葡萄舎だより

海峡の街・下関の、葡萄舎の住人・洒人 (しゃじん) が身の周りの些事片々を書き綴ります。
本人は日記のつもりです。

失恋記念日

2005年11月30日 10時01分33秒 | 日記 ・ 雑記録
エキストラワイン会に出席して、夜更けに帰宅したら、
家人が誰かと話をしていた。
深刻そうな話でもなさそうだし、手放しで喜べる話でもなさそうだ。
どうやら、電話の相手が恋に破れたらしい。
情況は把握できたので私も割り込んだが、酔っ払いの話など権威も威厳もない。

思い起こせば、
私が東京に進学するとき、兄貴が私を呼び寄せた。
「親父から何か聞いたか?」
「べつに、何も」と私。
「ふぅ~ん、親父も年を取ったからなぁ」
と言いながら、親父に代わって兄貴がしゃべり始めた。‥‥。
兄貴が大学に進学するとき、明治36年生まれの親父から聞かされたのは
「これから社会に出たら、7人の女を泣かせて、5人の女に泣け」
相当にインパクトのある言葉だった。
私はこの話を、昨夜電話をかけてきた相手に言い忘れていた。
親父から、兄貴経由で私に伝えられた話を、電話で伝えた。
連綿と、血で繋がっていくものがある。その血を呼び起こす言葉がある。
私は役目の一つを果たしたのだろうか。

家人が博多に行く帰りに、電話の相手と会うらしい。
日ごろは、なんだかんだと言いながら、家人の訪問を断っていたくせに。
相当落ち込んでいるのかしらん。

11/28 エキストラワイン会

2005年11月29日 17時39分19秒 | ワイン会の記録
唐戸町 「すし仁」 テーマ ; 皆さんに飲ませたい自慢のワイン

Louis Roederer Cristal 1990
Batard-Montrachet Cuvee Francois Ferrieres 1991 Remoissenet
Meursault 1994 Coche-Dury
★ Corton-Charlemagne 2000 Marc Colin
Ch. Laville-Haut-Brion Blanc 1979
Clos-Vougeot Vieilles Vignes 1988 Chateau de la Tour
Vosne-Romanee Les Beaux Monts 1972 Jean Grivot
Ch. La Mission Haut Brion 1994
Ch. Leoville-Las-Cases 1989
Inniskillin Icewine 2003

私には関心がない、というより嫌悪しているP.P.だが、
昨夜持参したワイン(★)は、P.P.がやたら高いワインだったみたいで、
持参した私よりも、周りのメンバーの方のほうが騒いでくださった。
騒がれて、いやな思いはしないが、変な世の中になったものだ。

それにしてもご夫妻で参加なさってるY氏の記憶力はすごい!
世の中にはすごい能力を持った方が居るもんだ。 脱帽。

12/26 の例会は私が当番。 葡萄舎で開催しよう。

8時間ドライブ (はじめに)

2005年11月29日 14時51分59秒 | 日記 ・ 雑記録
海外旅行にウツツを抜かしていたわけではないが、
国内の旅を軽視していた事実は否めない。

下関~日田~湯布院(泊)~別府~安心院~下関と小旅行をして、
満更でもない、というよりも、
素晴らしい、楽しめるコースが身近にあるじゃないか! の感を強くした。
せっかく下関という結節点に住んでいるのだから、
この、地の利を活かさない手はない、との考えに至った。
(気付くのが遅い?)

私には、家内と二人で営む家業がある。
仕事の時間帯は、朝6時~8時。夕方4時~9時。 断続勤務だ。
ということは、朝8時以降、夕方4時までは比較的自由に過ごせる。
その間、8時間。 片道4時間で行って帰れる範囲が行動半径だ。
夜の仕事に空白が生じれば、泊りがけで出かけることも可能じゃないか!
高速道で多少のスピード超過をすれば、東は広島、西は熊本が片道2時間だ。
行動半径としては、かなりの広がりが可能となる。

私も、いつまでも若くはないから、
遠くに足を延ばすことよりも、近くでゆっくりとしたドライブを心がけよう。
歳相応に、秘湯めぐりでもしようか。
「だご汁を食ってきただけ」 でもイイジャナイか。
4駆の遊び車も手に入ったことだし。

