葡萄舎だより

海峡の街・下関の、葡萄舎の住人・洒人 (しゃじん) が身の周りの些事片々を書き綴ります。
本人は日記のつもりです。

釣り人って、いい人たちなんだ

2006年03月31日 22時09分10秒 | 日記 ・ 雑記録
私は、今だかつて 「釣り」 をしたことがない。
今現在も釣りをしたいと思わないし、将来も釣りをすることはなかろう。
結局、私の人生は釣りとは無縁だった、ということになるのだろう。
釣りと無縁だから、釣り人について考えたこともない。

燈台めぐりで離島に渡る連絡船には、私以外には釣り人しか乗り合わせないが、
私とは無縁の趣味を持つ方々だから、話したこともない。
しかし、今日という今日は釣り人に感謝した。

燈台が建っている場所は岩場が多い。
その近辺が釣りのポイントだかどうだか知らないが、
辺鄙な燈台への道をたどるのは、海保の職員か、燈台ファンか、釣り人しかいない。
燈台を巡回する海保の職員と、燈台ファンが崖を上り下りする頻度はタカが知れているから、
はっきりとした踏み跡が残っているとすれば、それは釣り人のなせる業だ。

玄界灘・響灘と周防灘を結ぶ大動脈は、S字型に大きく蛇行する関門海峡だ。
下関(本土)と北九州の間を早鞆瀬戸と呼び
下関の突端・彦島と北九州の間を大瀬戸と呼ぶ。 
大瀬戸があるなら、小瀬戸もある。 下関で、本土と彦島を分かつ小海峡が小瀬戸だ。
その響灘側の入口に小さい燈台がある。 太郎ヶ瀬鼻燈台。
所在は分かっていたし、海から(船から)眺めたこともある。
しかし、燈台まで行く道が分からなかった。
磯伝いに行けないのなら、崖を降りてみたら?
そう思って、彦島大橋の畔で下に降りる道を探した。 あった!
崖を下ること30m。 釣り人の踏み跡はシッカリ道を成していた。
1ヶ月有半、行きたくて仕方なかった太郎ヶ瀬鼻燈台に、ついにたどり着いた。
今日という今日は、釣り人に感謝した。

そういえば、ワインの世界でだけど 釣り迷人さん という盟友がいる。
PCと、写真の私のお師匠さんだ。
無人島の燈台(満珠島)を見たいと言ったら釣り船も手配してくれた。
釣り人って、いい人たちなんだ。

当ブログの親サイト 「葡萄舎彩々」 へもお越しください。
http://members.jcom.home.ne.jp/budohsha/

塩屋岬

2006年03月30日 09時01分20秒 | 日記 ・ 雑記録
寒の戻りだか、花冷えだか知らないが、この数日の風の強さは並みじゃない。
当地の桜の満開はも少し先だから、「花に嵐」 を嘆かずに済みそうだ。
この花冷え、北海道では 「リラ冷え」 という、粋な表現があるそうだ。

例年、功山寺への花見にはロゼワインをぶら下げて行ったが、
今年はロゼのシャンパーニュも持参しよう。

HPの 「燈台賛歌」 どうにか格好がついてきたので、
ページ構成を再編し、ページ立てに整合性を持たせた。
これからは暇なときにフラッと出かけて気に入った燈台があれば
「燈台紀行」を書くといった、余裕のある燈台めぐりをしよう。
HPのページ数を増やすことに汲々とするのはやめよう。

注文していた 塩屋岬燈台のレプリカ が届いた。
このレプリカ、スイッチを入れると点灯するからいじらしいが、
どうせなら点滅してくれればもっといいのに。

塩屋岬燈台といえば、ここの燈台職員の奥さんの手記がベースになって
「喜びも悲しみも幾歳月」 の映画になったのだが、
美空ひばりの 「みだれ髪」 も塩屋岬が舞台だ。
ひばりの歌は難しいけれど、
燈台ファンとしては 「みだれ髪」の一つくらいは唄わなけりゃ。
こう思い立ったらすぐにカラオケの練習に取り掛かるのだから情けない。
ところで、この頃、塩屋岬燈台を 「ひばり灯台」 と呼ぶらしいが、
あまり好きな傾向ではない。
ひばりが歌えばこそのヒットだろうが、なんたって、星野哲郎の詩が効いている。

