あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

死に際の美学

2020-12-25 | from:sachiaki
おい、クリスマスに物騒なことを書くんじゃないよ
って思ったんだけど、
今日がクリスマスだからって浮かれポンチなこと以外は認めない
なんてことはないだろう?
そんなことを思って空気を読まずに日記にしようとしているsachiakiです。

昨晩のこと。
私がいつもより早く就寝しようと準備を終えて
ハリネズミにおやすみの挨拶をしようとして小屋を見てみたら
いつもと違うところでグッタリするように横になっていたので
なにかが気に入らなくていつもと違うところにいるのか、
また、寝入ろうとしてる表情なのかどうかが分からず
このまま目を閉じたら永遠に起きてこないんじゃないか?
と不安で不安でず〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っと見続けてしまいました。
怖くて仕方が無いので一晩見続けるつもりで
とりあえず毛布とかをこちらに持ってこようかな、
なんて考えて寝室と作業部屋を行ったり来たりしてたところ
外のうるささに呆れたのか、
いつもの場所に移動して、いつものかっこうになっていたので
これなら大丈夫かな?と一息ついて寝入ったところです。

早朝気になって気になって仕方なくて起きてしまい
小屋を見に行ってみたら、「なに?」って顔して
餌を食べていたので、これなら大丈夫だわと
ホッと胸をなでおろして二度寝をかましてきました。

1代目が亡くなった日は、
私が朝方まで作業をしていて、寝る前に一度小屋を見たら
いつも通りの寝顔を見せてくれていたので
よし弱ってはいるけれど大丈夫かな、って仮眠して
起きた朝に亡くなっていて
自分でもびっくりするぐらい動揺したのを覚えています。
寝ていた向きが変わっていたのもあって
私が寝た後に亡くなったというのは明白だとしても
たかだか4時間のうちでこんな線引きがあるのかと
非常に落胆したものです。
すごくいい子だったので、勝手な解釈として
私を安心させてから旅立ってくれたのかな?
なんてことを思ったりもします。

祖母が亡くなった時も、「今夜が山ですよ」って連絡がきて
長野から即新幹線帰省し、その足で病院目指している時も
祈るような気持ちだったことを今も思い出します。
病室に入って、意識はないけれどおだやかに呼吸している祖母を見て
不安になりつつも、兄弟たちと話をしている時は異変がなく
お医者さんにも「今夜は帰ってもらっても大丈夫ですよ」って
言われてホッと気が緩み、思わず家族間で談笑したんですよ。
帰宅する手はずや、私の手に入れたキックボードについてとか
そんな話でちょっと盛り上がり、
日常のような雰囲気になった途端、
祖母の容体が急変しそのまま眠るように息を引き取ったのです。
こちらも祖母が家族らしさに戻ったところで
安心して眠ったのだろう、なんて話をしていました。

眠りも永眠もどちらも目を閉じて外界と遮断されるものですが
目を覚ましたら日常が続くものと
その日は永遠にないものの差があまりにもシームレスで
なにがなんだか分からなくなったりします。
少なくとも昨晩は私が観察さえしていれば
ずっと明日(今日)が来ないんじゃないか?
とかそんなことを考えてしまうぐらい。
それはあまりに突然で、あまりに予期していないものなのだと思います。

ふと思い出したのは、そんな予期できない死でも
予期できる死というものがあって、
それが死刑だったり、なにかに襲われたりした時のことで
その時のふるまいについてもの思うことがあったりしたのでしたが
すでに日記が長くなってしまったので
いったん筆をおこうかと思います。

すべての人々(この場合のすべての人々というのは狭い範囲ですが)の
罪を背負ってなくなり、その人の誕生を祝うこんな日に
その人の最期と重なるようなことを書くのも興がそれました。

そんな感じです。
それでは今日はオンラインクリスマス会を催すのでこの辺にて!
そんじゃまた!モイモイ
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