性懲りもなく

2005年11月28日 17時45分44秒 | 日記 ・ 雑記録
日田と湯布院で暴飲に近い飲み方をしてきて、昨日から今日は本調子ではなかった。
辛くて、もう、馬鹿な飲み方をよそうと思いながら、
3時、4時になると体調も回復して、性懲りもなく、ワイン会の準備をしている。
そう、今日はエキストラワイン会。唐戸のお寿し屋さんで。
テーマは 「皆さんに飲んでいただく自慢のワイン」

私もワインを飲み始めて15年。
「皆さんに飲んでいただくワイン」 はある。 「自慢のワイン」 もある。
しかし、
「皆さんに飲んでいただく自慢のワイン」 となれば、待てよ、と考えてしまう。
こういうテーマでのワイン選びは案外に難しいものだ。
なんたって、飲ませる相手が下関の錚々たる方々だから。

ブルゴーニュで一番好きな造り手の白を持参する。
Corton-Charlemagne 2000 Marc Colin
このワインにパーカーが高い点数をつけている、と騒ぐ方もおいでだが、
パーカーが何点をつけようと、私には関係がない。
私の 「皆さんに飲ませたい自慢のワイン」 はこれなんだから。

だご汁

2005年11月27日 23時30分12秒 | 日記 ・ 雑記録
昨年の10月。
湯布院で 「葡萄舎騎士の会」 のワイン会を行った。
熊本 ・ 大分に美味いものは数あれど、
私の一番は 「だご汁」。 でも食べっぱぐれた。

昨日は13ヶ月ぶりに湯布院でワイン会。
今年は満を持して出かけた。 出発前から、「今年は だご汁 を食べるぞッ!」
と、公言して出かけた。
迷○さんが、まず、私の意向に乗った。
舎○さんも、ア○○さんも、駄々っ子の私を黙らせるには、私の希望をかなえるしかない、と観念したみたいだ。
言い出したらきかない私の性格をよく存じていらっしゃる。
秘湯中の秘湯、へビん湯(カテゴリ;旅行 「湯布院から」参照)に浸かってから、その入口の明礬温泉で食事をすることになった。
その食堂に 「だご汁」 があることが絶対条件だ。
岡本屋という名の食堂。 湯の花を採取する場所を持っていて、強烈な硫黄臭が立ちこめた食堂だ。
店の前では温泉玉子を蒸かしているし、名物のプリンも温泉の蒸気で造っている。
勿論 「だご汁定食」 がお品書きのトップに書いてあって、1000円。
温泉玉子も、プリンも付くらしい。

店員嬢への第一声は 「だご汁の大盛はある?」
私の横着さを知らない店員嬢は 「(大盛は)やってません」
すかさず私 「じゃあ、2杯注文しなけりゃダメなの?」
私の剣幕に驚いたお嬢さんは、奥に入ってひそひそ話。 「それじゃ、作ります」
そう、最初からそう言えばいいんだ‥‥。

いま小麦粉を練っているんだ、とか、いや小麦を刈り取っているんだ、
などと憎まれ口をたたきあうほど待たせて、恋焦がれた 「だご汁」 が届いた。
味噌の加減は絶妙。 具の野菜は適量。 牛蒡の香りは硫黄の臭いをしのぐ。
「だご」 は勿論期待通り。 しかも大盛だから、正直、もてあますほど多い。
身も心もホカホカになって食べ終えた。
1年余の願いがかなった。

プリンも美味しかったからお土産に買い求めた。
明礬温泉の岡本屋。 機会があれば必ず立ち寄る店になった。

写真の 「だご汁」 は大盛で、100円UP、です。

湯布院から (復路)

2005年11月27日 22時06分40秒 | 日記 ・ 雑記録
湯布院発7時のJRで早発ちしたコ○○さん達を見送る者が居ないほど、
昨夜の深酒は、深い眠りを課していた。
そんな皆をたたき起こしたのは、とてつもなく大きい雷鳴。
爆発音と錯覚するほどの雷鳴は、しばらくの間、鐘の音のように共鳴を伴った。
きっと、湯布院の盆地に落雷して、周囲の山々からの反響があったのだろう。

朝食は金鱗湖のほとりの洋灯舎(らんぷしゃ)。
シッカリした料理で、コーンスープも、オムレツも、パンも美味しかった。
これが1000円なら、安い!