作詞家で最大のヒットメーカーは 阿久悠 だが、
演歌世代の私にとっては、誰がなんと言おうと 星野哲郎 だ。

当ブログの親サイト 「葡萄舎彩々」 へもお越しください。
http://members.jcom.home.ne.jp/budohsha/


たかがHP、なのだ

2006年03月28日 22時13分26秒 | 日記 ・ 雑記録
昨日、野島燈台へ行き、夜、燈台紀行を作成。
今日、「島の燈台めぐり(野島燈台)」と 「岬の燈台めぐり(中関燈台)」 を仕上げた。
燈台へは、燈台に会いたいから行くのだけれど、
現状は、HPの新記事を書くために行っているような気がする。
そろそろ原点に戻って、灯台に会いに行くことそれ自体を楽しむようにしよう。

ワインとHPとの住み分けは上手くついていた。
旅とHPも、当初はうまくいっていた。
HP作成上の必要に応じて、旅を思い出して書けばよかったから。
旅とHPが並行し始めた昨年からおかしくなった。
物事、本末転倒してはいけない。

当ブログの親サイト 「葡萄舎彩々」 へもお越しください。
http://members.jcom.home.ne.jp/budohsha/

周防野島燈台

2006年03月27日 23時02分06秒 | 日記 ・ 雑記録
今朝は5時に起床。
5時半、葡萄舎出発。
7時、防府市の 中関(なかのせき)燈台。
8時半、三田尻港より野島(防府市)へ。
9時半、周防野島(すおうのしま)燈台。
食べて、飲んで、食べて、昼寝して
13時半、野島出航。
15時半、葡萄舎着。

燈台紀行 2 周防野島燈台 を掲載しました。
http://members.jcom.home.ne.jp/budohsha/shima-misaki-2.html

当ブログの親サイト 「葡萄舎彩々」 の表紙からもお入りいただけます。
http://members.jcom.home.ne.jp/budohsha/
葡萄舎彩々表紙 → 燈台賛歌 → 燈台紀行 2

下関四一会

2006年03月26日 00時03分11秒 | 日記 ・ 雑記録
私達は戦後ベビーブームの第一波で、行く先々で生き残りをかけた競争の連続だった。
高校は7クラス、360人が在籍した。
そのうち、下関に17名が住んでいる。
会員組織ではないが、その17名が集まるときは 「下関四一会」 と称する。

昨夜、久しぶりに集まった。
17名に声をかけて、11名が集まったのだから、かなりの結集率だろう。
近況を報告しあえば、「定年を2年後の控え‥‥」 のオンパレードだ。
さすがに、曾孫に恵まれた人は居ないが、みんな白髪も増えて、
人生の黄昏を迎えつつある感が濃厚だ。
腰痛で、飲酒をとめられている、と言うヤツも、結局最後まで飲んだ。

私達は戦争を知らずに生まれて、徴兵制がないから銃を手にすることもなかった。
しかし、大学闘争に始まって、一つの時代を作ってきた。
その時代がどんなものだったかは、歴史家が評価するに任せよう。
ただ、がむしゃらに走り続けてきたが、その走りも間もなく終わる。

