葡萄舎だより

海峡の街・下関の、葡萄舎の住人・洒人 (しゃじん) が身の周りの些事片々を書き綴ります。
本人は日記のつもりです。

思うこと

2006年12月16日 17時41分28秒 | 日記 ・ 雑記録
昭和二十二年丁亥にこの世に生を受け、来年が平成十九年丁亥だから
来年 <還暦> を迎える。
<ベビーブーム> といわれ <団塊の世代> と呼ばれて今日まで生きてきた。

ベビーブームだけあって、同期生の数の多さは尋常ではなかったから、
どこに行っても、何をしても、絶えず <競争> がつきまとった。
人を蹴落とすことには頓着しない。 さもなければ自分が突き落とされる。
そんな競争意識に加えて、
社会の変動が加速度を増し、価値観が多様化するのを身をもって経験して来た。
新旧の考え方が入り乱れる混沌とした社会で、
高度経済成長は支えてきたけど、思うような変革は出来なかった。
大学にバリケードは築いたが、大学を変えることは出来なかった。
亥年に相応しい、ガムシャラな生き様だったとは言えるかも知れないが。

来年の年始状を3種類作った。
その一つには、還暦にいたる60年を振り返ってこう書いた。
「戦うことを止めない愚かな人類の歴史上、
平和憲法の下に生まれて、銃を握ることもなくこの歳に至った
稀有な国民であったことを誇りに思い、嬉しく思います」
と。

しかし、戦争を放棄したはずの日本がおかしくなりつつある。
昨日、改正教育基本法と防衛庁から防衛省への格上げが決まった。
国民の充分な論議を踏まえず、拙速な国会審議だったのは、
これから後に控えた真打の登場を待望するからだろう。
真打は、<敗戦以前の日本> への回帰、だ。

我が選挙区から選出されている安倍晋三が総理・総裁になったとき
山口県は、8人目の宰相実現と沸き立った。
(安倍内閣発足で下関の建築業の仕事が増えたのは事実らしい)
国民は、若い首相の登場に期待したろう。
(夫人の手を握ってタラップを降りる姿だけは斬新だった)
でも、彼には昭和の妖怪・岸信介のDNAが流れている。
彼の、坊ちゃん坊ちゃんとした衣の裏には、突出したタカ派の鎧がある。
歳月を経て、昨日という日が歴史に残る日にならなければいいが。
日本が、あらぬ方向に急ハンドルをきった日として。

最近、競争相手であり、共に戦った同期生がパラパラと帰郷し始めた。
親友の帰郷は嬉しいことだが、
団塊の世代が社会の第一線から身を退く時期にさしかかっているのを、
いくつかの音信で実感する。 予想された成り行きだけど。

ただ、このまま素直には退けない。
次の次の世代に、銃を握らせることは出来ないから。

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