復路の舎○さんの車には4名が乗車。
城島高原の志高湖に立ち寄り、鶴見岳のロープウェイへ。
800mの高度差を、10分かけて昇降して、1300円(割引券使用)は妥当か。
山頂駅からの展望は、霞んで芳しくなかった。
25mはあろうか、という突風に驚かされた。

温泉に造詣の深い舎○さんが、秘湯を案内してくれる、と言う。
「るるぶ」には簡単な紹介記事だけで、地図もない。
別府の明礬温泉から、山を分け入った奥の奥の温泉。 「ヘビん湯」
明礬温泉で人家は途絶え、鍋山の渓流にその露天風呂はあった。
簡単な脱衣所に、脱衣カゴが置いてあるだけの河原の露天風呂。
温度は41℃から37℃が4箇所。 全山紅葉。 実にいい温泉だ。
少なくとも、今まで生きてきて、最高に感激した温泉だ。

明礬温泉の岡本屋という食堂で、念願の 「だご汁」 を食べる。
(カテゴリ;日記・雑記録 「だご汁 11/27 参照)

安心院ワイナリーに立ち寄って、帰関。
いい旅だった。

湯布院へ (往路)

2005年11月27日 21時20分25秒 | 日記 ・ 雑記録
昨年10月に続いて、「葡萄舎騎士の会」の例会を湯布院で開催した。
東京から「ワインの騎士団」の団員・風○坊さんに参加をいただき、
HNも秋の季語・紅○さんの特別参加もあって、総勢10名。

舎○さんの車に乗り込んだ6人は小倉から飯塚を経て日田に。
天領・日田は名水の里。
名水を求めてサッポロビールが工場を門司から日田に移転している。
運転をする舎○さんに気兼ねして、ビール工場立ち寄ることはあきらめていたが、
やはり、日田が近づけば寄ってみたくなる。 で、寄った。
広い敷地に最新設備の工場。観光バスが何台も客を運んでにぎやかなこと。
さしずめ、のん兵衛の大人のテーマパークだ。
ベルトコンベア式に工場見学を済ませると試飲タイムだ。
上級ブランドのヱビスビールが飲み放題! 
卑しい飲み方は気が引けるが3杯いただく。
恥ずかしくも3杯いただいたのは、勿論、美味しかった、から。
ヱビスの美味しさを実感したのは、試飲を終えてから併設のレストランで
フツーのサッポロを注文して飲み比べたとき。 こんなにも違うのか!

晩酌のアサヒスーパードライのロング缶を、ヱビスのレギュラー缶に代えよう。
エビスの美味さを知ってしまったら、もう、ダメだ。 アサヒさんゴメンナサイ。

湯布院の東のはずれ狭霧台から夕陽を眺めてから宿に。
宿の後ろに山水館というホテルがあり、地ビールを造っている、というので迷○さんと出かける。
これからワイン会だ、というのに。 昼間さんざん飲んできた、というのに。

大分空港からレンタカーで駆けつけた風○坊さんは、
暗闇の中を、良くぞ田んぼの中の会場・「花の舞」までたどり着いた。
ご苦労をねぎらうこともそこそこに乾杯!
にぎやかな会の様子は広報担当のチ○○さんから追って報告があるだろう。




行くぞッ 湯布院!

2005年11月25日 17時52分42秒 | 日記 ・ 雑記録
まだ、恒例になっていないが、
葡萄舎騎士の会の11月例会は明日、湯布院で開催。勿論泊りがけ。
大分空港に急降下強行着陸の風○坊さんを含めて総勢10名。
前回の例だと、今回も20本近く空けそう!
なんたって、宿泊費が安い!
確か、チャッチフレーズは 「湯布院で一番安い宿」
安いたって、離れの3部屋が貸切で、何時まで騒いでも文句は言われない。
交通は至便。岩風呂から由布岳は望める。
食事は、きちんとしたホテルのレストラン。
往路は、葡萄舎に3人が集まり、門司で一人、小倉で二人をピックアップ。
別行動の3人とは宿で落ち合う予定。
昼食は私のリクエストで、大分名物 「だご汁」
帰りは成り行き任せ。秋の豊後路、豊前路をドライブだ。
ここまで予告をしておいて、明日の日記はお休み。
旅行の詳細は、広報担当のチ○○嬢よりあるだろう。