春秋を刻んだ顔が11個並んで、それぞれに味わいがあった。

次回は10月21日に葡萄舎に集まる。
1年先、などという長いスパンでは集まるのもおぼつかない、
誰かが言った言葉にみんな従った。 もう、年だ。



10年ひと昔

2006年03月24日 18時08分33秒 | 日記 ・ 雑記録
社会人になってからの私は、長く勤めて4年で転職を繰り返してきた。
部屋の模様替えと、HP表紙の模様替えが趣味だというのだから、飽きやすいのだろう。
そんな私が、家業を継ぐまでの12年間は1つの会社に在籍し続けたのだから、
これはもう驚きに値する。
その会社では、新しいセクションを造るとき、新分野に進出するとき、
私を将棋の駒のように用いた。
その周期が2・3年だったから、私の新しいもの好きにうまくマッチしたのだろう。
宇部・小野田日本社があって、
下関から岩国まで、山口県の瀬戸内沿いが私の活動範囲だった。
下関、小野田、宇部、山口、防府、徳山、岩国、それぞれに想い出がある。
私のそばには、いいヤツもダメなヤツもいたが、
思い出すときはいいことばかりを思い出す。

その名残で、下関から出かける機会はなくなっても、散髪だけは宇部に出かけている。
先日、宇部の馴染みの理容院で散髪をしてから、徳山まで足を延ばした。
高速を使わずに下の道を走ったのは、退職以来7年ぶりだった。
防府まで、懐かしい周防大橋を渡ると、知らない道と橋ができていた。
防府の街は昔のままで、お世辞にも活気があるとはいえない。
繁盛していたレストランが閉店したり、客の少ない喫茶店が未だがんばっていたり、
スピード違反で捕まったバイパスも懐かしかった。

徳山海上保安部に行くのが目的だったが、
住所も電話番号も控えてくるのを忘れた馬鹿さ加減に自分で呆れながら、
昔懐かしい徳山のレストランに立ち寄った。
レジのお姐さんも、サービスのお姐さんも相変わらず元気そうだ。
「調理長は誰?」 と聞いたら、Y氏だという。
Y氏といえば、葡萄舎ができる前の我が家で、何度も料理を作ってくれた男だ。
案内も乞わずに調理場に入った。 勝手知ったる調理場だ。
肥満に拍車のかかったY氏が居た。

再会の挨拶もそこそこに、聞かされたのは会社の話。
2日前、提携していた会社に買収され、子会社になってしまったと言う。
労働強化が課せられ、たまったもんじゃない、と言う。
私を好きなように泳がせてくれた専務が社長になっていたが、責任を取って退任だと言う。
私はいいときに辞めた、それが結論だ。

10年ひと昔。 いい話は嬉しいが、逆は辛い。
明日は、下関在住の高校の同級生が11人集まる。 
5年ぶりの 「下関四一会」 だ。 どんな話が出るのだろう。


当ブログの親サイト 「葡萄舎彩々」 へもお越しください。
またまた表紙の模様替えをしています。
http://members.jcom.home.ne.jp/budohsha/

南陽工業 負けた

2006年03月23日 22時04分30秒 | 日記 ・ 雑記録
今日からセンバツ開幕。
わが南陽工業は開幕直後の試合だったが、早々に甲子園を後にした。
0ー4 点差ほどには力の差はないと思うのだが、やはり点差が全て、だろう。
彼我の最も異なるところは、地に足が着いていたか否か。
開会式の直後に、16、17の子供が緊張するのは当たり前。
その緊張を解きほぐすために、部長や監督がベンチに入っている。
なのに、部長も監督も一番肝心な使命を果たしていない。
ということは、最も緊張していたのは、部長と監督だったのか。
南陽工業の部長と監督を責めているのではない。
勝負にはいろんな要素があるだろう。 が、子供達の試合では、
勝つチームと負けるチームの差は、部長と監督の資質の差、ではないかと思うのだが。

それにしても、負けたチームのアッケラカンとした姿は、喜ぶべきか?
気持ちの切り替えは大事だけれど、
負けたときは、負けた口惜しさを噛み締めた方が、明日につながるのでは?
私も古い人間なのだろう。


