とは言うけれど、
春の彼岸と、秋の彼岸では温度差が10℃もあるそうだ。 春が13℃、秋が23℃。
酷暑を乗り切った体には23℃でもありがたいのだろう。
冬場を耐えた身には13℃でも嬉しいのだろう。

春は13℃、秋は23℃、ヒトの身体って、求めるものが控えめでかわいらしい。
ホリエモンからわたったとされる3千万円を、
一応はシラを切ってみせる幹事長の、どす黒い顔と腹の醜悪さに比べて。


車検に出した

2006年02月14日 23時47分11秒 | 日記 ・ 雑記録
一昨日の晴天、昨日の日本晴れは、シッカリと灯台めぐりに費やして、
雨天の今日は 「燈台めぐり専用車」 が車検入り、
なんと効率のよい生活を送っているのだろう。 正義は勝つ、か。

「燈台賛歌」 の公開が滞っていたが、今日1ページを公開。
軌道に乗せなければ。

何もない バレンタインデー だった。
バレンタイン監督ががんばってくれればそれが一番。

門司海上保安部

2006年02月13日 22時35分22秒 | 日記 ・ 雑記録
通常なら、ワイン会で使用したグラスは翌日 (昨12日) に片付けるのに、
好天に誘われて燈台めぐりをしてしまったから、その作業が今日にずれ込んだ。
洗うには洗ったが、空を見上げれば昨日以上の雲ひとつない今年最高の好天気!
どうせ洗ったグラスは自然乾燥させるのだから、乾燥時間の半日を1日にしたって‥‥、
などと都合のよい解釈をすぐにしてしまう私だ。

車の中ではカメラと双眼鏡がお待ちかねだから、待たせてはいけない、すぐに飛び乗る。
目指すは門司にある海上保安庁の関門海峡海上交通センター。
航路標識の一覧表が欲しかった、のだ。 ところが体よくたらいまわし。
「航路標識のことなら、門司海上保安部に行け」
で、門司海上保安部へ。

貰った! 「門司海上保安部航路標識位置図」
6枚の分図に分けて、細大漏らさず航路標識が書き込んである。 当たり前だけど。
効率よく燈台めぐりをするのに、これがあれば鬼に金棒。
明日以降の展望が開けた一日となった。

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