LLWさんから宅配便。 却って、気を遣わせてしまった。

HPの表紙、模様替え終了。 黄土色を使いたくなかったけれど、
シルクロードにはあの色しかない。 ま、いまの表紙もいつまで持つやら。



ビョーキ再発

2005年11月24日 17時50分51秒 | 日記 ・ 雑記録
昨日が小春日和だったからでもあるまいが、
夜中の雨が朝まで残った今朝、寝床を離れるときは 「春眠不覚暁」。
濡れた玉砂利を見やりながら、「花落知多少」 の風情。
とても時雨の朝の感じはしない。 今年は本当に暖冬なのだろうか。
昨日、駐車場の草とりをして、バラスや玉砂利の上に土が散らかっていたが、
雨がきれいさっぱり洗い流してくれた。
こんなときの雨は嬉しくなる。 ご都合に合わせた身勝手なものだ。

私に、HPに、お付き合いくださっている方は先刻ご承知だが、
部屋とHPの模様替えは私の趣味だ。
HPの TOP PAGE は1週間を待たずに様変わりする。もう、ビョーキだ。
長旅のあいだはモチロン放置せざるを得なかったが、
旅行記が一段落して、ビョーキの虫がうごめき始めた。
模様替えといってもフルチェンジではなく、右のものを左へ持っていくだけの、
小手先の配置換えに過ぎないけど‥‥。 で、また動かしてしまった。
ビョーキだから健康な状態ではないのだろうが、
私の場合、この症状が出てくると、心身ともに健常な証だ。 厄介な話だ。

あまりにも頻繁に TOP PAGE をいじくるので、
某氏から 「入口が分からん」 とお叱りを受けたことがある
以来、配置換えを制限付きの枠内で行うようになった。
ビョーキの原因は分かっている。
熱しやすく冷めやすい私が、確固たる方針を持たずに配置換えに取り掛かるから。
私に買われたHPビルダーは、実によく付き合ってくれる。いい迷惑、かな?

小春日和に草取り

2005年11月23日 20時15分25秒 | 日記 ・ 雑記録
HPの自己紹介を手直しした。
2年前の編集で、ワインに関連する内容に偏っていたから。
で、血液型がA型で、神経質で几帳面できれい好きだと書き込んだのだが、
人様が知らないことをいいことに、随分ズボラな部分があることに気付いた。

その一つは、葡萄舎の裏の駐車場だ。
周囲の駐車場はどこもアスファルトで固めているのに、
ビンボー人宅はバラスを敷いているだけで、いろんなぺんぺん草が生えている。
一応、料金をいただいて月極でお貸ししているから、
雑草くらい引き抜こう、と珍しく軍手をはめて外に出た。

外は風もない小春日和。
長旅で6kg やせて、その体重は維持しているから、前かがみも苦しくない。
バラスの間から顔を出す雑草を引き抜くのは割りと楽だ。
ある程度引き抜くと、残っている雑草が気にかかる。
結局、1時間かけて全て抜いた。 きれいにしてみると気持ちのいいものだ。

駐車場の所有者、管理者だから、きれいに維持するのは当たり前だけど、
自分を褒めてやりたくて、酒量が倍に増えた。


火の山 ロープウェイ

2005年11月22日 15時59分29秒 | 日記 ・ 雑記録
あるものが絶滅の危機に瀕したときや、廃絶の憂き目にあうときに、
人は誰も、あわてて保護や保存を考えるが、大概、時すでに遅し、だ。