当ブログの親サイト 「葡萄舎彩々」 へもお越しください。
http://members.jcom.home.ne.jp/budohsha/

徳山海保

2006年03月22日 21時57分59秒 | 日記 ・ 雑記録
予定から2週間遅れて宇部の理容院へ。
散髪を終えてから徳山海上保安部を訪問。
徳山の海保からも、仙崎、門司の海保と同様、親切に各種の資料の提供を受けた。
周防灘にはこれといった燈台はないが、
山口県の北(日本海)と西(響灘)の燈台を訪ねてきたから、
バランスをとらなければなるまい。
しかし、徳山は遠い。 高速で片道2,000円も高い。 しかし、行かねばなるまい。

夜の燈台。

2006年03月20日 23時27分53秒 | 日記 ・ 雑記録
予約していたカステラの○○を買いに二見へ。
受け取り時間は4時だだったけど、5時に受け取り、そのまま角島へ。

角島の沖に沈む夕陽を眺めて、燈台の点灯を見る。
回転するレンズのなんと綺麗なことか。
夜の燈台を見る機会はなかなかないが、今日は堪能した。
灯台を眺めるには昼間がいい。
が、昼間の燈台は仮の姿だ。
燈台の本領と使命は夜、だ。

勝った

2006年03月19日 21時39分12秒 | 日記 ・ 雑記録
ほぼ同じ力を持ったチームが対戦して、3連勝するのは難しい。
3連敗するのも難しい。
今日の韓国戦は、だから、勝つと思っていた。
思っていたけど手こずった。
先発の力投も、起死回生のホームランも、1つ1つのプレーも、みんながんばった。
生真面目さが取り柄の監督に勝たせてやりたい気持ちも強かったから、結果オーライ、だ。
よかったよかった。
しかし、韓国は強い。

息子が九州に帰った。

明日は墓掃除だ。

二見饅頭のときわ屋に、予約しているカステラを買いに行かなければならない。
また角島燈台を見に行くのだろうか。

相互リンク

2006年03月18日 15時57分26秒 | 日記 ・ 雑記録
昨日、ガウス さんからご連絡をいただいた。
「旅のホームページ」 というサイトを運営なさっていて、
旧街道や、城や、温泉や、 いろんなテーマで日本中をまわっていらっしゃる方だ。
テーマの一つに 「岬と灯台めぐり」 がある。
北海道から沖縄まで、それはそれは、たくさんの燈台を訪ねておいでだ。

私はガウスさんへの断りもなしに、一方的に片道リンクを貼っていたのだが、
当のガウスさんから 「葡萄舎彩々」 にリンクを貼った、というご連絡だ。
訪問した燈台の数も、燈台の分布も、私とは桁違いで、
勝負にならないけれど、「相互」 リンクを張らせていただいた。
こんな嬉しいことはない。

残された人生、残された時間でどれだけの燈台を訪れることができるのか
考えれば悄然としてしまうが、
少しずつでも燈台めぐりを続けよう。

ガウスさんのサイト 「旅のホームページ」は
http://www013.upp.so-net.ne.jp/gauss/welcome.htm
是非、ご訪問いただきたい。
旅情を誘うテーマの数々でで、見応えがある。

今日はこれからワイン会。 「葡萄舎騎士の会」
孝行息子が、会場まで乗せてくれると言う。
持参ワインに持参グラス15個。 外は雨だから助かる。
持つべきは息子だ。

この息子が、あまりにもデキタ息子だから、もしかすると若死にするのでは、
と心配になって、先日居合わせたC嬢に息子の手相を見てもらったら
「大丈夫、長生きします」 だって。
安堵した。 ヤレヤレ、親馬鹿の極致だ。 

メキシコ、ありがとう!

2006年03月17日 17時47分36秒 | 日記 ・ 雑記録
「奇跡」って、起きるんだァ!

