私の高校生活は、ビートルズの解散と時を同じくして始まった。
1970年は私の高校入学の年で、いわば多感な青春の入り口だ。
3月15日には大阪万博が開幕し、日本は世界に向けてその経済成長を誇示し、世間は万博景気に沸いていた。
日本のミュージック・シーンは、GSブームが終焉し、歌謡曲のエアポケット時期で、『黒ネコのタンゴ』や『ドリフのズンドコ節』、『走れコウタロー』などのコミックソングが年間チャートを賑わせていた。
スクリーンではアメリカン・ニューシネマが人気で、『イージー・ライダー』や『明日に向って撃て』、『いちご白書』などが上映されていた。
激動の1960年代が終わり、時はまさに、私の青春の旅立ちに合わせたように、新しい時代の到来を予感させた。
折しも、3月末には、よど号ハイジャック事件が世間を騒がせた。
そしてその10日後に、ポールのビートルズ脱退宣言のニュースが世界中を駆け巡った。
私は高校入学を直前に控え、前年に発売された『アビイ・ロード』を何度も聴き返しながら、ビートルズの今後に思いを馳せていた時期だ。
高校に入ったら、ビートルズ同好の士を見つけ、もしかしたら、ビートルズ・バンドを組めるかもしれない、と淡い期待もしていた。
何より、ビートルズはそんな私の青春を彩ってくれるはずだったのだ。
それがまさかのポールの脱退宣言だ。
私にとっては青天の霹靂、大阪万博やよど号事件もかすむくらいの衝撃だった。
私の青春の門出に、ポールはなんてことをしてくれたんだ、と怒りにも似た感情が湧いてきた。
それは取りも直さず、ビートルズの解散を意味していた。
4人はまだ20代の若さで、一般人ならば青春にしがみついていてもおかしくない年代だ。
あの熱狂的、驚異的な人気が、彼らの老成を早めたのだろうか。
もう、ビートルズの新曲は聴けないんだ、わずかに残っていた、日本公演の可能性もゼロになったんだ、と落胆したものだ。
その後は、遺作とも言うべき『レット・イット・ビー』のアルバムを買い、その映画を観て、中学2年から始まった、私のビートルズ・リアルタイム体験は終わった。
ビートルズなきあと、その後継者としてロック・シーンを牽引するバンドは見当たらなかった。
ローリング・ストーンズやザ・フーにしても、ビートルズとは歴然とした差があったし、ハードロック系のレット・ツェッペリンやディープ・パープルは、まだまだその器ではなかった。
私にできることは、出会った当初にやった過去へのタイムトラベルを、今度は遺品の山の整理として繰り返すことだった。
エジプトのピラミッドを調査する考古学者さながら、新しい発見はないか、どこかに見落としはないか、と喪失感や虚無感を払拭すべく、ビートルズ・ナンバーを聴きまくったものだ。
その間、前年に開催されたウッドストック・フェスティバルの記録映画の上映や、三島由紀夫の切腹事件などが起こったが、ビートルズ解散ほどのインパクトはなかった。
年末になり、ようやくビートルズに区切りをつけた私は、邦楽はともかく、それまで聴き流していた、ハードロックやフォークロック、ブルースなども真剣に聴くようになった。
そんな曲を聴く中でも、どこかにビートルズの面影を探していたような気がする。
1970年は私の高校入学の年で、いわば多感な青春の入り口だ。
3月15日には大阪万博が開幕し、日本は世界に向けてその経済成長を誇示し、世間は万博景気に沸いていた。
日本のミュージック・シーンは、GSブームが終焉し、歌謡曲のエアポケット時期で、『黒ネコのタンゴ』や『ドリフのズンドコ節』、『走れコウタロー』などのコミックソングが年間チャートを賑わせていた。
スクリーンではアメリカン・ニューシネマが人気で、『イージー・ライダー』や『明日に向って撃て』、『いちご白書』などが上映されていた。
激動の1960年代が終わり、時はまさに、私の青春の旅立ちに合わせたように、新しい時代の到来を予感させた。
折しも、3月末には、よど号ハイジャック事件が世間を騒がせた。
そしてその10日後に、ポールのビートルズ脱退宣言のニュースが世界中を駆け巡った。
私は高校入学を直前に控え、前年に発売された『アビイ・ロード』を何度も聴き返しながら、ビートルズの今後に思いを馳せていた時期だ。
高校に入ったら、ビートルズ同好の士を見つけ、もしかしたら、ビートルズ・バンドを組めるかもしれない、と淡い期待もしていた。
何より、ビートルズはそんな私の青春を彩ってくれるはずだったのだ。
それがまさかのポールの脱退宣言だ。
私にとっては青天の霹靂、大阪万博やよど号事件もかすむくらいの衝撃だった。
私の青春の門出に、ポールはなんてことをしてくれたんだ、と怒りにも似た感情が湧いてきた。
それは取りも直さず、ビートルズの解散を意味していた。
4人はまだ20代の若さで、一般人ならば青春にしがみついていてもおかしくない年代だ。
あの熱狂的、驚異的な人気が、彼らの老成を早めたのだろうか。
もう、ビートルズの新曲は聴けないんだ、わずかに残っていた、日本公演の可能性もゼロになったんだ、と落胆したものだ。
その後は、遺作とも言うべき『レット・イット・ビー』のアルバムを買い、その映画を観て、中学2年から始まった、私のビートルズ・リアルタイム体験は終わった。
ビートルズなきあと、その後継者としてロック・シーンを牽引するバンドは見当たらなかった。
ローリング・ストーンズやザ・フーにしても、ビートルズとは歴然とした差があったし、ハードロック系のレット・ツェッペリンやディープ・パープルは、まだまだその器ではなかった。
私にできることは、出会った当初にやった過去へのタイムトラベルを、今度は遺品の山の整理として繰り返すことだった。
エジプトのピラミッドを調査する考古学者さながら、新しい発見はないか、どこかに見落としはないか、と喪失感や虚無感を払拭すべく、ビートルズ・ナンバーを聴きまくったものだ。
その間、前年に開催されたウッドストック・フェスティバルの記録映画の上映や、三島由紀夫の切腹事件などが起こったが、ビートルズ解散ほどのインパクトはなかった。
年末になり、ようやくビートルズに区切りをつけた私は、邦楽はともかく、それまで聴き流していた、ハードロックやフォークロック、ブルースなども真剣に聴くようになった。
そんな曲を聴く中でも、どこかにビートルズの面影を探していたような気がする。
ビートルズのジョージ、ストーンズのキース。どちらもヘタウマギタリストだ。キースに至っては、歳をとってその素人顔負けのヘタさに、磨きがかかってきた気もする。でも、そのサウンドには、他のギタリストには出せない独特な味わいがあるんだよね。 そんな味わいの小説を、Amazon Kindle Storeに30数冊アップしています。★★ 拙著電子書籍ラインナップ・ここから、またはプロフィールのQRコードから買えます。
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