関門海峡(早鞆の瀬戸) は、源平の合戦で平家が滅亡に追い込まれたところ。
幕末には、長州軍が米英仏蘭4カ国の艦隊を砲撃し、逆上陸されて敗北したところ。
歴史に残る古戦場を見下ろして、海岸に268mの 火の山 がある。
関門橋は指呼の間。
海峡を往来する船はひきもきらず、海底には3本のトンネルが九州と結んでいる。
響灘、九州、周防灘と展望は360度。
明治以降、海峡を防衛する要塞が築かれ、一般人は立ち入り禁止だった。

火の山にロープウェイが架けられたのが昭和33年。
時とともに利用者が減少し、2年前休止に追い込まれていたが、
2ヶ月間の期限付きで、存続を検討するために運転が再開された。
型式は古いし、30人しか乗れないし、
存続に○をつけた私のアンケートは無力かも知れないが、
残しておきたい写真として 「ぶらり、しものせき」 に取り上げた。
だって、海峡の眺望を楽しむには、ロープウェイが一番だもの。

平日の今日、上りの乗客は3人。下りは私一人。
美人で美声のガイド嬢。
見たことのあるお嬢さんだと思っていたら、先方から名乗り出てくれた。
やはり、何度かお会いしたお嬢さんだった。
顔と名前を覚えるのが苦手なうえに、モウロクも始まったらしい。嗚呼。


高橋尚子、千葉ロッテ

2005年11月22日 11時30分02秒 | 日記 ・ 雑記録
私は気の小さい臆病な人間で、たとえば、
母校の運動部が大きい大会に出場すると、とても見ていられません。
ひいきにしている千葉ロッテマリーンズの公式戦でも、ハラハラドキドキで、
TV画面を見ることができません。
私がTVの前で応援すると、そのときの試合に負けるケースが多い、
という積み重ねもあります。
(私の録画は家内任せですが) 結果を知ってから勝った試合だけを録画で観る、
いびつな応援を往々にしています。

東京女子マラソンの高橋尚子も見ていられませんでした。
スパートをかけた瞬間も、2年前の屈辱の坂道を駆け上るのも見逃しました。
ニュースショーで、晴れやかな彼女を見て 「あぁー、よかった」
彼女の多弁、能弁ぶりも、困難を克服し、結果を残した人の言葉なら、
説得力があるし、素直に聞けます。
彼女は最高の日本人ランナーでしょうが、
走ることに加えて、態度で、言葉で、希望と力をくれる人ですね。

TBSのフレンドパークには、ロッテの5人が出ていました。
抜きん出た者がいなくて、5人を束にするところが今年のロッテらしいと思います。
年末年始のTVで、彼らは団体で引っ張りだこになるでしょうが、
相応の結果を残しての引っ張りだこですから、番組で大騒ぎをすればいいでしょう。
突如としてスポットライトを浴びて、臆することもなく、気負うこともなく、
おごった態度もなく、好印象でした。
過去の実績は少なくても、未来に富んだ若者はいいですね。
どこかの金満球団の、ポンコツかき集めに見せてやりたいものです。

これが、愛する男と女なら

2005年11月21日 20時30分14秒 | 日記 ・ 雑記録
私には特技がある。人の名前と顔を覚えるのが大の苦手、という特技が。
普通、これを特技とはいわないけど。
そんな私が人生のほとんどを、顔と名前を覚えることが必須のサービス業で過ごしたのだから、なにをかいわんや。

昨日、新しく始めた 「ぶらり、しものせき」 の写真を撮るために
本州最西端 ・ 毘沙ノ鼻まで出かけた。
岬に着いたとき、岬には誰もいなかった。
写真を撮って、万葉歌碑をメモしたりして、
いよいよ帰ろうかというときに、遊歩道を登ってくる一組がいた。
記念写真を撮ろうとしているから、「シャッターを押しましょうか」 と申し出た。
シャッターを押してからカメラを手渡し、私は岬を下った。

今日、電話があった。
「昨日、毘沙ノ鼻にいらっしゃいましたか?」 「ハイ、居りました」
「実は、シャッターを押していただいたのは私達です」 「えっ、(唖然)」
私は近眼で、人の顔を覚えるのが苦手だ。
先方は人の顔を覚えるのが得意らしいが、以前、その方とお会いした時、私は髭を伸ばしていたから、すぐに私と分からなかったらしい。
それでも、キッと私だ、と思って声をかけようとしたとき
すでに私は岬を下ってしまっていた、という。
その人は、先般、葡萄舎のワイン会に参加した人だった!