勝つことも、負けることもあるから 「勝負」 って言うのだけれど、
一縷の望みを持ちながらも、その望みは絶望的だった。
アメリカが負ける確率、2失点以上で負ける確率は、限りなくゼロに近かったはずで、
ロマネコンティに勝ったカリフォルニアワイン、みたいなものだ。

準決勝に出れる可能性が低くてもサンディエゴに向かった日本チームの心境は?
ま、今夜はメキシコに足を向けて寝ないことだ。
人間、あきらめてはいけない。
他力本願でも、棚ボタでも、何でもいい。
日本チームも、もう、失うものはないはずだから、思いっきり戦えばいい。
「勝負」 だから、勝つか負けるかはその先、だ。

アメリカ、ザマァ見ろ、と言いたいが、あまりにもはしたないから、
メキシコ、ありがとう! にとどめておこう。


昨日買ったカメラを持って、また角島に向かった。
18-200mm のレンズは確かにすごい。
広角から望遠まで1本のレンズでこなす、なんて、昔は考えられなかったことだ。
この1,2ヶ月、撮りたくても撮れなかった沖合いの燈台が、みんなカメラに収まった。
これだから長生きはするもんだ。
長く生きれば、厭な思いも、いい思いも、転がり込んでくる。
私の人生で感謝するのは、いい思いの方が圧倒的に多いことだ。
これが普通、と思ってはいけない。 朝に合掌、夕べに礼拝。
ありがとうございます。 おかげさまで。

一眼レフデジカメを買った

2006年03月16日 22時42分19秒 | 日記 ・ 雑記録
きっかけは昨年末に室戸岬燈台を訪れてからだけど
今年2月以降は、気が狂ったみたいに、というか、熱に冒された夢遊病者みたいに
燈台めぐりに明け暮れた。

目的の燈台は、いい。 カシオのデジカメで、どうにか写真は撮れる。
ところが、目的の燈台に行く道中で、瀬の燈台や暗礁の燈標が眼に入る。
たいがい、岸から距離がある。
デジカメのズームを最大にしても、写真としては使いものにならない。
これを克服するには、一眼レフに望遠をつけるしかない。

この話を、縷々、家人に話したら
苦しい家計からやりくりをして購入資金を用意してくれた。

たくさん持っているSDメモリーカードを併用したいから、
キャノンをあきらめて、選んだのがニコンのD50。
レンズは、タムロンのDiⅡ。

これで、これから口惜しい思いをしなくて済む。
これで、これからしばらく家人の言うことに素直に従おう。 嗚呼。

当ブログの親サイト 「葡萄舎彩々」 へもお越しください。
http://members.jcom.home.ne.jp/budohsha/


私の3点セット

2006年03月15日 19時10分38秒 | 日記 ・ 雑記録
今日は暖かい一日で、室内に居るよりも戸外のほうが暖かかった。
が、昨日は寒かった。 風が冷たく、雪も舞った。

こんな、春の雪の日は、雪に震える角島燈台の写真を撮ろうと出かけたが、
角島に着いたら雪が止んだ。
その代わり、荒れる冬の日本海(ほどでもないが)に似た海岸風景を堪能した。
防波堤を乗り越える波は、いつまで見ていても迫力があって飽きない。
角島大橋は強風時は通行止めになるそうだが、橋のたもとの売店のおばちゃんは
「通行止めは台風のときだけ」 とのこと。

角島での昼食は、燈台から一番近い 「おおはま」 で あら炊き定食。
前回はボリュームたっぷりの刺身定食を満喫したので、今回は あら炊き。
これまた食べきれないほどのボリューム。
小鉢2皿に、つみれ入りの味噌汁がついて 1,000円! これは安い。
他のテーブルに運ばれる から揚げ定食も美味そうだったから、次回はそれを。

帰途には、二見饅頭の ときわ屋 へ。
予約していたカステラの きれっぱし を買い求める。
饅頭屋のカステラだけど、これが美味い。
カステラの きれっぱし はもっと美味い。 1斤近くあって、これが360円!
これを買って帰ると家人が喜ぶ。
家人の喜ぶ顔が私のすべてだから、これはこれで嬉しいことだ。

角島燈台、おおはまの昼食、ときわ屋のカステラ(きれっぱし)。
私の3点セット、だ。