下関の人口は30万に近いのに、訪れる人も少ない毘沙ノ鼻ですれ違うなんて!
毘沙ノ鼻。 そんじょそこらの岬ではない、と思い始めた。
これが、愛する男と女なら、ドラマになるだろうか。

結構忙しく動き回って

2005年11月20日 22時36分18秒 | 日記 ・ 雑記録
昨夜は車で寝た。
車を買い換えた夜に一度試してはいるが、
昨夜は車に常時積載している寝袋、毛布を、いかに手際よくベッドメイクするか。
幾つかの改善点が見つかった。 即、改善。 もう、大丈夫だろう。
この車で日本列島を走り回るのはいつだろう。
走り回れる日が本当に来るンかいな。

朝イチにホームセンターに。
その足で、響灘(日本海)まで走った。 目的地は毘沙ノ鼻。 本州最西端の岬だ。
一度訪れて気に入って、いい場所だから世間の方にご紹介しよう、と。
ブログに 「新カテゴリー ・ ぶらり 下関」 を新設した。

長旅を終えて1ヵ月半も経過してから、やっとお世話になった方々に写真を送った。
HPの旅行記を仕上げたら写真印刷の作業に取り掛かるつもりが、
仕上げたらホッとして、しばらく写真を見たくなかった。
いつまでもお待たせできまい、と重い腰を上げたらプリンタがダウン。
遅れついでに、ひたすら頭を下げるしかあるまい。
写真を送って、今回の長旅に一つの区切りがついた。





本州最西端 ・ 毘沙ノ鼻

2005年11月20日 18時14分23秒 | 日記 ・ 雑記録
はじめに

私には一人息子がいます。社会人1年生です。
可愛くて仕方なく手元に置きたいのですが、それは親のわがまま、です。
息子が車を買う、と言い出しましたから、どうせ始めのうちは擦ったりぶつけたりするのだから、と私の愛車を譲りました。
私の代替車は「遊び車」です。日産の X-TRAIL(中古)。
街中を走るより、自然の中を走るほうが絵になる、とばかりに、
暇を見つけては下関の近郊を走り回ることにしました。
名前や場所は知っていても、行ったことのないところって、結構あるものです。
私の勝手な判断で、ご紹介したいところを掲載していきます。
下関から1時間の半径内です。 最初は、本州の最西端をご案内します。。

本州最西端 ・ 毘沙ノ鼻

下関を言い表すときに、「海峡の街」の他に 「本州の西の端」 と言います。
本州の最西端がどこにあるのかを知っている人は少ないのではないでしょうか。
地図を見れば、それらしいところが数箇所あります。
正解は 「毘沙ノ鼻」で、東経130度51分37秒、です。
下関から191号を北上、吉見(よしみ)の町を抜けると吉母(よしも)方面への分岐点があり、案内板に従って左折します。
道中、要所には案内板がありますから間違うことはありません。
案内板の表示は全て 「(本州最西端)毘沙ノ鼻」です。
十分なスペースの駐車場があり、手入れされたトイレもあります。
整備された遊歩道を200mも進めば目的地です。
展望台、記念写真用の灯台(ミニチュア)、万葉歌碑があります。
眼下には響灘が広がり、5km先の正面には蓋井島(ふたおいじま)、遥かに九州の山並みも望めます。
いつ行っても人影がまばらなのは、嬉しいような、寂しいような‥‥。
もっと人気を集めてもいいのに、と思います。
この岬から眺める夕陽は、本州で最後に見れる夕陽、です。

万葉歌碑は、長門守・巨曽部対馬(こそべ・つしま)の歌で、
  長門なる  沖つ借島  奥まえて
  吾が思ふ君は  千歳にもがる
      借島(かりしま=現在の蓋井島といわれる)
      地名を織り込んで、時の右大臣の長寿を願った歌

ちなみに、本州の東端、南端、北端は
  東端 宮古市 トドヶ崎
  南端 串本市 潮岬
  北端 下北半島 大間崎

おいでませ、下関。 行って御覧なさい、毘沙ノ鼻

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